2020/11/30

四国八十八ヶ所霊場巡拝の旅〔其之拾参〕 第48番〜第51番  Ohenro88

  11月25日〜12月4日(9泊10日) 『四国お遍路さん〔八十八ヶ所霊場〕巡拝の旅』 (13)

第51番・石手寺は、八十八ヶ所霊場のハイライトのひとつ。ミシュラン・ガイドで一つ星の評価を受ける松山を代表する観光スポットとなっています。1318年に建てられた二王門が国宝に指定されているほか、鎌倉末期の建立の本堂、三重塔や、鐘楼など国の重要文化財が6つもあり、お遍路さんの元祖と言われている衛門三郎ゆかりの寺としても有名です。(※衛門三郎伝説は後術します。)道後温泉の東に位置し、コロナ禍にあっても参拝の人が絶えず、地元では、"お大師さん"として崇敬されているそう。もともとは、729年に行基が薬師如来を本尊として開創。813年に弘法大師によって法相宗から真言宗に改宗されました。初めは安養寺の寺名でしたが、892年に衛門三郎の再来伝説によって石手寺と改名。1566年、長曾我部元親による兵火で多くの伽藍が焼失するも、本堂、二王門、三重塔は免れました。国宝の仁王門には巨大な草鞋があり、足腰の病気が治るといわれています。仁王門に限らず、本堂、三重塔のある境内を取り巻く周縁には、人々の願いを叶えようとする願掛けがたくさんあります。それがスピリチュアルな雰囲気を醸し出し、パワースポットと呼ばれる所以かも。来るものは拒まず、何でも受け止めるという精神世界にある石手寺は、雑然とした中にも、人々の悩み、苦しみ、欲望を受け止め民衆と共に存在しているお寺なのでしょう。


【第48番 西林寺】
清滝山 安養院 西林寺(せいりゅうざん あんよういん さいりんじ)
 〒791-1111 愛媛県松山市高井町1007
 [ご本尊] 十一面観世音菩薩
 [ご真言] おん まか きゃろにきゃ そわか
 聖武天皇の勅願により天平13年、行基菩薩が伊予に入り、国司・越智玉純とともに一宮別当寺として堂宇を建立。大同2年(807)、弘法大師が四国巡礼した際に逗留。大師は国司・越智実勝と協議、寺を現在の地に移し伽藍を再興、四国霊場と定め、国家の安泰を祈願する道場とした。

仁王門
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本堂
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大師堂
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【第49番 浄土寺】
西林山 三蔵院 浄土寺(さいりんざん さんぞういん じょうどじ)
 〒790-0925 愛媛県松山市鷹子町1198
 [ご本尊] 釈迦如来
 [ご真言] のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
 天平勝宝年間(749〜757)に孝謙天皇の勅願で、恵明上人が行基作の釈迦如来像を本尊として祀り創建。後に弘法大師がこの寺を訪ね、荒廃していた伽藍を再興。最盛期には、66坊もの末寺を持つタイ寺院であった。 

仁王門(修復工事中)
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本堂
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大師堂
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【第50番 繁多寺】
東山 瑠璃光院 繁多寺(ひがしやま るりこういん はんたじ)
 〒790-0912 愛媛県松山市畑寺町32
 [ご本尊] 薬師如来
 [ご真言] おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
 寺は松山城をはじめ松山市街、瀬戸内海まで一望できる淡路山の中腹に位置。天平勝宝年間(749〜757)に孝謙天皇の勅願により、行基が薬師如来像を彫造して安置し建立。弘仁年間(810〜824)、弘法大師が巡錫し、四国八十八所第50番霊場に定めた。

山門
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本堂
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大師堂
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【第51番 石手寺】
熊野山 虚空蔵院 石手寺(くまのざん こくぞういん いしてじ)
 〒790-0852 愛媛県松山市石手二丁目9番21号
 [ご本尊] 薬師如来
 [ご真言] おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
 神亀5年(728)、越智玉純が鎮護国家の道場を建立し、聖武天皇の勅願所となる。翌、天平元年に行基が薬師如来像を彫り本尊に祀って開基。安養寺と称した。石手寺への改称は、寛平4年(892)右衛門三郎再来の説話によるとされる。
 
《四国遍路の元祖 衛門三郎の伝説》
天長年間の頃、伊予を治めていた河野家の一族に衛門三郎という豪農がいました。ある時、みすぼらしい僧侶が三郎の家の門弟に現れ托鉢をしようとしました。三郎は下郎に命じてその僧侶を追い返しました。その後何日も僧侶は現れ都度追い返していましたが、8日目、堪忍袋の尾が切れた三郎は、僧が捧げていた鉢を竹のほうきでたたき落とし鉢を割ってしまいました。その後、三郎の8人の子供が次々と死んでしまいます。打ちひしがれる三郎の枕元に僧侶が現れ、僧侶が弘法大師であったことに気がつきました。己の行動を深く後悔した三郎は、お詫びをするために弘法大師を追って四国巡礼の旅に出かけます。ところが20回巡礼を重ねても会えず、何としても弘法大師と巡り合いたかった三郎は、それまでとは逆の順番で回りますが、巡礼の途中、阿波の12番・焼山寺の近くで病に倒れてしまいます。死を目前にした三郎の前に弘法大師が現れると、三郎は過去の過ちを詫びました。弘法大師が三郎に望みを聞くと「来世は河野家に生まれ、人の役に立ちたい」という言葉を残して息を引き取りました。弘法大師は路傍の石を拾い「衛門三郎再来」と書きその手に握らせました。翌年、河野家に左手を握りしめた男の子が生まれました。両親が道後の安養寺へ連れて行き祈祷してもらうと、拳から「衛門三郎再来」と書かれた石が出てきました。その石は安養寺に納められ、寺の名を石手寺と改めました。

衛門三郎像
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渡らずの橋(弘法大師が渡ったとされ、以降、橋を渡ってはいけないといわれる。)
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仁王門(国宝)
文保2年(1318)河野通継が建造。高さ7m、間口3間、横4m、二層入母屋造本瓦葺。
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本堂
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大師堂
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都卒天洞八十八か所霊場(マントラ洞窟入口)
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三重塔
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訶梨帝母天堂
子受け鬼子母神。堂の前にある石を持ち帰ると子どもを授かるといわれる。
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日中友好弘法大師像
高さ(16m)日本一の大師像、体は中国、顔はインドを向いているのだそう。
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