会報が届いた。
頭が真っ白になった。
理解できなかった。
訃報?誰が?奥山さんが?
なに?なんで?嘘でしょ?
なんで?なんで?なんで?
「志穂さんとは、いつか会える気がします」
奥山さんは、メールで、そう言ってくれた。わたしも、そんな気がしていた。。。
わたしが、いちばん深い闇を彷徨っていたとき。「志穂さんのことが分かるかと思い、名前で検索したら、お医者さんの名前しか出てきませんでした(笑)」と、最初にメールでコンタクトをとってくれたのは奥山さんでした。それから、わたしと奥山さんは何度かメールを交わしました。奥山さんは、センターでの出来事を楽しい文書にして報告してくれました。
「玄さんが、スタッフにニックネームをつけています。わたしは〇〇と呼ばれています。どうして○○なの〜?」
玄さんが奥山さんにつけた愛称は、どう考えても女性につける呼び名ではありませんでした。しかし、奥山さんの逞しさを現したナイスネーミングでした。
「トイレが壊れました。みんなが、わたしを暖かい目で見てくれます。犯人は、わたしではありません…」
「センターのことが漫画になりました。漫画に登場している美青年をA君が、自分だと言ってゆずりません。どう思います?」
短い文書でしたが、ユーモアたっぷりの楽しいメールに、わたしはいつも笑っていました。
「志穂さんとは、いつか会える気がします」
わたしが、センターの記念パーティに出席するために東京に行ったとき。奥山さんは、センターを一時離れていたときでした。奥山さんに会うことは出来ませんでした。
その後、わたし自身にいろいろなことがあり、安定していた長年勤めていた職場を離れ。数ヶ月のあいだ、部屋に閉じこもった生活を送っていました。どのくらいの期間だったか、あまりにも苦しくてツラいときだった為か、今も記憶にありません。そのうち貯金も底をつき…。わたしは、派遣員になり、あちこちと職場をかわり、不安定な生活で、県外に派遣に行くこともありました。パソコンも壊れ、奥山さんとかわしたメールアドレスもなくなりました。
職場も、なんとか、ひとつのところに腰をおろせ。携帯電話からホームページにアクセス出来るようになった頃。奥山さんが、センターに帰ってきたことを知り、とても嬉しかった。
なのに。突然の訃報。
頭が真っ白になりました。
職場に向かう前。郵便受けから何気にとった手紙が、こんなに重く感じたのは、はじめてでした。たくさんのことが、頭の中を巡りました。職場で空ろなわたし。ふと、奥山さんが「仕事だよ。シャンとしようよ」と、励ましてくれている気がしました。
今日、一日。たくさんの言葉を奥山さんと交わしました。あたたかく、強く、大地のように励まし支えてくれました。
ありがとう。奥山さん。そして、お疲れ様でした。
心より。
ご冥福をお祈りしています。