彼のクライミングの足跡は素晴らしいの一言に尽きる。
ボルダー、ルートクライミング、ビッグウォールどれをとっても一級品だ。
事実中国地方ではカリスマのごとく輝く存在なのに、
なぜか関西では「クライミングバカ」と評される最も登れるクライマー、ガッキーのフェイバリット・・・聞いてみたいよね。
自分のMy favorite routeは??
と聞かれて一番最初に思い浮かんだのはやっぱり、備中、羽山の棲龍門だった。
しかし、これは自分のルートだし、登るのにボルト整備も含めて3年近くもかかってしまってあまりにも思い入れがありすぎるので、
My favorite routeとは言えないかもしれない...
じゃあ、他のルートにしようかと思って考えてみるが、あまりにもいろいろあって、ひとつを選ぶのはかなり無理がある。
う〜ん、やっぱり自分にとって一番苦労して、また、成長できたルートでもあると思うので、棲龍門について書きます。
このルートは発情期と門前払いをただつなげて登るだけのルートです。
そう言ってしまえば、ただの派生ルートと思われてしまいますが、実は岩の弱点を見事についた、
本来ここに最初に作られるべきルートだと思うのです。(開拓者の方ごめんなさい。
しかし、実は私も数年後、テルセーラを登ることによってさらにそれは覆されてしまうのですが...
結局のところ、岩場の歴史はその岩場に通うローカルたちとともにあるのだと思います。)
当時の私は5.13前半がそこそこ登れるぐらいで、とてもこのルートを登れる実力はなかったのですが、
ここを登りたいと思い、とりあえず、ボルトの打ち替えや終了点の整備、
そして発情期から門前払いに移るところにボルトを一本打ち、トライを開始しました。
案の定、ムーブは何とかできるものの、まったくつながらない。持久力が全然足りないのだ。
その頃はどちらかというとボルダリング中心だったので、これではいけないと考えを改め、
それからは常に棲龍門を登る(=持久力をつける)ということを意識してトレーニングするようにしました。
次のシーズンは、前年と比べるとかなり進歩したものの、一連の核心の最後のムーブがとめられない。
そこだけやるとそんなに難しいムーブではないのだが、バンバンに張った腕は身体の振られに耐えられない。
なんとかワンテンにまではもちこんだものの、そこから進まない。やれどもやれどもワンテン止まり。
結局その年もRPすることが出来ないままシーズンは終わってしまいました。
そして迎えた3年目。今年こそはと思い、羽山に通う。しかし、やはりワンテンが続く。
でももうトライし続けるしかないと思い、毎週のように羽山に通う。
そして年も明けた正月、たぶん1月2日だったと思う。
その日は非常に寒く、みんながレストする中、やるしかないと岩場に向かう。
その日、少し前から思ってはいたのだが、いつも落ちている場所の手前のクリップを飛ばしてみた。
落ちるとかなりブッ飛んでいくので相当怖いのだが、意を決してやってみることにする。
しかし、最後のホールドはとめられず、吹っ飛んでいく。(怖ェ〜!)
でも、落ちはしたが一瞬「これは止められるかも。」と思った。
そして次のトライ、核心ではムーブに集中しきっていて、怖さも忘れとうとう念願のRP!
その時の感想はうれしいというよりも、「やっと終わった〜。」でした。
しばらくは登った実感がなくて、夜にみんなでビールで乾杯してうれしさがこみ上げてきたのを憶えています。
結局、核心でクリップしないという姑息な手段で登ってしまったが、ここは人工壁ではないし、岩場ではクリップするかどうかはクライマーの選択の一つだと思っているから、これでいいのだろう。
棲龍門は私のクライミング人生の通過点のひとつでしたが、このルートに出会ったことで成長でき、また得るものも多かったように思います。
今は子育てや仕事が忙しくてクライミングからは少し遠ざかってはいるけれど、
またいつかそういうルートに出会うことを夢見て、いつまででも登り続けていたいと思います。
「棲龍門」をルートとして登ろうと考えたのは当時の日本では画期的なことであったと思われる。
今もって見事に岩の弱点をついた、あのスケール、難度のルートは羽山にしか存在しない。
海外での長い経験やクライミングに対する彼の信念がルートを作る姿勢に現れているように思います。
やっぱりもうちょっと尊敬しても良いかなあ。

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