作品は 原始幻視で 出来上がる 不思議だけれど 暑さのせいか
今年は初夏のような空梅雨で、
畑のスプリンクラーはまだ見かけないが農家は困っているだろう、
我が家でも猫の額ほどの庭の花や木に毎日水やりしている。
あいかわらず猫の世話や家族の送迎など日常の雑事にまみれ、
運転しているとき以外は家の中をうろうろして、
落ち着いて絵を描いたりPCに向かえないこの頃。
そのような生活の折に触れても現実離脱する瞬間があり、
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」という文字を見て、
作者名と作品名の両方に馬があるキーワードで霊感が閃く。
現実的タイプなのに本来無いものを見てしまうようで、
目に見える様を写実するのはリアルであってもそれだけだと思えて、
絵は目に見えない世界こそ描くべきと考えるようになった。
それでもオカルト世界は不気味で不可解ないので、
幻影や呪術や魔力などに近寄らないようにしているのですが、
気が付くと自分でもわからないシュールな絵を描いてしまう。
神秘主義やオカルトというのは、
自然のうちには神秘の隠れた力が存在するという信念に、
由来する思考だから特に異常な事ではないのだろう。
馬の絵を描くにもイメージが飛躍して古代にまで想いを馳せ、
邪馬台国に馬という文字がナゼあるのか等と
邪悪な馬なのか?馬の魔力なのか?と気になって仕方がない。
邪馬は倭(和)の中心を表すという意味だそうですが、
その発音(やま)たいから(やま)とに変化して、
日本人のルーツ大和の国へと変遷していったのだろうか。
中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された古代日本の謎、
邪馬台国は朝鮮半島から対馬(ここも馬?)を渡り行き着いた先の
九州か近畿かと今もその場所をめぐり論争が続いている。
弥生時代と古墳時代の間の古代国家は男王では混乱して、
中国にいない女王の卑弥呼が邪馬台国を治め死後は、
卑弥呼の親族の少女の台与(壹與あるいは臺與)が王に立てられた。
邪馬台国では三角縁神獣鏡を使い宗教的儀礼が行われていたそうで、
魅惑的な魔性の卑弥呼(卑しい巫女か?)に誘われるように、
永遠のロマンとして夢幻の絵を描いてしまった。
馬絵の新作描き下ろしアートご覧いただければ幸いです。

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