旨い物の記憶はなくならない。
子供の頃に食べた美味しいものの記憶はいろいろな形で残る。
ただの一度でも、明白な記憶として残ることがある。
寿司屋のカウンターに初めて座らせてもらったとき。
今まで見たこともないような、分厚くて旨いステーキを食べたとき。
天麩羅にした車海老の、ほのかな甘味に初めて気がついたとき。
初めて蕎麦湯でツユを延ばして飲んだとき。
ハンバーグを頬張ったときの肉汁にビックリしたとき。
気持ち悪い色のピータンを食べさせられたら案外と美味しくて、新しい世界が広がったとき。
そして、普通の料理と素晴らしい料理があると知ったとき。
ただ一度の経験だけど、そのときの味の記憶がその後の基準になる。
たいへん貴重な経験です。
だから年に一度ぐらいは家族で贅沢をするべきだ。
年に一度ぐらいなら許される。
そのときの舌の記憶は子供にも、奥さんにも、ご両親にも、一緒に舌鼓を打った全ての人の記憶に残る。
東京で一番好きな寿司屋、六本木の
兼定で食べた
ノドグロ(アカムツ)の塩焼きとブドウ海老の握り。今でもウチの子供達の憧れになっている。帰り道で次男坊が、僕はお寿司屋さんになりたい、と言い出したのには驚かされた。
ちなみにこの店は取材を受けない。なので、ネットに写真が出ているのを見つけて驚いた。
テレ朝通りにある酒飯包正で家内がカボチャを食べてから、ウチのカボチャの煮付けは進化した。面取りをしなくてもシッカリと煮付けられる方法を教えてもらうときの家内は真剣だった。
この包正もメディアにはなかなか出ないが、漫画美味しんぼの表紙の
牛丼と漬物をあの親父が作ったと知って笑った。
引退してしまった
つくしの三角さんのウニの炊き込み御飯。7年前に他界したお袋に食べてもらっておいて良かった。こんな美味しいもの食べたことない、と喜んでいた顔を思い出す。
リンクを張った三角さんの出ている記事では頑固一徹のように書かれているが、実際は笑顔で迎えてくれる、やさしい料理人だった。
香港の上環にある粥屋の海老ワンタン麺。何時、香港にワンタン麺を食べに行く?と子供に聞かれるのには閉口するが、子供達が場末の屋台の麺を覚えていることが嬉しい。化学調味料を一切使わないこの店の麺類は、そこいらのレストランでは太刀打ちできない味なのだから。
親しくさせてもらっているバーで、皆で食べた上海蟹。取り寄せた上海蟹をバーカウンターの上にガスコンロを置いて蒸して食べた。店が蟹臭くなってしまって申し訳なかったが、楽しいイベントだった。料理屋でもない。料理人が蒸してもいない。でも手に入る中で一番良さそうな物を手に入れて、皆で食べれば楽しくて美味しい。
美味しい記憶は笑顔の記憶だ。
死ぬまでにあと何回晩飯が食べられるのだろう。
晩飯は1年で365回しか食べられない。10年でやっと3650回。外食は何回あるのだろう。
そのうち、笑顔で外食できる日は何日だろう。
思っているよりも少ないのではないかと気づく。
素晴らしい店に出会えることは、人生を豊かにすることなんですよ。
そう思いませんか?

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