押忍。
この10年ほど
節分には「恵方巻」として巻き寿司を食べましょう、という風習が
なぜかコンビニエンスストアを中心に
今年も宣伝されています。
さて、これ。
そもそもの風習の始まりや
近年の妙なゴリ押しには色々話があるんですが
昭和後期に大阪で育った私の「証言」を書かせて頂きますと
@大阪にそういう風習はあったのか?
→確かにあった。
Aいつ頃か?
→少なくとも、私の子供時代、昭和50年代にはあった。
Bどういう店で売られていたか?
→下町の古くからある寿司屋でやってた。
チェーン店やスーパーなどでは無かった。
C今のように大々的に宣伝していたか?
→していなかった。
そもそも寿司屋では握りが主役で、巻き寿司は子供のもの、という位置付けだった。
父親が握り寿司で一杯やり、子供へのお土産に買うのが巻き寿司だった。
D予約販売はあったのか?
→あった。
というか、通常は巻き寿司は「切って販売」するもの。
目の前で大将が切ってくれていた。
節分の際は、予約すると
切らずに「折り」に入れてくれ、
その日は食べる方角説明の紙をつけてくれた。
(神社関係っぽい、毛筆縦書きの紙)
E名称は「恵方巻」だったか?
→そんな言い方はしなかった。
「丸かぶり」とは言っていた。
F黙って丸かぶりすることは、奇習と感じたか?
→感じなかった。
昭和の頃は「食事は黙って食べる」という習慣も結構あった。
G方角についての言及はあったか?
→付属の説明紙だけが頼り。
メディア等で言われるようなメジャーなものでは無かった。
紙はパリパリした独特の神社っぽい手触りと匂いがした。
これが単なる巻き寿司に神秘性を持たせていたと思う。
古い、地場の寿司屋が地場の神社からもらってきていたんじゃないかと思います。
H誰もが知る風習だったか?
→知らない人の方が多かった印象。
寿司屋好きな父親が寿司屋で覚えてくるような感じだった。
◆
こんなとこでしょうか。
で、昭和60年代(バブル時代)には
そういう古くからの寿司屋は廃れ、大型チェーン店に代わり、
丸かぶりを予約して神社(?)の紙をつけて下げて帰る。
なんて風習は廃れたと記憶しています。
派手な時代に入って行きました。
で、平成ヒトケタには「手巻き寿司ブーム」が
これはメジャーなブームとして一瞬ありました。
サラダ巻きのような、新しい巻き寿司の登場でした。
◆
思えば昭和50年代は
まだギリギリ傷痍軍人が街に居たり、
大阪で「街の天狗」出没ニュースがあったり
(天狗という名前の義賊)
車にしめ縄を皆が締めたり
正月はどこも閉まってたり
バブル前の、
最後のそういう下町の地場の神秘的な、
かつ泥臭くてダサい、じゃりン子チエの風景が
全く普通だった、
そんな時代やったのかなあと思い出します。
巻き寿司、うまいぜっ!

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