「あ〜。オモシロかった・・・」 <(^.^)> ♪〜 ・・・と言いながら、いつか死んでいきたい。
『わが家新聞』の「こだわりの毎日」欄です。
2020/3/12
きのうは
2時46分には、
テレビの前で、
日本中の人たちと
共に合掌して
黙祷を捧げた。
そしたら、
途中から涙が込み上げてきて、
オンオン泣きになってしまった。
震災・原発事故がらみでは
親しかった同僚のS先生が自殺したり、
お弟子さんのCさんのお母様が
津波で亡くなられたり・・・
生徒が消息不明になったり・・・と、
哀しい出来事が多すぎた。
市内18ケ所の避難所では、
野戦病院さながらの
凄まじい光景を目にしてきた。
津波の犠牲者が出た海岸地区にも
幾度も慰霊巡礼に赴いた。
慰霊碑の前で、
慰霊演奏も奉納させて頂いた。
2011.3.11当時の
「追悼演奏」も、まだ、
ネット上に残っている。
http://www.onyx.dti.ne.jp/~yoko-s/alhambra.htm
南相馬では、
高台に避難した百数十名が
両岸から押し寄せた15mの津波が
「波の干渉による合成」で
15+15=30mにもなり、
全員が呑まれて亡くなった。
その驚異的な高さを想像するだに、
やれ安心と安堵していた人たちの
恐怖と阿鼻叫喚の様を思い描くと
カラダが固まってしまいそうだ。
そこに、
高さ5メートルほどの
白い観音像が建立され、
慰霊巡礼に赴いたとき
その前で黙祷させて頂いた。
夜のニュースでは、
一日の各被災地の風景が
映し出されていた。
中でも感動的だったのは、
仙台の繁華街で
その時報が流れると
歩いていた人たちが
みなピタリとその場に止まり
銘々が合掌したり瞑目していた。
『エハン塾』で、
スコットランド人のエハン氏が
同様の風景を目にして、
ものすごく感動したらしい。
「こんな事ができるのは、
世界で唯一、日本人だけだ」
と絶賛し、
「だから、自分は日本に惚れ込んだ」
と言っていた。
さもありなん・・・
である。
これは、「何々教」に関係なく、
古代人が死者の側に
花を共に埋葬したように、
原始的な「宗教性/祈る心」なのだ。
私的格言として
「音楽を解さない者。
祈りをしない者。
これ、もっとも侵略に適した者なり」
と思っている(笑)。
金光第一高時代の元・同僚で、
ギターのお弟子さんでもあった
赤穂在住のガッちゃんから
毎年3.11の日に
「支援物資」が届く。
きのうもメールと共に
ナッツとドライフルーツの詰め合わせが
届いて、嬉しくも有難く、
さっそく頂いた。
3.11当時は、
元・自衛官のご主人が、
遥々、赤穂から
電車・バスを乗り継いで、
10sもある迷彩バッグに
保存食類を山ほど届けて下すった。
原発爆発後の低くない放射線量下で、
大地は数分おきに余震で揺れ、
上空にはヘリが飛び交い、
街中は国防色の自衛隊車両が行き交う、
非日常的な緊急事態の風景が展開されていた。
昨日のメールでは、
今でも、ご主人はその様を
鮮明に覚えておられるそうだ。
⁂
詰め合わせのパッケージが
色とりどりの紙箱に収まっていたので、
全部出してみて、
空き箱を積み木に見立てて
いろいろ組み合わせて
しばし童心に返って遊んでみた。
しばしのプレイセラピーと
カラーセラピーによって、
2時46分の哀しみが
大分と癒された。
そして、
大好きなピスタチオを一袋頂いて、
これまた癒しになった。
好きな食べ物は
「合い薬」という。
だから、
フードセラピーにも
なってんのね(笑)。
ありがとね。
ガッちゃん。
持つべきものは
「愛弟子」だなぁ・・・。
…:;(∩´﹏`∩);:. シミジミ・・・
じつは、2時46分まえに、
朝の連ドラ『スカーレット』を視て、
ひと泣きしてしまった(笑)。
母親のキミコが、
白血病の息子のタケシに
「お母ちゃんが、
ぜったい死なせへんッ!」
と、成人した息子のホッペを
ギュッとつかむシーンに
ウルウルきた。
医師から
余命3年から5年・・・と、
告げられて、ショックを受け、
哀しみのドン底に
親子共に叩きつけられるが、
母親が
「お母ちゃんに任せろッ!!」
と力強く息子に言ったのは
素晴らしかった。
離婚後に
母一人、子一人で
真剣に生きてきた二人だからこその
「厚みのある生」「深みのある生」
であったに違いない。
実話では、
神山清子さんのご子息は
26才で病没する。
当時の医師の
宣告通りだったが、
最近では、白血病も早期治療で
随分と治癒率が上がってきている。
再発しながらも、
元気に生活しているクライエントを
幾人も知っている。

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