2005/5/28 15:23
“ペン人”より 七歳
2005-05-28
* 「ペン人」 *
★ 書名
「ペン人」
グループペン人の会 編集、
発行:1979年〜2000年、
宮木プリント印刷、400円
・・・ここでは中島について述べる。
そのうち中島虎彦は「廃夢」3号に、見舞いにきてくれた友人たちの持参した
千羽鶴が深夜翔び立ってゆくという幻想を描いた「九百九十九たす一羽鶴に
まつわる神話」という長い散文詩を発表している。その作中には999個の
「ぱた、ぱた、ぱた」という擬態語が出てきて度肝を抜く。この作品によって中
島の想像力は文字通り羽ばたき始めたといってもよいだろう。
「獣の眼」というすぐれた幻想小説集をもつ堤盛恒は、「新郷土」という中島
も編集協力スタッフをつとめていた県文化課の雑誌で、「その同人雑誌にと
って存在意義となるような作品が載ることは嬉しいことである」と批評してい
る。また同人の一人であった広瀬英子の高校生の娘は「ぱた、ぱた」の部分
にピアノで曲をつけている。
その他、2号には「大寒物語」という詩、3号には「旅その後」、4号には「柿
の木のある家の子のために」という散文詩、5号には「沙悟浄の現代性」とい
う評論、6号には「九百九十九たす一羽鶴にまつわる神話・補遺」という台詞
体の詩を発表している。
「ずいじ版」では「泣き太陽・でんぐり返り太陽・やり太陽」などの言葉を切り
貼りした「核分裂反応」という絵詩の試みを発表し、絵描きの服部大次郎氏
らから好評を博したりした。また「いっぽん杉」という散文や、短歌抄もたくさ
ん発表している。
一方、「ペン人」1号からは「へのもへ日誌」シリーズとして、「予兆」「かっく
んちゃん」「ロビーとジギタリス」「秘密クラブ」「交わりの樹」「河」などの短編
小説、3号からは「ほていあおい」「植者的人間」「生霊」「真夜号漂流」「松原
へ」「卑弥呼まで」などの中・長編小説を次々と発表している。ちなみに「への
もへ」というタイトルは、初期の短編の小見出し「あらかじめうしろ姿の人形の
哀しみなんぞへのへのもへじ」という短歌からとられている。この最も創作意
欲の旺盛な時期に、福岡の「ALL SPICE」という詩誌では、詩人の上村育也
による「中島虎彦論」が書かれている。
これらの小説はすべて障害者とりわけ頸髄損傷者が主人公となっていて、
電動車いすも頻繁に登場する。これ以前の日本(あるいは世界)にはほとん
ど例のなかったことである。(詩における星野富弘とともに)、頸髄損傷をはじ
めとする四肢マヒ者の実態、とりわけ精神世界を世に知らしめたという意義
は評価されるだろう。しかし、星野と同様中島にそんな意識はほとんどなか
ったことだろう。
8号の「ほていあおい」は、町の身障者団体の研修バス旅行で、かつてキリ
シタンが弾圧されたバラ城址を訪れる話だ。何百もの農民の首が刎ねられ
たというお堀の跡に、今ではホテイアオイが掌を合わせたように生い茂り、そ
れがいっせいに飛び立ってくるという幻想小説である。
9号の「植物的人間」は、ある日右肘に原因不明の瘤がぷくりと腫れあがっ
た主人公が、町の医院を受診するとなんとそこに高校時代の親友で消息不
明だったネコツカが精神科医として働いている。彼はサーフィン事故で植物
人間となった若者を抱えて難儀しているふう。彼の診察は埒があかず途方
にくれていると、天皇の御幸のパレードが通ったり、彼がソファーの陰で看護
婦との乳繰り合いを当てつけたりする、というような幻想小説である。「植物
人間」とは屈辱的な呼び名だが、「植物的人間」と書かれると何やら哲学的
な風貌を帯びてくる。こういう造語のセンスが中島の真骨頂であろう。
そのうち10号の「生霊」では、頸髄損傷の若者の尻と車いすがある日癒着
してしまい困惑していると、今度は妙な噂が伝わってくる。彼とそっくりな人物
が遠く離れた街をさまよっていたというのだ。しかもわいせつな狼藉を働いて
いるという。幽体離脱ではないか、いや生霊ではないかという話になり、新聞
記者や刑事がやってくるが、彼にはどうすることもできない。そのうち生霊の
振る舞いがますますエスカレートしてゆき、彼の家にだんだん近づいてもく
る。彼も何らかの態度を迫られ、いよいよ田園へ対決に出かけてゆくという
長編小説である。この作品によって中島は自らの想像力を解放する術を決
定的に身につけたといわれている。小説での代表作といってもいいだろう。
11号の「真夜号表流」では知的障害者の中年男が、両親の愛ゆえの子殺
しから身を守るため庭先のスチール製物置に立てこもり、洪水にあって絶海
の孤島まで流されるというSFを描いている。この作品では当事わりあい珍し
かったワープロの作字機能を駆使して、独自の造語を印刷して散りばめるな
どの試みをみせている。ごく一部の熱狂的なファンはついたが、保守的な風
土の中ではほとんど黙殺された。
17号の「松原へ」では、唐津市の名勝「虹の松原」を電動車いすでさまよ
い、車いすでここまで入りこんだのは自分が初めてだろうと感慨にふけって
いると、一番奥深いあたりで砂にタイヤをとられて立ち往生する。長さ5km、
幅1kmの松原内には人っ子ひとり見当たらず、深甚な恐怖にとらわれる。そ
こで下世話な天女に出会うが、「城」誌の白石すみほから「女性が書けてい
ない」と批判される。
しかし平成2年の「卑弥呼まで」(13号)では第20回「S氏賞」を受賞してい
る。「S氏賞」とは佐賀県内の同人雑誌(7誌ほど)に発表された小説のうち、
その年の最優秀作に贈られる、唐津市の有志S氏による私設文学賞で、賞
金は10万円)。電動車いすで受賞したのは中島が初めてである。
これは平成元年の吉野ヶ里遺跡発掘フィーバーにともなって、社協のリフト
車で訪れた電動車いすの男が、卑弥呼に乗りうつられた外国人女性の狂乱
に巻きこまれ、ひどい目に遭わされながらも、電動車いすを置き忘れて駆け
もどってくる、というハッピーエンドの幻想小説である。ちなみにこの小説が
元で実際の吉野ケ里遺跡の物見やぐらに一般の見学客も上れるようになっ
たのではないか、と言ってくれる人もある。
この小説について批評家の池田賢士郎氏は「地域における創造、という私
たち(地方在住の作家たち)にとって何より大切な課題に真っ向から応えよう
としていて、この点が佐賀においては稀有のことだと思われる。中島虎彦は
(きびしい現実にしっかりと足を踏まえながら、想像力を解放するという)方法
的な新機軸を生み出したのだ」と評価している。
その翌年には、「卑弥呼まで」にみられる吉野ケ里遺跡フィーバーをさらに
パロディにした「ヨジノガリ五段活用」という戯文を発表して、「ヨジノガレ」「ヨ
ジノガロウ」などという活用を編み出し、先の池田氏から「佐賀人が自らの手
で流行語を生み出しうるとは思いもよらなかった」と喝采を得ている。ただし
「吉野ヶ里フィーバーが過ぎ去ればさほど面白くは読まれまい」と釘を刺して
おくことも忘れていない。
「へのもへ日誌」シリーズの他にも、「真昼の散歩者」「かれらの進化論」な
どという散文詩、。また失われた精子へのノスタルジーを描いた「地底の王
国」というSFや、猫にまつわる言葉遊びを散りばめた大人のための童話「ね
こづくしの原」や、差別語に対するヒステリー気味な対応を逆説的にパロディ
化した「言葉たちを責めないで」などもある。中には自分の身体を一本の管
に見たてて口から肛門まで旅をする「すかんぽ」などという壮大な実験作い
や失敗作もある。
4号の「続続とと」(10万字)では、精神分裂病の入院患者が夜な夜な院内の
公衆電話から「いのちの電話」に悩み相談をもちかけるが、相手の相談員は
実は幼いときに自分を捨てた母親であったというからくりが仕掛けられてい
る。全編電話の会話体で書かれた異色の小説である。「タイトルがふざけす
ぎている」という批判もあったが、「WE’LL」誌の編集スタッフでフリーライタ
ーの加藤薫氏は「だまされていることの心地よさ」と指摘している。
15号の「ある研修報告」では、メセナによる障害者海外派遣事業によってと
ある福祉先進地を訪れた頸髄損傷者が、その街の住人にはみんな身体の
どこかに一つずつ「瘤」があることを発見する。それは身体中の公害物質や
毒素を一箇所に凝縮して体外に突出させることで、その他の部分を清浄に
保つための長年の知恵であり、これこそ本当の先進性であったという、荒唐
無稽なSFである。ラストシーンでは「瘤塚」という奇っ怪な塔が出てきてペー
ソスを誘う。
23号には「キンパンジャーの日々」という短編小説集を発表している。これ
は佐賀の方言を「ゴットイ酒店」「ジュッタンブー広場」などとカタカナにして活
用したもので、他誌に発表した「アスコンタイの人々」「オロホンポーの小景」
などとともに、これら方言シリーズも中島の最近の取り組みの一つである。そ
れについて先の池田賢士郎氏は「今はまだ誰も何もいわないが、いずれ評
価されるときがくるだろう」と予言している。
「もちろんそれらの間には、そもそも創作の出発点であった短歌も脈々と
書かれており、「吊るされる十首」「あらぶからあぶらの出なくなるとき」「キャ
ベツ畑はちょうちょうだらけ」「超三流エロ劇画誌群」「額(ぬか)に釘」「聖子ち
ゃんを殴って」「爪に星の」「鳥瞰図」「私についての十章」「路上の虎」「いつ
も見るみどりとたまに見るピンクの対話」「丸ぼうろとマールボーロほどのち
がい」「精神の鱶」「氷菓子ナタで割られよ罪と罰」などの抄が口語自由律で
組まれている。これらはあくまで一行の詩として発表されていて、現代詩の側
から幾分評価されることはあっても、歌壇からはほとんど黙殺された。
そうこうするうち、「ペン人」20号には「障害者の文学」という評論を一挙掲
載する。これは古今東西の障害者たちの文学作品に的をしぼって、「お涙ち
ょうだい式」「どっこい生きてる式」「抵抗詩」「信仰の文学」「自然の写生」「想
像力の世界」などに分析した無謀とも思える大作である。しかし大きな反響
を呼び、「脊損ニュース」に二年あまりにわたって転載され、平成9年には人
権問題を中心に扱っている東京の明石書店から企画ものとして出版され、
中島にとって初めての印税収入をもたらした。地方の無名な障害者の書き
手にとっては異例のことであろう。(詳しくはこの書評欄を参照)。この頃から
他の雑誌や新聞からの原稿依頼も増えてくる。
評論ではほかに、私淑する歌人草市潤氏を端的に論じた「K氏極小論」
や、都市部のブルセラ・ショップの流行をきわどく分析した「ぶるせら・バイバ
イ」や、平成11年の乙武くんブームを批評した「五体不満足の満足度」もあ
る。また「ペン人」のシリーズ・コラムである「新7個のアンケート」では、ゲスト
の精神科医で「BOUGH」誌編集者の関口宏氏らとスリリングな議論を展開
している。関口氏は中島について「嬉野の地に菩提樹のように根をおろして
いる」と評している。
一番最近の24号には自作の英訳俳句50句を和英対照で載せた「月のない
夜の月見草」、25号には同じく自作の英訳短歌100首を載せた「夜明けの
闇」を発表している。これらは中央の商業俳誌や歌誌や外国の識者にも寄
贈されているが、俳壇や歌壇からは(俳誌「百鳥」主宰の大串章氏を例外とし
て)相変わらず黙殺されている。
平成11年の25号のあとがきでは、同人たちの無関心にこらえかねたように
中島は「ここらで発展的解消を遂げてもいいのではないか」と提言している。
それに対して「灯を消さないで」という声が主に外部からいくらか寄せられて
いるのがせめてもの救いであろう。
0
* 「ペン人」 *
★ 書名
「ペン人」
グループペン人の会 編集、
発行:1979年〜2000年、
宮木プリント印刷、400円
・・・ここでは中島について述べる。
そのうち中島虎彦は「廃夢」3号に、見舞いにきてくれた友人たちの持参した
千羽鶴が深夜翔び立ってゆくという幻想を描いた「九百九十九たす一羽鶴に
まつわる神話」という長い散文詩を発表している。その作中には999個の
「ぱた、ぱた、ぱた」という擬態語が出てきて度肝を抜く。この作品によって中
島の想像力は文字通り羽ばたき始めたといってもよいだろう。
「獣の眼」というすぐれた幻想小説集をもつ堤盛恒は、「新郷土」という中島
も編集協力スタッフをつとめていた県文化課の雑誌で、「その同人雑誌にと
って存在意義となるような作品が載ることは嬉しいことである」と批評してい
る。また同人の一人であった広瀬英子の高校生の娘は「ぱた、ぱた」の部分
にピアノで曲をつけている。
その他、2号には「大寒物語」という詩、3号には「旅その後」、4号には「柿
の木のある家の子のために」という散文詩、5号には「沙悟浄の現代性」とい
う評論、6号には「九百九十九たす一羽鶴にまつわる神話・補遺」という台詞
体の詩を発表している。
「ずいじ版」では「泣き太陽・でんぐり返り太陽・やり太陽」などの言葉を切り
貼りした「核分裂反応」という絵詩の試みを発表し、絵描きの服部大次郎氏
らから好評を博したりした。また「いっぽん杉」という散文や、短歌抄もたくさ
ん発表している。
一方、「ペン人」1号からは「へのもへ日誌」シリーズとして、「予兆」「かっく
んちゃん」「ロビーとジギタリス」「秘密クラブ」「交わりの樹」「河」などの短編
小説、3号からは「ほていあおい」「植者的人間」「生霊」「真夜号漂流」「松原
へ」「卑弥呼まで」などの中・長編小説を次々と発表している。ちなみに「への
もへ」というタイトルは、初期の短編の小見出し「あらかじめうしろ姿の人形の
哀しみなんぞへのへのもへじ」という短歌からとられている。この最も創作意
欲の旺盛な時期に、福岡の「ALL SPICE」という詩誌では、詩人の上村育也
による「中島虎彦論」が書かれている。
これらの小説はすべて障害者とりわけ頸髄損傷者が主人公となっていて、
電動車いすも頻繁に登場する。これ以前の日本(あるいは世界)にはほとん
ど例のなかったことである。(詩における星野富弘とともに)、頸髄損傷をはじ
めとする四肢マヒ者の実態、とりわけ精神世界を世に知らしめたという意義
は評価されるだろう。しかし、星野と同様中島にそんな意識はほとんどなか
ったことだろう。
8号の「ほていあおい」は、町の身障者団体の研修バス旅行で、かつてキリ
シタンが弾圧されたバラ城址を訪れる話だ。何百もの農民の首が刎ねられ
たというお堀の跡に、今ではホテイアオイが掌を合わせたように生い茂り、そ
れがいっせいに飛び立ってくるという幻想小説である。
9号の「植物的人間」は、ある日右肘に原因不明の瘤がぷくりと腫れあがっ
た主人公が、町の医院を受診するとなんとそこに高校時代の親友で消息不
明だったネコツカが精神科医として働いている。彼はサーフィン事故で植物
人間となった若者を抱えて難儀しているふう。彼の診察は埒があかず途方
にくれていると、天皇の御幸のパレードが通ったり、彼がソファーの陰で看護
婦との乳繰り合いを当てつけたりする、というような幻想小説である。「植物
人間」とは屈辱的な呼び名だが、「植物的人間」と書かれると何やら哲学的
な風貌を帯びてくる。こういう造語のセンスが中島の真骨頂であろう。
そのうち10号の「生霊」では、頸髄損傷の若者の尻と車いすがある日癒着
してしまい困惑していると、今度は妙な噂が伝わってくる。彼とそっくりな人物
が遠く離れた街をさまよっていたというのだ。しかもわいせつな狼藉を働いて
いるという。幽体離脱ではないか、いや生霊ではないかという話になり、新聞
記者や刑事がやってくるが、彼にはどうすることもできない。そのうち生霊の
振る舞いがますますエスカレートしてゆき、彼の家にだんだん近づいてもく
る。彼も何らかの態度を迫られ、いよいよ田園へ対決に出かけてゆくという
長編小説である。この作品によって中島は自らの想像力を解放する術を決
定的に身につけたといわれている。小説での代表作といってもいいだろう。
11号の「真夜号表流」では知的障害者の中年男が、両親の愛ゆえの子殺
しから身を守るため庭先のスチール製物置に立てこもり、洪水にあって絶海
の孤島まで流されるというSFを描いている。この作品では当事わりあい珍し
かったワープロの作字機能を駆使して、独自の造語を印刷して散りばめるな
どの試みをみせている。ごく一部の熱狂的なファンはついたが、保守的な風
土の中ではほとんど黙殺された。
17号の「松原へ」では、唐津市の名勝「虹の松原」を電動車いすでさまよ
い、車いすでここまで入りこんだのは自分が初めてだろうと感慨にふけって
いると、一番奥深いあたりで砂にタイヤをとられて立ち往生する。長さ5km、
幅1kmの松原内には人っ子ひとり見当たらず、深甚な恐怖にとらわれる。そ
こで下世話な天女に出会うが、「城」誌の白石すみほから「女性が書けてい
ない」と批判される。
しかし平成2年の「卑弥呼まで」(13号)では第20回「S氏賞」を受賞してい
る。「S氏賞」とは佐賀県内の同人雑誌(7誌ほど)に発表された小説のうち、
その年の最優秀作に贈られる、唐津市の有志S氏による私設文学賞で、賞
金は10万円)。電動車いすで受賞したのは中島が初めてである。
これは平成元年の吉野ヶ里遺跡発掘フィーバーにともなって、社協のリフト
車で訪れた電動車いすの男が、卑弥呼に乗りうつられた外国人女性の狂乱
に巻きこまれ、ひどい目に遭わされながらも、電動車いすを置き忘れて駆け
もどってくる、というハッピーエンドの幻想小説である。ちなみにこの小説が
元で実際の吉野ケ里遺跡の物見やぐらに一般の見学客も上れるようになっ
たのではないか、と言ってくれる人もある。
この小説について批評家の池田賢士郎氏は「地域における創造、という私
たち(地方在住の作家たち)にとって何より大切な課題に真っ向から応えよう
としていて、この点が佐賀においては稀有のことだと思われる。中島虎彦は
(きびしい現実にしっかりと足を踏まえながら、想像力を解放するという)方法
的な新機軸を生み出したのだ」と評価している。
その翌年には、「卑弥呼まで」にみられる吉野ケ里遺跡フィーバーをさらに
パロディにした「ヨジノガリ五段活用」という戯文を発表して、「ヨジノガレ」「ヨ
ジノガロウ」などという活用を編み出し、先の池田氏から「佐賀人が自らの手
で流行語を生み出しうるとは思いもよらなかった」と喝采を得ている。ただし
「吉野ヶ里フィーバーが過ぎ去ればさほど面白くは読まれまい」と釘を刺して
おくことも忘れていない。
「へのもへ日誌」シリーズの他にも、「真昼の散歩者」「かれらの進化論」な
どという散文詩、。また失われた精子へのノスタルジーを描いた「地底の王
国」というSFや、猫にまつわる言葉遊びを散りばめた大人のための童話「ね
こづくしの原」や、差別語に対するヒステリー気味な対応を逆説的にパロディ
化した「言葉たちを責めないで」などもある。中には自分の身体を一本の管
に見たてて口から肛門まで旅をする「すかんぽ」などという壮大な実験作い
や失敗作もある。
4号の「続続とと」(10万字)では、精神分裂病の入院患者が夜な夜な院内の
公衆電話から「いのちの電話」に悩み相談をもちかけるが、相手の相談員は
実は幼いときに自分を捨てた母親であったというからくりが仕掛けられてい
る。全編電話の会話体で書かれた異色の小説である。「タイトルがふざけす
ぎている」という批判もあったが、「WE’LL」誌の編集スタッフでフリーライタ
ーの加藤薫氏は「だまされていることの心地よさ」と指摘している。
15号の「ある研修報告」では、メセナによる障害者海外派遣事業によってと
ある福祉先進地を訪れた頸髄損傷者が、その街の住人にはみんな身体の
どこかに一つずつ「瘤」があることを発見する。それは身体中の公害物質や
毒素を一箇所に凝縮して体外に突出させることで、その他の部分を清浄に
保つための長年の知恵であり、これこそ本当の先進性であったという、荒唐
無稽なSFである。ラストシーンでは「瘤塚」という奇っ怪な塔が出てきてペー
ソスを誘う。
23号には「キンパンジャーの日々」という短編小説集を発表している。これ
は佐賀の方言を「ゴットイ酒店」「ジュッタンブー広場」などとカタカナにして活
用したもので、他誌に発表した「アスコンタイの人々」「オロホンポーの小景」
などとともに、これら方言シリーズも中島の最近の取り組みの一つである。そ
れについて先の池田賢士郎氏は「今はまだ誰も何もいわないが、いずれ評
価されるときがくるだろう」と予言している。
「もちろんそれらの間には、そもそも創作の出発点であった短歌も脈々と
書かれており、「吊るされる十首」「あらぶからあぶらの出なくなるとき」「キャ
ベツ畑はちょうちょうだらけ」「超三流エロ劇画誌群」「額(ぬか)に釘」「聖子ち
ゃんを殴って」「爪に星の」「鳥瞰図」「私についての十章」「路上の虎」「いつ
も見るみどりとたまに見るピンクの対話」「丸ぼうろとマールボーロほどのち
がい」「精神の鱶」「氷菓子ナタで割られよ罪と罰」などの抄が口語自由律で
組まれている。これらはあくまで一行の詩として発表されていて、現代詩の側
から幾分評価されることはあっても、歌壇からはほとんど黙殺された。
そうこうするうち、「ペン人」20号には「障害者の文学」という評論を一挙掲
載する。これは古今東西の障害者たちの文学作品に的をしぼって、「お涙ち
ょうだい式」「どっこい生きてる式」「抵抗詩」「信仰の文学」「自然の写生」「想
像力の世界」などに分析した無謀とも思える大作である。しかし大きな反響
を呼び、「脊損ニュース」に二年あまりにわたって転載され、平成9年には人
権問題を中心に扱っている東京の明石書店から企画ものとして出版され、
中島にとって初めての印税収入をもたらした。地方の無名な障害者の書き
手にとっては異例のことであろう。(詳しくはこの書評欄を参照)。この頃から
他の雑誌や新聞からの原稿依頼も増えてくる。
評論ではほかに、私淑する歌人草市潤氏を端的に論じた「K氏極小論」
や、都市部のブルセラ・ショップの流行をきわどく分析した「ぶるせら・バイバ
イ」や、平成11年の乙武くんブームを批評した「五体不満足の満足度」もあ
る。また「ペン人」のシリーズ・コラムである「新7個のアンケート」では、ゲスト
の精神科医で「BOUGH」誌編集者の関口宏氏らとスリリングな議論を展開
している。関口氏は中島について「嬉野の地に菩提樹のように根をおろして
いる」と評している。
一番最近の24号には自作の英訳俳句50句を和英対照で載せた「月のない
夜の月見草」、25号には同じく自作の英訳短歌100首を載せた「夜明けの
闇」を発表している。これらは中央の商業俳誌や歌誌や外国の識者にも寄
贈されているが、俳壇や歌壇からは(俳誌「百鳥」主宰の大串章氏を例外とし
て)相変わらず黙殺されている。
平成11年の25号のあとがきでは、同人たちの無関心にこらえかねたように
中島は「ここらで発展的解消を遂げてもいいのではないか」と提言している。
それに対して「灯を消さないで」という声が主に外部からいくらか寄せられて
いるのがせめてもの救いであろう。
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