くろまっくのぼやき。

「私は、あなたに奉仕するためにここにいる。いま我々は宣言する。もうたくさんだ!」(「ラカンドン密林宣言」)
「霊長目ヒト科はもはや時代遅れな存在です。政治とか戦争とか犯罪とか経済とか差別とか、そーいうものは全部、過去のもの」(田中ロミオ『人類は衰退しました3』)

 

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投稿者:kuro_mac
リンク先は芦屋市立高等学校の記録「時を刻む」。村上春樹が中学校を卒業した後の芦屋の解放教育について記されている。
引用文はトップページより。

〈1971年高校全入をめざし進学保障制度を実施、1974年全国で最初に知的障害者を受け入れた全日制普通高校、それが兵庫県芦屋市立芦屋高校だった。1986年最も先進的な学校が、突然嵐に襲われた。その後、2001年には廃校の危機に立たされ、市民、卒業生、教師、在校生、教職員組合により廃校反対運動が展開されたが、議論を尽くすこともなく市教委及び市議会は廃校を議決した。
             芦屋市立高等学校教職員組合〉

http://www.geocities.co.jp/HiTeens/4127/tokiwokizamu/mokuji1.htm
投稿者:kuro_mac@管理人
すみません。ツイッターで遊ぶのに忙しく、すっかりブログは放置していました。

リンクした藤田先生のサイト、見られなくなっていますね。後で記事本文を修正しますが、別のブログを立ち上げられたようです。

いただいたコメントに、ある差別文書がソースらしい「資料」のお話が出てきますが、これは正確でなくともおよそのタイトルを知っていれば、ネットでもすぐに見つかります。

20年前はまだネットは普及していませんでしたが、大阪の男性と結婚したある女性は、大阪で近づいてはいけない場所を教わったという。私も大阪に移住するとき、似た覚えがありますね。結婚とか就職とか引越など人生の重要なイベントでは、今でも部落問題は避けて通れない。

よそものでもそうなのに、1970年に中学生だった方が、2014年まで「知らなかった」というのは、にわかには信じがたいことですが、あるかもしれない。しかし、知らなかったら知らなかったで、「ええ年した大人が何いうてますねん」というのはあります。

もちろん、部落解放運動には、さまざまな矛盾や限界がありました。解放教育(いわゆる人権教育)にも功罪がある。しかし1970年代という時代背景もありましたし、本当に差別があちこちにあった頃のことです。

1970年代以降、部落解放運動による新たな問題も生まれた。いわゆる同和利権などはその代表でしょう。

しかし「寝た子を起こすな」は、なかったことにすることです。存在さえ知らせないのは、差別よりひどい。「生きてねん」ということですね。

「この現代に被差別部落があるかといえば、もうないといえるだろう。それは土地ではなく、人の心の中に生きているからだ。しかし一旦、事件など非日常的なことが起こると、途端に被差別部落は復活する」(上原善広『日本の路地を旅する』)

路地出身のノンフィクション作家・上原善弘氏の著作を中心に、部落問題に言及した当ブログの記事に、ご参考までにリンクしておきます。

『日本の路地を旅する』
http://gold.ap.teacup.com/multitud0/368.html

『私家版差別語辞典』
http://gold.ap.teacup.com/multitud0/717.html

「生きてんねん」
http://gold.ap.teacup.com/multitud0/994.html
投稿者:鶫
「知らなかったら何で悪い」と居直るのはどうかと思いますね。
ましてや教えない教師が悪い、教える教師も悪いとは。
社会に目を開けと「怒られ」て、それに不平顔でぶーたれる高校生みたいなもんでしょうな。
投稿者:藤原時実
芦屋・西宮で育った私は、「自分が住んでたあたりにも被差別部落があった」とは、2014年になるまで知りませんでした。
話は1970年頃のことです、中学校である日をさかいに、先生たちから「差別はダメだ」「偏見はダメだ」というプロパガンダが降りそそぎ始めました。僕たち生徒は「どうすれば差別になって、いけないのだろう」「どうすれば偏見になって、いけないのだろう」と疑問が湧くのですが、それに答える具体的な説明は先生からありませんでした。ですから、僕たち生徒は、宇宙の果てを眺めるような気持ちで「自分は差別しないよう心がけるつもりです、偏見を持たないようにするつもりです」と心の中で唱えるのですが、はてさて、具体的にどうすればいいのか(あるいは、いけないのか)さっぱり分からないから、行動指針としては空虚で役に立ちませんでしたね。先生側にとっては、「同和教育を実施した」というアリバイ作りになってよかったのかもしれないと、今にして思います。
時は流れ、2014年になって、「被差別部落の地名資料」みたいなものが僕の手に入ったので、ようやく、「中学の頃、自分が住んでたあたりにも被差別部落があった」ということを、論拠をもって認識しました。中学校当時を思い返すと、「あのあたりはこわいから、近づかないようにしよう」と、生徒同士の情報交換で認識している あたり がありました。危なさそうでこわそうだったので自分の目でどんなところか確かめに行くこともしませんでした。おとなは「被差別部落だ」とは教えてくれませんでした。

2014年初見資料に基づき、「自分が住んでたあたりにも被差別部落があった」と認識しました。 それをもって、「知らなかったので怒られる」?
投稿者:kuro_mac
解放運動中央→解放同盟中央
でした。人のこといえないね。
投稿者:kuro_mac
>今日ではヤクザ的な利益集団化しているとしか思えません。
同和協会という団体は、自民党系の同和会のことかな。しかし部落解放同運動中央も、「差別を無くしたい集団ではなくて、差別が存続しないと困る」既得権化集団として体制内に組み込まれてしまった。ここは、ご指摘の通りです。

「寝た子を起こすな」は、〈何も知らない人にわざわざ問題所在を知らせる必要はなく,そっと放置しておけば自然に解決する〉とする考え方ですね。このたとえが部落差別に関していわれだしたのは,明治30年代説と大正10年代説とがあるようです。

しかし百年前後の歴史がたつのに、決して差別は「自然に解決」されたわけではない。「寝た子」は決して「死んだ」わけではないからです。いずれは目覚めてくる。

今では自分が部落出身と知らない若者も増えていると聞きます。しかし結婚差別は依然として残っています。橋下市長に対する部落差別バッシングを見ていても、何かあるたびに差別はいつでもめざめてくる。

これは部落解放運動のボスたちに対する批判だけで済むことだろうか。そうではないですね。村上春樹もいうように、この世界では人は誰でも無自覚のうちに誰かに対する無意識の加害者になりうる。非人間的なことで私に無縁なものは何もないというのが当ブログの立場です。コメントありがとうございました。
投稿者:リラックマ
要するに私たちは差別あっている被害者だと集団で対外的に騒いでいるうちに、外部から見れば危険集団化しているために、強い警戒感を抱かれる。その事が同和協会側から見た差別を永続化させているのでしょう。どっちが加害者でどっちが被害者なのか、もはやこんがらがっている状況です。それは寝た子を起こし続ける集団のせいなのではないでしょうか?
投稿者:リラックマ
中上健次の熊野論を読んでいると、どこまで本気で言っているのかよく分からなくなります。架空の民族・土俗意識を創作して作家として飯の種に利用しただけなんじゃないかと。同和問題に関しても何故受け継がせたがるのか理解できません。どこが旧被差別部落に当たる地域なのか知りもしない我々に同和ビデオを見せて、妙な差別意識を受け継がせる必要がどこにあるのか。今日ではヤクザ的な利益集団化しているとしか思えません。同和協会は差別を無くしたい集団ではなくて、差別が存続しないと困る人たちなんじゃないですか?若い頃に東京の郊外で新聞配達をしていたら、はじめて受け持った地域を先輩のおじさんと通っていて軒先からイタチかなにかの動物の死骸を紐で干している家を見かけました。薄暗い夜明け前の事ですし、「変ったモノが干してますね」と私が呟くと、「シッ!」と言っておじさんは私を引っ張ってその谷底の地域を抜け出し、私に警告を与えました。「あそこ変った地形だと思わないか?あんな場所でへたな言葉を吐くと、どんな目に合わされるかわからないぞ」と。
投稿者:kuro_mac@nowhere
拍手コメントいただきました。ありがとうございます。もう没後20年になるんですね。関西に移住したのも、角川春樹との対談『俳句の時代 遠野・熊野・吉野巡礼』に導かれるような部分がありました。

 <今朝の毎日新聞に中上健次、没20年の記事があり、どんな人物だったのか・・。と思い検索しましたら、興味深い貴方の文章に出会いました。>
投稿者:くろまっく
 こちらこそ初めまして。ご訪問ありがとうございます。無断転載あいすみません。

 私のコメントは、春樹さんの小説を読んできた限りの感想で、インタビューや対談などはチェックしていませんでした。あやふやで、失礼いたしました。

 あのエッセイは私も好きです。傷ついた友達を守る女子生徒の絆に感動します。

 あのエッセイの連載は、地下鉄サリン事件を取材した『アンダーグラウンド』と同時併走だったはずです。テーマは最近の『1Q84』にも引き継がれているのですが、あの頃にははあった、人間の連帯の可能性(先生のお言葉なら「差別」「賤視」を否定する社会を構築する展望)が後退、あるいは衰弱しているのではないか……うまく整理できていないのですが……そこが少し気にかかっています。

 ただ、『1Q84』で描かれる小学生時代のトラウマも、差別や虐待への苦しみ悲しみが、痛いほどよく描かれていると思います。私もよく批判しますけれど、春樹さんが読まれる社会は、まだ捨てたものではないと信じます。

 健次さんと春樹さん。作風も生い立ちも対極的で、ジャズしか共通項が思い浮かびませんでしたが、健次さんの木の国・根の国と、春樹さんの森とアンダーグラウンドは、結構、重なるのが興味深いです。

 若い頃、左翼の活動家で、狭山闘争を通じて部落問題は知っているつもりでした。しかし東京から大阪に移って、自分は実は何も知らないことに気がつきました。

 「被差別部落は過去の問題だ。寝た子を起こすな」といいながら、結婚差別や越境通学が残っていること、陰陽師や風水やパワースポットや血液型などのブームは、どこかで通じているように思います。今の原発事故の問題でも、残念ながら、被爆者差別も起きています。辞任した大臣は、政治家以前に、社会人として、人間として失格です。ただあの人を責めるだけでは済まないですよね。

 渋染一揆の覚え書き、部落史の考察を拝読しました。また考えていきたいと思います。最後にあらためて、ご訪問、そしてコメントに心より感謝いたします。
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