久しぶりに車で東京へ行ってきた。首都高速を通り西神田ランプを出入りして懐かしさで感慨無量だった。と言っても拙宅から高速道路でわずか1時間半ほどの短距離なのだが、ここのところ何十年も行くことは無かった。以前は毎月何回も東京へ車で通い、出版社の打ち合わせ等に夜でも編集部へ駆けつけていたものだ。日常の足に車が必要な自然豊かな所に住み生活行動が地域に馴染んでしまったので今では東京へ行くことは無くなってしまっていた。
ほとんどの仕事の用事はネットで事足りるようになり、出向く必要も無くなったからだ。大きな出版社は専用の駐車場があるので問題はないが、やはり都心で駐車できる所が少なく不便だからで、有料駐車場の空きや駐車時間を気にしなければならない。それでも車載カーナビとスマホの地図など車移動には大変便利な時代になっていて、東京以外では時々車で遠出することがある。ETC車載器にカードを挿入しても音声が出なくなりETCが壊れてしまったのかと心配していたが、東京へ向かう高速道路進入口でバーが勢い良く跳ね上がったのでホッとした。
この空前絶後の東京行きは恩人の絵画作品展に行くためだった。この展覧会というのは当時お世話になった編集者の遺作展で、出版社を定年退職されてから恩返しもできないまま故人になってしまわれた。その編集者のご自宅へ招かれたり、拙宅へもご夫妻が遊びにこられたこともあった。ご夫妻共に絵画制作に励んでおられ、見事に主催されたご夫人の想いと故人の余生が窺える展覧会だと思った。今回のような故人を偲ぶ会には人と会わなければならないので是非とも駆けつけなければならなかった。
会場は神田神保町にある某有名画材店ビルのギャラリーだった。事前にネットで下調べした直近の有料駐車場に車を停めたが、見覚えのある通りに面していたので驚いた。なんとそこは編集者たちと昔連れ立って打ち合わせ用の喫茶店へ何度も歩いたスズラン通りで胸があつくなった。会場には旧知のご夫人と出版社を定年退職された元編集者の皆様が集っておられたが、その中の見覚えのありそうな人に挨拶し名刺を差し出すと私の名前を憶えていただけていたようで嬉しかった。そして皆様と昔話に花が咲いてしまったのは言うまでもない。合掌
若者ことば
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