2005/11/6
昨日NHKの番組「ETV特集夜回り先生」を途中から見ました。2回シリーズであったのでしょう。私は番組予告で知っていましたが内容を見まして感じた事を述べます。最初はすごいと思いましたが、見終わってMさんの自己満足の世界と思いました。HIVエイズ感染と、薬物汚染による子供たちの生活に警告を鳴らしている事、リストカット、手首を切りつけて自分を傷つけてしまう行動、そして死に至るものでした。
夜、子供からの相談が電話で掛かって来ます。それに色々アドバイスを送っているのでした。そこには親との会話が一つも入っていない。それほど子供たちが追い詰められている姿が写し出されていました。又彼は自分の命を削ってそれをやっていました。死に近づいている自分がありました。HIVにかかった少女の報告がありました。壮絶なものでした。
ある集まりに出かけていって暴走族15人に乱暴され、その後35〜40人の中年男性に身体を売り、その15人の男子に「ぼろ雑巾」と言われ身体を売りお金を稼がされていて、保護された時にはすでにHIVに感染されていました。
ショックのあまりその子は病院を飛び出し、トラックの運転手に「おいちゃんどこか連れて行って、私13歳」と言い39人の男性にHIVを移して、途中M先生に電話してきて、39人に復習をしてやった。あともう少しの人間にしてやってから帰ると言ったそうです。最初のHIVは彼女はまだ生きる命をつなぐ事が出来たのに、HIVのウイルスにも直る、直らないものがあって、最初のウイルスは結婚もし子供も生める状態だったのに同じようにHIVに感染した男性の中にもやはり移されたことによる他人に対しての復讐が行われていました。そんな彼らのウイルスの中には直らない何種類かのHIVウイルスがあったのでしょう。
復讐をしようとした女の子の考えのあさはかさ悲劇を招いてしまったのでしょう。その直らないHIVにかかってしまったのです。手の施しようも無い日々が続き、体重50キロあったのが20キロを切り、顔は骸骨、枯れ枝と言うことで壮絶な戦いを彼女はした様です。あまりの痛さにモルヒネをうち、痛さを無くし死に向かわせようとしたようですが、人間の身体の不思議さです。まだ若い生命、周りの大人は安らかに死をと思っていても、本人は口には出さずとも生きたいという思いがあったのでしょう。モルヒネを打っても痛みはとれず本人の苦しみは周りの親、姉、M先生の苦しみ、想いは大変なものだったでしょう。
最後のこうなる前のモルヒネを投与される前に女の子は両親や姉に有難う、M先生にも有難うと言ったそうですが本心は「何故私がこうならなくてはならないのか」と思っていたでしょう。
痛み、苦しみは大変だったでしょう。私は厳しい事を言います。父親が女の子が逝った時「やっとこれで楽になれたな」と言ったそうですがそれは間違いです。死んでもこの子は苦しみ続けているでしょう。これはM先生に責任が有るのではないでしょうか。夜回り先生と言って子供の電話を受け相談に乗り夜の世界から子供を救おうと言うことは分かる。でも何故あなたは子供に親とのつながりを持たせなかったのか。一人満足の世界に居る。話を聞いていてもあなたは話しながら自分に酔いしれている。そして子供に自分の身体のことを心配させている。
立ち向かうとは自分の身体の自己管理をし永く子供と接し対処する事です。全て一人でやっている。自分にしか出来ないと思い込んでいる。相談者のようなそんな弱い子は大人になっても又同じ事をする。子育ては一生親が生きている間の仕事なのです。子供が年齢を重ねていって20才過ぎてから本当の子育てだと言われた人がいます。それが子供が小学校を入学したら終わっている様に思っている親が居るが大きな間違いです。
男女、思春期に大きな変化が現れます。世の親たちに伝えたい。子供の心を観なさいと。一人一人の子供の心の変化、行動、言動を。必ずサインが出ています。共働きであっても、子供と向き合う時我々はよくお茶の時間を持ちました。そんな時学校はどう、お友達とはどう、何か好きな事見つかったかと。そして自分の時はこんな遊び、友達とはこんな事をして過ごしたよとか。
そしていつも言っていた事は「あなたの後にはいつもお父さん、お母さんが居て守っているのよ」「大事な事はお友達じゃ無く必ずお父さん、お母さんに相談しなさい」子供が何故と聞きました。「それはね、あなたより永く生きているわね。だから色々な問題、友達関係、学校生活、その他何でも経験しているでしょう。」そして我が子の悩みはお父さん、お母さんの悩みでもある事を。いつもいい顔いい笑顔で健康に暮らして欲しいからね。でもお友達はそんな経験は無いよね。自分たちで解決できる事はしたら良い。でも本当に困った時はお友達じゃ無いよ。いつも親が居るよ。自分が悪い事をした時もよ。安心して話をしなさいと。そのような会話をいつもしていました。
兄弟3人、4才4才離れていましたので上は8才、下は0才と年齢の差がありましたので親に話す前に兄に相談などもしていたようですが、親子の会話もあり相談したい子からではなくても情報は常に入ってきてましたのでその時その時に解決をしてきました。それは今も同じです。
現在31、27、24才になりましたがさすがに毎日ではなく、でも時折掛かって来る電話のトーンなどから判断してますと、後から実はと本題を言ってくることがあります。今は本人、社会人、親としてどうしたら良いかと話をする事が多くなって来ました。
子供が小さい時小、中、高校生の時でした。どうしてそんなに一生懸命にやるのかと聞かれたお母さんが居ました。今この時にやる事が子供たちが成人した時に私が楽をしたいからよと言いました。そして我が家の子供たちは15才から5年間の寮生活を送る学校に3人とも入る事になっていましたので15才までに家庭生活の中で身に付けるべき躾、社会に出す事と同じでしたから人様に迷惑を掛けないように、又二人部屋ですから協調性(これは3人兄弟ですから身に付いてはいましたが)部屋の片付けなど必要最低限の事はさせていました。
そして押し付けでは無く自分自身で進路も選ばせました。自己責任と言う一番大事な事を学ばせなくてはならなかったのです。皆さんがゆっくりとした時間の中で子育てをやる事はすばらしい事ですが我が家には15才という一応の区切りが必要だったのです。そしてその中で一番に置いたことは我が子を犯罪の被害者にも加害者にもさせない教育でした。
ですから外泊はクラブ活動の合宿と泊まる相手の親御さんの了解を得る以外は外泊をさせませんでした。そのかわり我が家にも同じように泊まり会も有り賑やかに過ごした時もありました。夜の門限は中学校は塾へも行っていましたので夜10時または11時近くになる事もありましたが親はいつも家に居ました。
食事はいつも家で食べる。当たり前の事ですが人間として人としての生活を身に付ける事を自然体にさせていました。朝子供を起こしたことは有りません。勉強も長男の時は押し付けて居た事に気づき、次男、三男には「勉強しなさい」とは言った事がありません。しかし勉強につまづいた時は親が教えるのではなく基本学習を学ばせることはしましたがすべて学校の勉強(小学校)が基になっていました。
そのような環境にしますと親は余計な口出しをする事無く健康管理に重点を置き、PTA活動などで周りから子供をサポート出来、大変良い環境を保つ事がかない、子供の成長に合わせ親も育てられたのだと思われます。ですから他人様に指導を受け子供が成長する事を私は否定しませんが、まずそうなる前に親が子供の成長に合わせ愛情を持ち育てる事を願います。
11月6日 アキヨ

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