先週の続き。
二つめの小見出しは「薄くて軽い体育祭の記事 書き手がいない」である。
最大の行事が体育祭でありながら、特に当日の様子の扱いが小さい、という。
部員自身が行事にのめり込んでしまっているから、というわけである。「人間味を感じる」というのだから、お小言ではない感じではあるが。
野球部のマネージャーでも、スコアブックをつけるのをやめて応援に熱中した例も挙げてらした。こういう反応に慣れるのは、時間がかかったともいうが。
続いての小見出しは、「ものの見える マージナルな存在の役割」である。
ものを見る適切な角度や位置は難しい、として、日本古典を挙げておられるが、さすがに国語の先生だ。『枕草子』『源氏物語』は、作者の置かれた位置がマージナルだった、と加藤周一も指摘している、とある。
渦中の当事者は、ものが見えない、ということだ。
また、高野喜久雄の「鏡」という詩の引用にも、失礼な意味でなく苦笑した。
で、帰属を離れてしまった部員ならお断わり、というのが趣旨である。
続いての小見出しは、「楽しくなければクラブじゃない 責任感を発して」である。
テレビで「楽しくなければテレビじゃない」とあって、思い浮かんだというが、詳細は、また1週間後に。

0