「あ〜。オモシロかった・・・」 <(^.^)> ♪〜 ・・・と言いながら、いつか死んでいきたい。
『わが家新聞』の「こだわりの毎日」欄です。
2019/11/28
入院された
知人の御母堂が
会いたがっている・・・と、
メールを頂いたので、
取るものも取り敢えずに
病因に駆けつけた。
ただ、
前夜にメマイと体調悪化が
あったものだから
午前中伏せっていたので、
喰うもの喰わにゃ
元気が出んとばかり
前夜に食べれなかった残り物を
「食べる点滴・ヴィタミン剤」
のつもりでしっかり補給した。
礼を失さないように
フルコーデのフォーマル・スタイルで
赴いたら、その緊張感と
ブドウ糖とヴィタミンが効いてきてか
段々と体調が快方に向かい、
病室で40分も笑い話をしていたら
すっかり元気になった。
【病んだ者がまた癒す】
とデルフォイの神託にはあるが、
まさに、そのとおりである。
長患いをされていた
ご子息/子女の方々も
お母様の入院で
体調がシャンとなったという。
なので、
「二つワルイことは、ないもんですねぇ…」
という冗談を言って
笑った。
付き添われていた御長女が、
「入院してから、母がこんなに笑ったのは、
初めてです・・・」
と、お礼申されたので、
カウンセラーとしての
面目も立ったような気がした。
その足で、
こないだの台風19号で
洪水被害の大きかった
昭和大橋を渡り、
あたりの惨状を目にしながら
Tちゃん先生の教会に寄って
病気平癒の「お届け」と
「ご祈念」をさせて頂いた。
それから、すぐさま、
大学に向かって
学内でのギター部定演へ
OB会長として「ご祝儀」を
届けに赴いた。
家→藤田→保原→金谷川→家
というのは、
かなりのハード・ラウンドで
トリップ・カウンターでは
50kmを超えていた・・・。
前日にメマイで倒れ、
午前中は寝養生していたのに、
午後からまた目の廻る
ハードタイムだった。
でも、
御母堂もご家族も
お喜び頂き、
ギター部員たちも
喜んでくれたので、
有り難く思わせて頂いた。
家で一服してから、
夜は、ベトナムから
人材派遣の仕事で「いわき」に来た
元教え子(52)が、わざわざ福島まで
立ち寄ってくれて、
37年ぶりに再会した。
ベトナム人のキレイな奥さんと
2歳の息子さんの写真も見せてくれ、
日本とベトナムとの
「架け橋」となる仕事に
誇りをもっているようで、
頼もしく立派に見えた。
わざわざベトナムから
お土産まで持参してくれ、
金光第一高校時代の懐かしい話に
花を咲かせた。
久しぶりに
大阪弁で話せたのも
楽しく思った。
ゆんべも帰宅後に
体調を気遣ってくれて
メールをよこし、
今朝も東京に発つ前に
挨拶のメールをよこしてくれた。
横浜→大阪と仕事して
ベトナムに帰るそうだ。
立派になって
表敬訪問してくれる
教え子に再会するたびに
いつも思う箴言がある。
ギャンブラーは一瞬の楽しみ
農夫は一年の楽しみ
教師は一生の楽しみ
まさしく、
それを噛みしめるような
再会の宵であった。
今週の土曜日に
医大オケの定演があるので、
プログラムにある
『ザ・グレイト』(シューベルト)
『カレリア序曲』(シベリウス)
『ペールギュント第一組曲』(グリーグ)
のスコア(総譜)をフリー・サイトから
ダウンロードして、
譜読みして予習していこうと思う。
手元にポケット・スコアは
何冊かあるのだが、
さすがに、老眼になってくると
ゴマ粒みたいな楽譜を追うと
首・肩が凝りコリする。
30代の頃は、
心斎橋のヤマハで買った
ドーバー社の安価な大版スコアを
沢山持っていたのだが、
勉強し終わってから
置き場所をとるので
ヤフオクで放出してしまった。
今になって、
それをすごく後悔している。
なので、久しぶりに、
A4版のスコアを読むのが
懐かしくもある。
弱小私家出版もしてるので、
製本は稼業でもあるから、
両面印刷にして製本化し
ベッド・カウチでのんびり
CDを聴きながら
譜読みを愉しみたい。
楽譜を書いたり読んだりしている時が、
けっこう至福の時間なので、
リサイタルが終わって
編曲する機会がなくなって
手持ち無沙汰に思っていた処である。
ギター&フルート用に編曲した
『亡き王女のためのパヴァーヌ』を
ピアノソロ用に編曲しなおそうとも
今考えている。
何のことはない、
ギターとフルートのパート譜を
二段重ねにすりゃイイだけである(笑)。
…:;(∩´﹏`∩);:. アハ…

0
1 | 《前のページ | 次のページ》