2021/10/8

四国八十八ヶ所霊場巡拝結願 お礼参り 〔大 門 〜 壇上伽藍〕  Ohenro88

『四国八十八ヶ所霊場巡拝結願 お礼参りの旅(10月7日〜8日)』 大門 〜 壇上伽藍
クリックすると元のサイズで表示します高野山を訪れるのは、平成24年(2012)11月3日以来、当時は、神戸在住で京都奈良の世界遺産巡りから『紀伊山地の霊場と参詣道』へ足を延ばした観光目的の世界遺産巡り。時は流れ、今回はお礼参りということで、白衣に輪袈裟、サンヤ袋にはお数珠、納札、勤行本、ロウソク、線香、ライターを入れ、御朱印を頂戴すべく納経帳を持参。訪問目的が違うと装いだけでなく心構えまで違ってくるから不思議です。さて、高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって開かれた日本仏教の聖地。金剛峯寺という名称は、弘法大師が「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)」というお経より名付けられたと伝えられています。「総本山金剛峯寺」という場合は、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指します。高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺です。まず迎えてくれるのは『大門』。さらに進むと『壇上伽藍』となります。伽藍とは、梵語(サンスクリット)のサンガ・アーラーマの音訳で、本来僧侶が集い修行をする閑静清浄なところの意。高野山金剛峰寺は、弘仁7年(816)弘法大師により開創されましたが、その造営は壇上伽藍からはじめ、密教思想に基づく金堂、大塔、西塔、僧房などを建立しました。壇上伽藍は、胎蔵曼荼羅の世界を表しているといわれています。高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所にあり、古来より弘法大師入定の地である奥之院と並んで、信仰の中心として大切にされてきました。諸堂多く、見どころいっぱいの壇上伽藍。金堂と根本大塔は内部拝観できましたが、他の諸堂は外観を眺めつつの壇上伽藍ひと回り。伽藍御供所では、金堂(薬師如来)の御朱印、大塔(大日如来)の御朱印2つをいただきました。根本大塔などは夜ライトアップされるとのことで、当夜は宿坊泊りなので、夜、再訪する予定。夕方ということもあり巡拝者、観光客もほとんどなく、静寂さが身に染み入る壇上伽藍でした。

【大 門】
クリックすると元のサイズで表示します
高野山の入口にそびえ、一山の総門である大門。五間三戸の二階二層門、高さは25.1m、左右には金剛力士(仁王)像が安置。この像は、東大寺南大門の仁王像に次ぐ我が国二番目の巨像と云われ、江戸中期に活躍した大仏師、運長と康意の作。1705年再建。


【壇上伽藍】 根本道場 大伽藍  〒648-0211 和歌山県伊都郡高野山町高野山152

中 門
クリックすると元のサイズで表示します
金堂の正面手前に立つ五間二階の楼門。持国天像、多聞天像、広目天像、増長天像の四天王が安置。2015年、高野山開創1200年を記念し再建。


金 堂
 [ご本尊] 薬師如来  [ご真言] おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します
高野山一山の総本堂。本尊と両部曼荼羅を修法する3壇をもつ密教の大堂。弘法大師私願の堂として造営、完成後は嵯峨天皇御願の堂とされた。四隅の八供養菩薩と裏堂の壁画は木村武山画伯の筆。両部曼荼羅は平清盛が自らの額を割った血で中尊を描かせた"血曼荼羅"。1932年再建、1934年落慶。
 

根本大塔
 [ご本尊] 大日如来  [胎蔵界ご真言] のうまくさんまんだ ぼだなん あびらうんけん 
クリックすると元のサイズで表示します
伽藍中心の塔として弘法大師と真然の二代を費やし816年から887年頃に完成。高さ約50m、四面30m中央に胎臓大日如来、四方に金剛界四仏、周囲16本の柱には堂本印象画伯筆の十六大菩薩を配して曼荼羅を立体に顕す。壁は同画伯筆の八祖大師。1937年再建、1996年外壁塗り替え。


御影堂
クリックすると元のサイズで表示します
元は弘法大師の持仏堂。大師ご入定後、実恵僧都が師の御影を安置する堂とした。


不動堂 【国宝(昭和27年3月29日指定)】
クリックすると元のサイズで表示します
928年、金剛峯寺座主済高大僧都の創建。現在の建物は1816年再建。


六角経堂 (荒川経蔵)
クリックすると元のサイズで表示します
1159年、皇后であった美福門院得子が夫の鳥羽上皇の菩提を弔うために創建。1934年再建。


大塔の鐘
クリックすると元のサイズで表示します
弘法大師が発願され、第二世真然大徳の代に完成。3度焼失。現存は1547年鋳造。1日5回、計108の鐘の音が響く。高野四郎の名で親しまれている。


東 塔
クリックすると元のサイズで表示します
1127年醍醐寺勝覚権僧正が白河上皇の御願により創建。1984年再建。


西 塔
クリックすると元のサイズで表示します
887年、光考天皇の勅命により、第二世真然大徳が、弘法大師の遺された"御図記"に従って大塔に続いて建立。1834年再建。


三鈷の松
クリックすると元のサイズで表示します
松葉が3本という珍しい松。弘法大師が唐から伽藍建立の地を占うために投げた三鈷が掛かったと伝えられる。


御 社(みやしろ)
クリックすると元のサイズで表示します
高野山開創にあたり、819年に弘法大師が、結界守護のために勧請。当山地主神の丹生・高野両大明神を祀る本殿2社、十二王子及び百二十伴神を祀る総社の3社から成る。


六時の鐘
クリックすると元のサイズで表示します
伽藍の入口の高い石垣にある鐘楼。福島正則が父母の追福菩提を祈り1618年に建立。1640年に再鋳。今でも午前6時〜午後10時まで偶数時に時刻を知らせています。

0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ