そう!
今から10年も前の話・・・幕張に高級住宅街が無く、もっと南西の風の入りが良かった頃。海も今より綺麗で、中央突堤も無く、、長い距離走れて景観も良かった時代。
その当時、浜から50メーター程のところに、白いコースロープが海岸線に沿って張られていて、そこを越えないと沖には出れなかった。越えるのに一苦労でフジツボなんかがついててボードは傷つくし、足は血だらけ・・・(8年位前の北西爆風の中、来日していたビヨンがそのコースロープを5,0位のスラロームの道具で、ずっとフォワードで越えて乗っていたのを思い出す。・・・どこかにビデオないかな〜。また見たいな〜!)
その10年前。ハイエース後部ドアの右上に凹みの出来た車の向こうから、イントラより黒く、目つきが鋭くて目の上に傷あと在って、亀O兄弟のおじ様みたいな髪型の、、今よりスリムながら筋肉質の20代の男が現れた。そうこのお方こそが後のお師匠さんとなる若かりし店長なのだ。。。
車を見て、‘・・・・・‘
目の上の傷あとがほのかに赤らんで来た。。
イントラ様は車庫いれを続けている、、、
腕を組んでそれを見つめている間、右足がプルプル振るえ始めた。怒りが凝縮して高まりをみせている証拠だ。。
‘あーやばい車にぶつけたな〜。しかも降りてくるタイミングワリ〜・・・‘
イントラが降りてくるなり、鎖の外れたドーベルマンの様に、、、(ちょっとかっこ良過ぎるか。。)闘牛士に向かう闘牛の・・・(そんなに大きくないか。。)やっぱ亀Oのがんくれのごとく突進していった。
そのがんくれは数分前俺にも送られていたものだった。(怒るとミサカイ無い)
‘てめ〜このやろm¥−^「:@」。、「」−pl「‘(暴力的過ぎて載せられません)
‘・・・・‘
怖すぎる。。まだ10代の少年には硬直して見ているのがやっとだった。
イントラ様もさすがにシュンとしていたが、あまりの一方的な言われ様に、、
‘ハンドルが重いんだからしょうがないじゃない!!‘と理由を主張していた。
確かに、後に俺がイントラをしていた時に、このハンドルの重さには苦労した。でもそんな言い訳って・・・
数10分の緊迫したやり取りの後、その男は車の向こうへと帰って行った。
何事も無かったかの様に、、
‘ごめーん。おまたせ〜。さっ、始めましょ‘
‘えっ!!‘いいの?車は?恐怖のあまり車から出てこれなかった安ダッチがようやく車から降りてきて、俺と目を見合わせた。
こうして初スクールは波乱の幕開けになったのだった。。。