1986年の春、運良くすぬいは四大の英文科にに入学することができた。クラスの2割程度は帰国子女あるいは交換留学経験者、つまり
彼らは入学前から英語がぺらぺらなのであった。4年間かけて勉強すれば少しはしゃべれるようになるかもなんて思っていたすぬいとはスタート地点ですでに雲泥の差。そして1-2年生の間は一般教養課程のクラスが多くメジャーである英語のクラス自体が少ない。大して勉強もしないでバイトにばかり精を出していたような気がする。
バイト先は東京ディズニーランド。当時としては破格の時給800円につられて、そしてかわいいコスチュームにもつられて夏休みに土日、正月となんともよく働いた。他の学生バイト仲間との交流も楽しかった。
たぶん春休みだったと思う、その同じバイト先で働いていた女の子の一人が短期留学をした。ふーんと思った。留学やホームステイとかって
選ばれた人だけができるハイカラなものって当時の私はまだそう思っていたから、専門学校生の彼女が研修の一環としてだか個人手配だかは忘れたけどとにかく
お金を出して出かけていったということに、そういう選択肢もあるのかということに軽いショックを覚えたのである。
真の打撃はその子が帰ってきてから。「彼女、外人のお客さんとちゃんとしゃべっていたよ」と話題になったのである。
がーーんと本当に頭を殴られたかのようなショック。偏差値で人を計ったりはしたくないけど、専門学校生の彼女がしゃべれて四大の自分がしゃべれないっていう事実は大ショックだった。その時からバイトの収入は近い将来のホームステイ資金として貯金されていった。行かなければ、とにかく行かなければ思った。
いったいどこへ?予算的に一番安く付くのはやはりアメリカ西海岸だった。ということで今はなき
日本旅行のパックでホームステイ・ロサンジェルス4週間のコースを申し込んだのである。