牧口常三郎は、創価教育を実践するために、一貫教育の学校を建設するという構想をいだいていた。そして、その実現を戸田城聖に託していたのである。
それを、戸田から、山本伸一が聞かされたのは、戸田の事業が破綻した苦境のなかで、再起を期して激浪の暗夜に船出した1950年(昭和25年)の晩秋のことであった。
その時、戸田から、「私の健在なうちにできればいいが、だめかもしれない。伸一、その時は頼むよ」と託されたのである。
以来、創価教育の学校の建設は、伸一の生涯のテーマとなっていったのだ。
伸一は、先師、恩師の教育構想を、一つ一つ実現してきた。
68年(同43年)には、東京・小平市に創価中学・高校が開校。71年(同46年)には、東京・八王子市に創価大学が開学。73年(同48年)には、大阪・交野市に創価女子中学・高校が開校した。
そして、74年(同49年)8月には、創価小学校を設立するための準備委員会が発足した。この準備委員会で、幼稚園の設置も検討されることになったのである。
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