2003/9/12  16:47

寄鍋BBS過去ログ“アイヌ問題”D  五歳
2285 【あんぷら】

★ 2003/09/12(Fri) 15:56

アイヌ語で、じゃがいものことらしい。
秋田県の牡鹿半島の付け根にある
とある町のおじいさんが言った。
「あんぶらもち?ああ良く食べるよ。
あんぷらはアイヌ語で馬鈴薯のことだ。
ジャガイモとも言う。
米をあんまり食べないように(節約のために)
米とあんぷら混ぜて団子にして食べるんだ。」
おじいさんの言い方がとっても自然だったんで
印象的だった。


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2284 【ひとり言】


★ 2003/09/12(Fri) 00:17


  「銀の滴降る降るまわりに金の滴降る降るまわりに」
  という歌を私は歌いながら下を眺めると昔の若者が
  一心にキーを叩いております。

という恰好なのだろうと思うと、一人で笑ってしまいます。
うまく纏められれば久しぶりに新しいコーナーをMyHPに開けます。

 先ずはこのように「宣言」、即ち背水の陣を敷いておくと致しましょうか。


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2274 【↓ しくじった!】


★ 2003/09/09(Tue) 22:41

 下記「知里幸恵文学碑」のURL、入れたつもりだったのだけど、ゴメン。

  URL:http://www7.plala.or.jp/nats_n/shizuku-atogaki-b.html




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2273 【はまってしもうた (@_@)】


★ 2003/09/09(Tue) 22:31

 姫だるまさん、ご意見ありがとうございます。私はあれからズゥ〜と「アイヌ」関連のHPを探り続けています。
 そこで気づいたことの一つ二つです。

 まず、「口承文学」の誤解?です。私は、「口承」の2字から「古事記」のようなもの、「節まわし」があるということから「お経」とか「浪速節」様の形で、歴史物語や説話の様なものかと早合点をしていたようです。しかし、札幌市広報に「口伝文学」とあり、また他所では「口頭文芸」とも言うっていましたので、「アッ!」と思いました。私たちが用いる「活字文化」が、文字のない社会では「口承(口伝)文学」と言う形で作品化されるのだ、と。

 と、すると「アイヌ神謡集」にある「梟の神の自ら歌った謡『銀のしずく降る降るまわりに』」は、知里幸恵さんご自身の創作にかかる作品ではなかろうか、と、読み返しました。

 その中の「貧乏人の子」とは、紛れもなく幸恵さんご本人のように受け止めました。進学をなさった職業学校でただ一人のアイヌとして「お前らの来るところではない」と疎外され、先生からの「級長」への内示にも身を隠す想いで辞退し続けた彼女の姿を想い描いてみました。

 ちなみに「梟」は、わたしは夜行性という故で好ましい印象を持っていなかったのですが、諸外国では「学問の神」なのだそうですね。室蘭工業大学ではシンボルマークとデザインされています。

 私は、この梟の神 Kamuichikap kamui がもたらした歓喜の思いに、幸恵さんが金田一さんによって気づかされたアイヌへの誇りを感じました。
 そして、敢えて言わせていただくなれば、「二人三人でも強い人が出て」きて「歩をならべる」(俗人である私はここで「諍い」を思い浮かべてしまう)よりも、多くの人々が金田一さんのようにアイヌ文化をそのままに理解・評価をしてほしい、という自然児の幸恵さんの願いを

 「私も人間たちの後に坐して 何時でも 人間の国を守護っています。
  と、 ふくろうの神様が物語りました。

に読みとっています。この願いが有史以来「自然と共に」というか「自然の中」に溶け込んで生き抜いてこられたアイヌなのか、と。

 だから、お互いに必要とするものを、必要とするときに交換しあってきた「アイヌ」中へ「金・銀」という新たな価値を持ち込んで優位性を主張する者たちへの比喩も含んでの「訴え」なのか、と。その「罪」も考えてしまいます。

 まだまだ読み切れていません。どうぞよろしくご教示を !!。

 Ps:北海道の大地(実は幸恵さん母校あとの北門中学校校門前)を踏まえた「知里幸恵文学碑」!素晴らしいです。


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2268 【序文。】


★ 2003/09/08(Mon) 03:28


> いずれも日本語「到来」以前からの口承なのでしょうに、「日本語訛り」の言葉が入っていることに私は驚いています。

「アイヌ神謡集」を読み進めていきますと、「銀のしずくふるふるまわりに、金のしずくふるふるまわりに・・・」を、語り手の神(ここではフクロウ)になりすました語り手(ユカラクル)が物語の中でたくさんうたうのです。
そのフクロウにいじめをはたらく和人の子どもたちに、貧しいアイヌの子どもが立ち向かいます。
アイヌの子どもと祖父母は、そのフクロウを丁重に迎え入れ、フクロウはその晩、天井から「美しい宝もの」、「神さまの宝もの」を降らせます。
この時にまた「銀のしずく・・・金のしずく・・・」がうたわれるのです(うちのダブルっちちゃんはこのシーンが一番雅やかで好きなようです)。
ここから「シロカニぺ」、「コンカニぺ」は金銀財宝の意味もあるように取れますが、「アイヌ神謡集」ではただ、フクロウという神は、貧富の差のない社会や村を作る大きな力を有している、ということを末代に伝えたかったように思われます。
神は耳と耳のあいだ(つまり、脳や心ですね)に坐って、アイヌの貧しい一家の夜の夢の中で、自分が恵みを降らせたことを知らせるのですよ。
神とアイヌは、夢で対話しあっていたのですね。
物語は、アイヌの貧しい一家が、村の皆に酒やごちそうをふるまって人々の心をやわらげ、祖父は村の長におさまり、村の平安は守られたところで終わります。

 知里幸恵は「アイヌ神謡集」序文において、おやじっちの心に突き刺ささる文言を、なぜ残したのだろうと考えました。ワタシの直感では、知里幸恵はおそらく孤独でアイヌと向き合うことを強いられ、どこにいても、何をしていても、社会が自分というアイヌをどう見ているか、どのように噂しているかに付きまとわれていたのではないだろうか、その結果、進学や就職、結婚の夢を捨て、自分ひとり生きて行く糧が得られれば良しとする厳しい生き方が、一〇代の彼女には自分にふさわしく見えたのかもしれない、と思いました。
 そして、同じ序文の「時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく、激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座います」に、素顔の知里幸恵がいるとワタシも思うのです。「銀のしずくふるふるまわりに、金のしずくふるふるまわりに」の訳文も、素顔の知里幸恵が書かせたものだと思っています。

 「アイヌ神謡集」に出てくるアイヌ語の「カッコクハウ」は「カッコウ鳥のような」と訳されています。アイヌ語と日本語とに、似ているものが確かにあります。ただし、これを言うと、母国語を歴史的に奪われ日本語を強制されたアイヌの人たち、アイヌ語を外国語として認めてほしいと願うアイヌの人たちの気持ちを踏みにじるからではなく、比較言語学の立場から、はっきりしたことは言えない、が正解のようですね。一方で、先日少しふれたあの萱野茂さんが、アイヌ語地名の角度から「北海道の本当の持ち主はアイヌ民族である」という仮説を立て、歴史観の見直しを迫っておられるので、最後に紹介しておきます。

 今から百三十数年前、三重県三雲町出身の松浦武四郎という方が当時のアイヌモシリ(アイヌの静かな大地)へ来てアイヌから聞き書きした地名を残しています。それを北見市「まるせっぷ」の秋葉實さんという方が調べると、八千ヶ所あったといいます。萱野茂さんが生まれ育った二風谷のアイヌ地名で、松浦武四郎が書き残したのは一四ヶ所だけでした。しかし、萱野茂さんが実際に知っている二風谷のアイヌ語地名は七二ヶ所あり、これは松浦武四郎の五倍です。ということは、八千ヶ所の五倍の四万ヶ所のアイヌ語地名が北海道にはあることも予想されるわけです。また、登別、幌別、何々別の別は川という意味、長知内、振内、の内は沢という意味であり、現在北海道で別と内の付く地名は六百ヶ所、東北六県では二八〇ヶ所あり、これらの地名から見ても、北海道がもともとアイヌ民族の国土であったことはまぎれもない事実だというのです。
 先月発売された「アイヌ神謡集」CDの売れ行きは好調だそうです。萱野茂さんの説が立証されると、今度は「アイヌ訛り」の日本語探し・ブームが起きるかもしれませんね(笑)。

by 姫だるま


2267 【Re:もう一個】


★ 2003/09/06(Sat) 15:25

 姫だるまさん、

 いつも、いつも、的確な、しかも厳しいご示唆を賜りましてありがとうございます。心から御礼をもうしあげます。
 「アイヌ神謡集 序文」、悲しい書き出しを辛い思いで読み進み、最後に綴られた翻訳者の「願い」に突き動かされて、今日まで「波乗り (^^)/~~~」?を続けていました。

 初めは単なる書き出しと受け止めていた

 「その昔此の広い北海道は、私たち先祖の自由の天地でありました。」

の一行が、

 「アイヌに生まれアイヌ後の中に生いたったわたしは、雨の宵、雪の夜、暇あるごとに打集まって私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極小さな話の一つ二つを拙い筆に書き連ねました。」

と続いてきたとき、とてつもなく重たくなってしまいました。

 さらに「波乗り」中、いつものようにズレてきました。

 北海道にあって、「アイヌ文化」の紹介・振興に努めておられる藤本英夫さんは、「銀のしずく・・・」にはじまる「詩」の下記書き出し部
「“Shirokanipe ranran pishkan,  銀の滴 降る降る まわりに,」
(文字のないアイヌ語を、原書はこのように左ページに原語をローマ字表記で、それに対比させて右ページにその和訳という構成なのだそうです)をこのように解釈をなさっておられます。

 「Shirokanipe」の「Shirokani」は、日本語の「シロガネ」が「シロカネ」→「シロカニ」と変化したアイヌ語で、「銀」のこと。

と。
 ユーカリには3種あってこの「神謡」はその中の一つだそうですが、いずれも日本語「到来」以前からの口承なのでしょうに、「日本語訛り」の言葉が入っていることに私は驚いています。

 このような私の受け止め、どこかで(が)違っているのでしょうが、訳者が残された

 「愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずるために用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱気ものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事でございます。」

というお言葉が、より切なく、辛く、痛く、残るのです。
 


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