ロスでのホームステイだが、結果からいうと楽しかった。英語が話せるようになったかというとまだまだのレベルだったが、少なくとも外人を見て慌てるというようなことはなくなり、つまり
免疫ができた。
同じツアーに参加したグループには、すぬのように単純にホームステイがしたかった子が2,3人、海外にあちこち行ってて長期かつ目新しいことがしたかったら参加したという風な子達が4人くらいだった。全部で8人くらいだったから仲良くなったし、お互いのホームステイ先の人たちとも親しく交流ができて楽しかった。
特に仲良くなったのは、唯一の男子参加者のホームステイ先の息子で、インド人のアミット。当時18歳だった彼は背が高く髭まで蓄えていたので、日本人的感覚では
どう見ても高校生には見えなかった。彼は日本のことが好きで、両親はホームステイなんかに興味はなかったらしいが、彼が送り迎えなどを全部するという条件で受け入れを決めたらしい。アミットと同じハイスクールの日本人、韓国人の子をまじえて、いろいろな所に遊びに行った。
我々のステイが始まってから二週間後くらいに去年アミットのうちにステイしたという男の子が長期留学のためにやってきた。一ヶ月である程度話せるようになったのだから一年、二年の単位でやればもっと物になると思い留学を決意したのだそうだ。実際手ごたえを感じていた私もそう思った。
日本に帰ってからというものすぬはもう留学のことしか頭になかった。アミット達はUC Berkeleyに進学が決まったと聞き、その近隣の語学学校に候補を絞った。UC Berkeleyにも付属の語学学校はあるのだが、あまり近すぎると頼りすぎてしまうかもと思い、最終的にカリフォルニア州立大学Hayward校付属の語学学校に決めた。
サンフランシスコには約30分、バークリーには約15分と理想的な立地に加え、寮などの条件がすぬが入手できる範囲の情報の中では一番良かったことも決め手となった。それでも学費および寮費は、すぬのアルバイト料くらいでまかなえる額ではなかった。うちは4人兄妹で後がつかえてるし、両親にとっても本来なら無理な相談であった。
が、数ヶ月前に亡くなった祖母の遺産が息子である父のところに入ることになった。非常にずうずうしいとは思いつつ、その遺産で留学の費用を出してもらえないかと頼んだ。結果はOKだった。すぬいが留学することができたのはお婆ちゃんのおかげです。そして、私を信頼して援助を決めてくれた両親のおかげです。改めて感謝したいと思う。
ありがとう。
そして、1989年の4月から一年間の留学生活がスタートした。