日本のテレビや新聞を見ていると、世界の流れが見えなくなって、とても不安になります。
日本とアメリカだけが重要で、韓国・朝鮮・中国が日本を嫌っていて、たまにアジアとヨーロッパが話題になることがある。
そんな感じです。
しかし、バブル時代に世界を放浪した若者がオジサンになって、西アジアやアフリカを視野にいれた世界観を持って暮らすようになりました。
Jリーグの成功でサッカーファンが増え、サッカーの本場であるヨーロッパや南米に目を向けている人が増えました。
テレビや御用評論家がどんなに日米関係だけをとりあげて、まるでそれが世界であるかのようにリードしようとしても、もはや普通の人々の中に彼らより遥かに広い視野と深い見識が見られるようになりました。
私の場合、インターネットのおかげで世界の新聞や通信社の記事を日本の報道と比較できるようになり、日本のマスコミ情報が相当にいい加減であり、政府やそのほかの権威に対して全く腰抜けであることが多いことを知りました。
このブログは本来t.A.T.uのファンサイトでした。
しかしt.A.T.uが早い時期から政治的な側面を持っていたため、勢い政治ネタが多くなってしまいました。
ブログのタイトルでもある「Хуй Войне」は日本語にすれば「戦争糞食らえ」になります。
911の大規模同時多発テロ事件の直後のアメリカでは、政府の言論操作と衝動的な愛国主義によって人々は思考停止状態に陥り、テロ事件とはおよそ無関係なアフガニスタンに戦争をふっかけると言う様で、何ともアメリカ史上最も情けない恥ずべき状態にありました。
テレビも新聞もブッシュの戦争政策の不当さと支離滅裂を批判せず、タリバン掃討と言っておきながら実際には多くの一般市民の虐殺に手を貸したのです。
このころt.A.T.uが全米ツアーを行い、戦争でとちくるうアメリカ人にむかってこの言葉を投げつけたのでした。
当時レーナとユーリャはプロデューサーに雇われただけの存在でしたが、インタビューなどでブッシュの戦争政策には普段から反対の意志を表明していて、アメリカや日本の国民がが結局ブッシュの戦争政策を受け入れてしまったにも関わらず、たかが18歳の女の子が堂々持論を述べている姿に感動するやら、自分が情けないやら、何とも複雑な思いを抱いたのでした。
以来、「Хуй Войне」は私のキャッチフレーズになりました。
その後アメリカ国民はブッシュを再選し、情報機関や軍関係者から再三指摘があったにも関わらず、911テロとは無関係のイラクに戦争をふっかけて何万人もの一般市民を虐殺してしまいました。
また十字軍よろしく出動したアメリカ兵のモラルの低さや、待遇の悪さも明らかになりました。
さらに、国防総省への航空機激突テロは激突したはずの航空機そのものが見つからず、世界貿易センタービルに激突した飛行機もハイジャックされた民間機ではないことも次第に知られるようになり、当初ブッシュ支持者たちが笑い飛ばしていた911テロ事件自作自演説が次第に信憑性をましつつあります。
2006年の今になって、ようやくアメリカ国民も目を覚ましつつあるようです。(遅すぎたと思いますが)
そのことで、少しでも世界が良くなってくれるものと信じたい。
私たちのような市井の人間には、このような巨大な世界のうねりを知ったからと言って、何かを良いほうに変えることが出来るとは思えません。
神さまから見れば、人間は自由で平等な存在なのかも知れませんが、神さまから見て取るに足りないわずかな違いでも、私たち人間にとっては個人的に克服不能な巨大な格差なのです。
その格差を是正するために戦うのが最も正しい人の道でしょう。
しかし、多くの市井の人間はその道がどこにあるのかも分からず、どう歩んだら良いかもわからず、そもそもその道を歩むことで自分の日常がどうなってしまうのか考えるだけで不安で一杯です。
しかし、明らかに私たちは以前より騙されなくなっています。
情報は相変わらず不完全ですし、不均衡です。
それでも以前よりずっとオープンになりました。
世界をもてあそび、私たちの生活を振り回すお偉いさん方に「俺はもう騙されないぜ」と嫌な顔の一つも向けてやることは出来るでしょう。
インターネット上のブログはそういう役割を果たせるんじゃないかと思っていしたが、残念ながら今回でこのブログはお仕舞いになります。
仕事で転居することになりまして、そこにはインターネット環境がないのです。
今時そんなところが日本にあるのかとお思いでしょうが、あるんです。
ネット上では遊べなくなりますが、代わりに自宅裏には赤松林がありますし、歩いて数分のところには湖があります。この湖が冬には凍りついて氷の上を歩くことも出来ます。
とても快適な暮らしが出来そうです。
惜しむらくは、日本統治時代の樺太のロシア人たちについて続編を書かないでしまったことです。マルキャン牧場で働いていた労働者や、豊原でパン屋をやっていたおばさん、豊原女学校の級長だったポーランド人少女、ロシア帝国の囚人学校で教鞭をとり後に日本人学校の教師に転じたアイヌの酋長のお嬢さん、妹トシの死の感傷にふける宮沢賢治を励ましたロシア人酌婦たち、いろんな話があったんですが・・・
すみません、たぶんブログではもう書けません。
カウンターをみたら延べ2万4000人もの人がこのブログを見てくれたんですねぇ。
有難うございました。
トラックバックとコメントを封鎖して、記事はしばらくこのままにしておきますが、いずれ機会を見て消します。
それでは、さようなら。

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