2009/11/3
芝浜
円楽師匠がお亡くなりになって、昨日は落語なんぞを一日中聞いたり見たりしてました。円楽師匠、あの温和そうな笑顔のウラにはえらい頑固者の面をお持ちだったようで・・・スジを通すって言うんだか・・・
売り出し中だった時に、師匠の円生に「タレント気取りで芸が荒れてる。落語に集中していない」。テレビで円楽師匠は名指しで批判された。それからテレビの出演を自重し、芸を磨くのに没頭したってなことや、ホントは若手にチャンスを与えるべきってのが持論だったのに、師匠・円生を立てて落語協会を脱退することとなる。円生亡き後もスジは通し続け、自分の門下のものは「若竹会」ってのを作って協会とは違った路線を進むことになる。親の心、子知らずってんだか、弟子たちは6億の借金でこさえた「若竹」には出演しないで地方巡業に励むって結果になって「若竹」は閉館となった。
見ていて涙が出る思いだったのは脳梗塞後の自身最後の高座の様子・・・
演目は、人情話を得意とした師匠の十八番のひとつ、『芝浜』。
Youtubeで検索しても円楽師匠のは見当たらない。師匠の映像メディア自体が少な過ぎるって他のブログで書いてる方がいました。これから出て来るとは思いますが。
Youtubeでは談志師匠のが見れると思います。
そんなの長くて見れねぇって方は、今は便利なウィキペディア。
話のスジだけでも見て下さい(そうしないと話が見えない)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%9D%E6%B5%9C
途中で「いけませんねぇ、こんな芸をお客さんの前で披露するのは・・・もう、いけません・・・」
名人と言われた円楽師匠、惜しまれつつ引退ってな格好の付け方ではなくて、駄目な姿を客に晒して納得して貰った。師匠らしいスジの通し方だったのかもしれない。
『芝浜』は大金の入った財布を拾ったって言う「現実」と、それが夢だったと言う妻が生み出した「虚構」が入れ替わり、現実が夢となり、夢が現実になって進行して行く。
円楽師匠の最後の高座も、『芝浜』を演じることで、もしかしたら脳梗塞後に上手く口の回らなくなった自分が「夢」で、昔のようにお客さんを満足させられるような話が出来る「現実」が待っているんじゃないのかって一縷の望みを託しながら高座へ向かったんじゃないカナ?。でも、「現実」はやはり満足いくような話が出来る状態じゃなかった・・・
そして、最後のセリフ、「よそう。また夢になるといけねぇ」・・・
落語噺の虚構の世界と、現実の自分の姿を重ね合わせたようなこのセリフで幕は下りた。
噺家としての5代目三遊亭円楽は、この時死んだのだろう。
演目自体の出来、不出来は別にして、この時の高座の全てが『芝浜』の世界を完璧に表現しているようにも思え、オイラ的には後世に語り継がれるべき名演だったと思います。
落語は三遊派の中興の祖、三遊亭圓朝の足跡を辿れば、現代口語体の基礎となったほどのもの。文言一致体ってことで、今では当たり前になった話言葉と書き言葉を統一した方であります。それまでは公式文書は漢語体であり、話し言葉とは違っていた。明治維新以降、庶民感覚が多くの分野で浸透して行った、そのリーダーってところでしょうか?
今、政治の世界も政権交代となって、無血革命、平成維新なんて言われています。
政治主導を目指して、官僚の作文体、官僚言葉を脱して、政治家が自分の言葉で話すことが始っています。この流れが押し戻されることがないように願っております。
いや、大圓朝師匠同様、官僚言葉と政治家の話す言葉を統一することが本来の目的だと思うのだけれど・・・・
それにしても初代圓朝、物凄い人物だったと感服します。
春風亭小朝師匠、襲名話が立ち消えになって正解!
これもまた「夢」の話か?
オット、最後は余計な話か????
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売り出し中だった時に、師匠の円生に「タレント気取りで芸が荒れてる。落語に集中していない」。テレビで円楽師匠は名指しで批判された。それからテレビの出演を自重し、芸を磨くのに没頭したってなことや、ホントは若手にチャンスを与えるべきってのが持論だったのに、師匠・円生を立てて落語協会を脱退することとなる。円生亡き後もスジは通し続け、自分の門下のものは「若竹会」ってのを作って協会とは違った路線を進むことになる。親の心、子知らずってんだか、弟子たちは6億の借金でこさえた「若竹」には出演しないで地方巡業に励むって結果になって「若竹」は閉館となった。
見ていて涙が出る思いだったのは脳梗塞後の自身最後の高座の様子・・・
演目は、人情話を得意とした師匠の十八番のひとつ、『芝浜』。
Youtubeで検索しても円楽師匠のは見当たらない。師匠の映像メディア自体が少な過ぎるって他のブログで書いてる方がいました。これから出て来るとは思いますが。
Youtubeでは談志師匠のが見れると思います。
そんなの長くて見れねぇって方は、今は便利なウィキペディア。
話のスジだけでも見て下さい(そうしないと話が見えない)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%9D%E6%B5%9C
途中で「いけませんねぇ、こんな芸をお客さんの前で披露するのは・・・もう、いけません・・・」
名人と言われた円楽師匠、惜しまれつつ引退ってな格好の付け方ではなくて、駄目な姿を客に晒して納得して貰った。師匠らしいスジの通し方だったのかもしれない。
『芝浜』は大金の入った財布を拾ったって言う「現実」と、それが夢だったと言う妻が生み出した「虚構」が入れ替わり、現実が夢となり、夢が現実になって進行して行く。
円楽師匠の最後の高座も、『芝浜』を演じることで、もしかしたら脳梗塞後に上手く口の回らなくなった自分が「夢」で、昔のようにお客さんを満足させられるような話が出来る「現実」が待っているんじゃないのかって一縷の望みを託しながら高座へ向かったんじゃないカナ?。でも、「現実」はやはり満足いくような話が出来る状態じゃなかった・・・
そして、最後のセリフ、「よそう。また夢になるといけねぇ」・・・
落語噺の虚構の世界と、現実の自分の姿を重ね合わせたようなこのセリフで幕は下りた。
噺家としての5代目三遊亭円楽は、この時死んだのだろう。
演目自体の出来、不出来は別にして、この時の高座の全てが『芝浜』の世界を完璧に表現しているようにも思え、オイラ的には後世に語り継がれるべき名演だったと思います。
落語は三遊派の中興の祖、三遊亭圓朝の足跡を辿れば、現代口語体の基礎となったほどのもの。文言一致体ってことで、今では当たり前になった話言葉と書き言葉を統一した方であります。それまでは公式文書は漢語体であり、話し言葉とは違っていた。明治維新以降、庶民感覚が多くの分野で浸透して行った、そのリーダーってところでしょうか?
今、政治の世界も政権交代となって、無血革命、平成維新なんて言われています。
政治主導を目指して、官僚の作文体、官僚言葉を脱して、政治家が自分の言葉で話すことが始っています。この流れが押し戻されることがないように願っております。
いや、大圓朝師匠同様、官僚言葉と政治家の話す言葉を統一することが本来の目的だと思うのだけれど・・・・
それにしても初代圓朝、物凄い人物だったと感服します。
春風亭小朝師匠、襲名話が立ち消えになって正解!
これもまた「夢」の話か?
オット、最後は余計な話か????
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