この記事は「
アンナ・ポリトコフスカヤ暗殺」の続きです。
昨日はアンナ・ポリトコフスカヤ暗殺のニュースが世界を駆け巡りました。今日も世界中でアンナ・ポリトコフスカヤの暗殺事件の衝撃が広がっています。
アンナ・ポリトコフスカヤの暗殺を知らせるインターファックスの速報
今回の事件を最も早く詳しく報道したのはBBCでした。
今朝の日本の大手新聞社はだいたいBBCの記事を翻訳して換骨奪胎したものを自社の記事として乗せていたようでした。
そこで、BBCのネットでの記事を翻訳しましたのでご覧下さい。
元記事は「
Chechen war reporter found dead」にあります。
-----翻訳ここから-----
チェチェン紛争のリポーターが死後発見される
アンナ・ポリトコフスカヤ(チェチェンにおけるクレムリンの行動の激しい批判者として知られている著名なロシアのジャーナリスト)が、モスクワで死体で発見されました。
二人の子供の48才の母は、首都の彼女のアパートメント地区でエレベーターで射殺されていた所を発見されました。
ピストルと4つの弾丸が彼女の遺体の近くで見つかり、殺人事件として調査が開始されました。
モスクワのBBCのエマ・シンプソンは、ポリトコフスカヤさんの殺害は契約殺人の特徴を全て持ち合わせていると述べています。
受賞経験もあるこのジャーナリストは2004年にはベスランでの学校占拠事件についてのレポートの途中で食中毒で病気になりました。一部の人々はそれが暗殺計画だったと信じています。
『勇敢な擁護者』
ノーバヤ・ガゼータ紙で働いていたポリトコフスカヤさんは、チェチェンでのロシア軍隊によるて権利侵害を暴露することで知られていました。
彼女はまた、2002年にモスクワ劇場で包囲されたチェチェン反乱軍との交渉役としても活躍しました。
ロシアのジャーナリズム連合の幹部は彼女を自分の国のジャーナリズムの良心だと述べていました。
我が社のモスクワ通信員は、彼女はロシアの残り少ない注目すべき独立したジャーナリストでした。 そして、彼女の死によって怒りと衝撃が広がっていくだろうと述べています。
人権団体アムネスティインターナショナルのニコラ・ダックワースは「ロシアは、勇敢で熱心な人権の擁護者を失った」と述べました。
ポリトコフスカヤさんはかつてBBSに対して「暴力と不正に対して恐れずに意見を言いました。そして正義が実現することを見るために疲れを知らずに運動しました。」 と述べました。
アムネスティインターナショナルは殺害の完全な調査を要求しました、しかし、ロシアの政治アナリストであるアンナ・ゼルキナは調査結果には懐疑的です。
彼女はBBCに対して「彼女の事件のように、他にも政治的に動機による殺人事件が起きています。私は、報道のために危険を犯す人がだんだん少なくなるのではないかと恐れています。[彼女はポリトコフスカヤさんは]とても替え難い人でした。」と語りました。
『誠実なジャーナリズム』
ノーバヤ・ガゼータ紙のドミトリー・ムラトフ編集長は「ポリトコフスカヤさんは現地時間の午後4時半(GMT午後1時半)ごろ死にました。」と言いました。
ウィタリー・ヤロシェフスキー(ノーバヤ・ガゼータ紙の副編集長)は、彼女が仕事のために殺されたと思っています。
彼はロイター通信社に「思い浮かぶ最初のことは、アンナが彼女の専門とする活動のために殺されたと言うことです。我々は、この酷い犯罪について他のどんな理由も見出せません。」と話しました。
モスクワ検察官補ビアチェスラフ・ロシンスキーは「捜査官らはジャーナリストの殺害と仕事の関連を考慮している」と述べていました。
彼は「我々は、ポリトコフスカヤの意図的な殺害の理由には彼女の仕事があったと思います」とイタル-タス通信社のロシア人エージェントに話しました。
オレーグパンフィーロフ(「極限状況におけるジャーナリズムのためのモスクワ拠点センター」の責任者)は、ポリトコフスカヤさんが脅迫されていたと言いました。
彼は「同様の運命が差し迫っているジャーナリストらがいます。私は何時も、チェチェンを理由にしてジャーナリストの中で最初にアーニャに何かが起こるだろうと思っていました。」とAP通信社に話しました。
彼は「誠実なジャーナリズムがロシアにあるかどうかに関わらず、問題が起こったときはいつでも、ほとんど毎回、最初に思い浮かんだ名前はポリトコフスカヤでした」とも付け加えています。
2001年に彼女は、あるロシア警察官が復讐したがっていると言う電子メールによる脅迫を受けた後、ウィーン(オーストリア)へ逃げました。それは、過去に一般人に対する残虐行為で彼女が告発したロシア警官でした。
2年前のBBCとのインタビューにおいて、ポリトコフスカヤさんは、自分がそのような死の脅迫を受けても、レポートし続けることが自分の義務であると思っていると言っていました。
彼女は「危険は私の仕事にとってよくあることなの。それは確かなことよ、絶対にね。ロシアのジャーナリストの仕事はそう言うものなのよ。それは私の義務だから、それを止めることは出来ないの。」と言いました。
「私は、医者の義務は患者を健康にすること。歌手の義務は歌うこと。ジャーナリストの義務は実際にジャーナリストが目にしたことを書くことなのよ。それが唯一の義務なの。」
-----翻訳ここまで-----
ラジオ・リバティーに出演したアンドレイ・バビツキー記者によると、ポリトコフスカヤ女史はラムザン・カディーロフの支配するチェチェンの実態(拷問と脅迫)を追求していたこととが関係しているだろうとのことです。
彼は、ポリトコフスカヤ暗殺はラムザン・カディーロフ配下のものが実施したのだろうと考えています。
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Чеченская версия очень убедительна"
チェチェン総合情報によるラムザン・カディロフの紹介
チェチェン総合情報によるポリトコフスカヤの紹介
アンナ・ポリトコフスカヤが働いていたノーバヤ・ガゼータ紙のサイト