2019年9月9日未明の千葉県直撃台風15号により電柱や電線が被害を受け大停電発生(9.9)、各地で観測史上1位の最大風速や最大瞬間風速を観測し、ライフラインの電気が使えない停電難民になった。東日本大震災(3.11)の時には千葉の自宅は停電が1日半くらいだったので台風の停電は二日位だろうと家族は話していたが、私は一週間続く妙な予感がした。自宅は屋根のTVアンテナと棟おさえ板や瓦なども吹き飛ばされ停電したが、それでも家族は怪我もなく元気なので不幸中の幸いだ。我家は井戸水を電気で汲みあげていて、普段から水は3日分程度を備蓄していたが長引くと使えなくなる。スマホは重要な情報源で届く市の防災メールによると約22300軒が停電していて復旧には時間がかかるようだ。まだ残暑厳しく汗まみれで熱中症にならないようウチワであおいでいるが、もう冷蔵庫から異臭がしだしスマホのバッテリー電気もなくなる。成田の会社に勤める娘によると意外にも成田は通電しているらしく会社で洗濯機やスマホ充電などを使わせていただいているらしい。
9月10日停電二日目、自衛隊の災害派遣隊が給水活動していると防災無線放送であり市役所へ行く。市役所玄関前はスマホ充電の長蛇の列、私も最後尾につき玄関ホールに入ると大勢の被災者がイスに座り順番待ちしていた。12時から近くの社会体育館でも充電を始めると市の職員からの案内でイス待ちを離れ何人かと競争するかのように社会体育館へ走り、やっと充電開始できたが、順番待ちの人が多いので満充電しないで途中まで充電し、給水パックの水を貰い次は成田イオンモールへ行くが信号機が機能していないので車は譲りあいながら交差点を通過していた。イオンに着くと先ずマイカーのEV(電気自動車)をイオンカードで無料充電しながらフードコートでの食事やスマホの追加充電などをした後にカップ麺やフリーズドライ食品などを買って帰宅した。
9月11日停電三日目、市内約15700軒の停電になり親類からスマホに連絡があったがうまくつながらず途中で切れた。噂によると携帯電話通信電波塔も倒壊し通信障害が発生しているらしい。スマホの電気が早く無くなるのでSNSなどは見れなくなり、スマホ通話はかかってきた音声は聴こえるがこちらの声が届かないようだ。IHも使えないのでカセットコンロでお湯を沸かしインスタント食品を食べ、懐中電灯とローソクの灯りの夜は早めに寝て朝に明るくなると起きた。隣町に住む長男が様子を見に来たのでカップ麺やローソクを手渡したが、営業しているコインランドリーを探し回っていると言う、その隣町住宅団地のガス水道は早めに復旧したと言っていた。次男が発電機をスマホのネットで注文したと言う。ひたすらウチワであおいでいるしかない残暑が続く。今日も市役所で水を貰い冷房のイオンモールでスマホ充電と食事やトイレを拝借する。屋根の修理を拙宅を建設した会社に依頼したので担当者が下見に来たが落ちた棟押さえ板などを撮影し修理が殺到しているのでいつ修理にかかれるかわからないと言われた。家族からの電話も繋がらないのは通信制限される格安スマホだからかと愚痴ると、突然に妻のストレスが爆発したが同調すると大変なので私は予定どおり市役所へ行き自衛隊の災害派遣隊から水を貰い、その後成田イオンモールへ行き、まずEVを充電駐車場に停めトイレを済ませてスマホ充電スポットへ行くが全てふさがり空くまで近くで待ち1ヶ所空いたので、すかさず充電ケーブルをコンセントに差し無言でスマホの前に座りながら時々充電量をチェックしていると市役所からの防災メールに市内のスーパー銭湯が入浴困難者に無料解放するとのメールを発見した!それで充電口を他の人に譲り急いで自宅へ戻る。妻が以前から関心をもっていた湯楽城だったので妻の機嫌なおしになるだろうと思った。近くに住む娘も誘いに行ったが不在だったので、仕事から帰った次男を誘いタオルなど持参し三人で行った。温泉ではないが広々した宮殿のような風呂で生きかえった。カラスの行水の次男は食事処で湯あがりのビールを飲みながら待っていたのでそこで三人で夕食し帰りのフロントで食事代を精算し麦茶のパックをプレゼントされ湯楽城を出ると夜空に稲光が走った。なんと驚いたことに帰りの市内道路は街灯も家灯りも点灯し電気が復旧しているではないか!これなら自宅の電気も復旧しているかもと期待したが、まだ自宅周辺は見捨てられた暗黒スポットだった。その夜は稲妻が凄く家猫たちも何か不安そうだった。
9月12日停電四日め、市内約9500軒の停電が継続していると防災メールにあり、娘がたまっていた私たちの洗濯物を会社へ持って行ってくれ洗濯し持って来てくれたのでそれを直ぐに干し、日中少し涼しくなってきたが夕方には乾き、それまでの間に今日もイオンへ行き買い物とEVとスマホの充電しながらメールチェックすると仕事先からのメールを受信していて返信したが届いたかは不明、昨日はスマホ充電している人は多かったが今日は少なく電気が復旧してきている気配を感じた。その後娘と孫たちと湯楽城へ行き今日はエントランスの噴水やイルミネーションやサウンドなど華やかで盛大だったので元気付けられた。その帰り近くのスーパーで明日の分の食品を買い帰宅した。
9月13日金曜日停電五日め、市内2100軒の停電が継続しているとスマホの防災メールで知った。昨日湯楽城で近所の農家の方と偶然に会い地域の共同利用施設が通電していると聞いたので、朝のゴミ出し後に施設の水道で水を汲みながら地区の電気は成田と東金の2線が引き込まれていて成田線の家は既に通電していると水汲みに来た農家の方から聞いた。と言うことは我家は同じ地区でもまだ停電なので東金線の方だったのだ。停電の機会に自宅の冷蔵庫扉を全開して庫内の引き出しを全て外して掃除し悪臭の食品を廃棄処分した。その後連日通っているイオンへ行き時間がかかるEVとスマホの充電をしながら買い物や食事で時間をつぶした。帰宅すると次男が買った発電機が届いたので仕事から帰った次男がエンジンを始動させて井戸水が水道蛇口から勢い良く出るようになり、次男は風呂場でお湯シャワーを浴びた。これは井戸ポンプとガス湯沸し器の二ヵ所だけの通電だが水が蛇口から普通に出たので感動した。
9月14日停電六日め、復旧した隣町の長男が来て我家の洗濯物を持って行き洗濯しておにぎりや飲み物などを持って来てくれたのでそれとインスタント味噌汁などで昼食した。次に娘と孫が来たので一緒に市役所へ罹災届出証明書の説明を聞きに行き、水を貰いブルーシートを借りて、いつものイオンへ行きEVとスマホの充電をする。夕方にハシゴを大屋根に掛けていると仕事から帰った次男が登り屋根にブルーシートを被せてくれた。毎日早急に停電が復旧しないかと何度もため息が出るが家族がそばにいてくれ何とか家に居られるので1日も早くPC起動し仕事ができる普通の生活に戻りたいと心から祈った。
9月15日停電七日め、とうとう悲惨な停電が一週間続いてしまい千葉の悲劇がこのままだと耐えられず、精神的にもう限界だ。昨日屋根で次男が被災状態を撮影し娘に会社でプリントしてもらった写真と罹災証明書の申請書を市役所へ提出し、土のう10個と水と非常食を配布された。土のうは屋根のブルーシートを押さえるためで、昨日次男が被せたブルーシートに今日は私が土のうを担いでハシゴを登り土のうを屋根に置いたが、今夜は雨だそうで途中で長男が手伝いに来てくれ夕方帰った次男とで土のう作業を終えた。郵便局とスーパーマーケットにも行ったが、72歳のためか非常に精神的肉体的にも疲れ、明日EVとスマホの充電をしなければバッテリー残りも少なく全て危機的状況だ。夜に発電機を起動し家族で夕食し寝たが、とても長く感じた一週間だった。
9月16日の午前2時半頃に唐突に電気が復旧した!眠れず夜の雨音を聞きながらベッドに横たわっているとスイッチを入れていた照明が突然に点灯したので気がついた。これで今朝から正常な生活ができる!やはり予感した通り我家の停電は一週間だった。市役所では給水、充電、罹災証明書の申請、土のう、ブルーシートの貸し出し、非常食の配布などを引き続き行っている。まだ電気が復旧していない地域の迅速な復旧を祈り、停電期間の経過を思い出しながら励まし助けてくれた方々へ心から感謝した。それにしても先進国で電柱は日本だけだがナゼ電線を地下に埋設できないのだろうか?大規模なビニールハウスが全壊して大損害のため農業を続けられなくなった農家や大きな池で沢山の高価な鯉に酸素をポンプで供給できなくなり全滅した養魚家などの台風と停電の被害を聞き、今回の台風と大停電の2つの九(苦)は9.9として記憶に残った。

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