「お宅の前でピタリ停まれましたよ」とその来訪者は言った。普通は目的地周辺ですというナビの音声に停車してから付近の人に尋ねたりするのだが、と驚いたようにつぶやいていた。ネットとナビで辺鄙な拙宅へも容易になり、普段あまり来客は無いのに、近頃は遠来の訪問者があり、来る者は拒まず、去る者は追わず、を信条としているが、慣れないことなので緊張して落ち着かない。
様々な人達のお陰で仕事をさせていただいているのに、孤独でないと絵を描く仕事に集中できない矛盾にバランスをとったほどほどの田舎暮らしなのだと納得している。宗教とは無縁だが修行僧のように蟄居し絵を描く暮らしも自己責任で生きるため自分で無意識に選択しながら僥倖を当てにした人生なのだろう。
他の仕事の合間に少しずつ描き続けた絵もようやく完成に近付いてきた。当初この絵の依頼があった時に困惑している私に「もう同じには描けないんでしょ」と妻に言われた。日頃パソコンで絵を描いているのでキャンバスに絵の具描きは体力的に衰えて若い頃のようにはもう描けないだろうという意味のようだが、それなら締め切りまで余裕があるので40年以上前には描けなかった部分までゆっくりと時間をかけて描き尽くしてみようと思った。
今は手元に無い自分の過去の絵を再現するように再び同じ絵を描くのは創造的ではないとの抵抗感があり本意ではなかったが依頼主との友情から断るわけにはいかなかった。それにどのような絵でも仕事になればプロ意識が働く。昔に描いた時と現在とでは絵に対しての考えは変わらないのに、イラストレーターとして依頼されるままに様々なスタイルの絵を描いてきて私のアートを見失いそうになっていたことにも気付かされ感謝している。
絵に対しての考え方というのは、ただ写実的に表現するのではなく、独自の視覚を表現することだと初期の頃から考えていて、この仕事は私のアートを再認識する良い機会になってくれた。もちろん、アートだけではなく今まで通りイラストレーションも生活のため並行し続けなければならない。
制作中の絵です。(It is during paint now.)

2014.2.16,Copyright(C)2014 AoiFujimoto. All Rights Reserved.

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