「あ〜。オモシロかった・・・」 <(^.^)> ♪〜 ・・・と言いながら、いつか死んでいきたい。
『わが家新聞』の「こだわりの毎日」欄です。
2020/3/14
きのうは
被災特区で全校生4人の
Y中の卒業式だった。
コロナの時節柄、
来賓は教育長一人のみで、
生徒・教職員・父兄とも全員
玄関でマスクを渡されての
厳重な衛生管理のもと挙行された。
卒業生三人は
一斉休校中だったので、
一度きりのリハで臨んだが、
さすがに、9年間同じ学び舎で
過ごした学友どうしとあって、
気ごころがピタリと合って
動作が見事にシンクロしていた。
送辞は、
在校生ひとりの1年生女子の
Aちゃんだったが、
カウンセリングでは
おとなしめの子が、
堂々朗々として心に響く読み様で
驚きもし感激もした。
式後、先生方からも
たくさん褒められていた。
答辞は、三人が壇上にあがり、
三パートに区切って
それぞれ読み上げた。
これも、ふだん頼んなかった
子どもたちが、堂々と
振る舞ったので、
「今の子ぉは、本番に強いんだねぇ・・・」
と、先生方もしきりに感心しておられた。
特別被災地区なので、
これまで、何度も
マスコミの取材が入り、
彼らも取材慣れしていて、
度胸がついたのかもしれない。
この日も、
十数社からの取材オファーがあったらしいが、
校長先生が、厳粛な雰囲気の中で
心を込めて子どもたちを送り出したい
と判断して全てお断りしたという。
たしかに、
取材本位、スクープ命のマスコミは
撮影と「絵柄」の為なら
所かまわずチョロチョロするから、
賢明な判断だったと思う。
幼い頃から、
彼らの成長をずっと見守ってきた
65歳の用務員さんが
この日のために花を育てて
かれらの「花道」となった。
三人とも
毎週のように、
かわりばんこにカウンセリングをしたが、
謝恩式で頂いた色紙には、
「先生の雑談が楽しかった」
と記されてあり、
教員時代の色紙と同んなじだなぁ・・・と、
苦笑した(笑)。
でも、その雑談の中にも、
人生の真実や、「人生深生き」の
カウンセラーのライフ・ビリーフを
織り込んでいるのを、
彼らが長じて気が付いてくれればいいが・・・。
今年、一年間、
新卒ながら孤軍奮闘で
よくコーディネーターを務めてくれた
旧・福女卒のK先生には、
自作の水彩画をプレゼントした。
よく、
「福高・福女コンビだねい・・・」
と冗談を言っていた。
「次の学校の保健室に飾らせてもらいます。
いろいろご指導ありがとうございました」
と、ついでに、
ブログアップの了承も得た(笑)。
なんだか、
自分も“教え子”を
1年コースで
卒業させたような気分だった(笑)。
⁂
副担として三年間、
彼らの面倒を見てこられたR先生は
卒業証書授与の補助者として
凛とした袴姿が素敵だった。
自分は、職員・父兄・来賓一同、
黒系の礼服の中にあって、
ただひとり“尾木ママ”コーデだったので(笑)、
浮いてたこと浮いてたこと・・・(笑)。
。゚(|||´Д`|||)゚。
でも、オメデタイ式での
“寿ぎ”を現す装いだもんね。
オシャレ道は、
半分度胸である。
そして、ハズイ気分を隠して
堂々としていることである。
ハダカよりましだ、
くらいのつもりで・・・(笑)。
ほんでも、いろいろ気ぃ遣って、
パンツは黒で半分フォーマルを示し、
「白」の比翼襟(ウィング・カラー)シャツは
正装のフォーマルだけんど、
「幸せの黄色いハンケチ」に倣って
あえて春めいたイエローにしたもんね(笑)。
ループタイも
ラッキーストーンの
「ターコイス」。
パステル・オレンジの
ポケットチーフ。
麻のジャケットは
梅や桜のような極薄ピンク。
そしたら、偶然にも、
R先生の袴の絵柄も
上が梅で、下が桜だった。
黒一色礼服コーデの中で、
カラー部門、華やぎ隊の
連帯感を感じたので
ツーショット写真をお願いした。
先生からもブログアップの
了承を得られてよかった。
いちど、授業見学をさせて頂いたら、
R先生は、ネイティヴ並みの
流暢な英語を話されるので驚き、
訊けば、留学経験があるとかで、
感心して賞賛した。
美人でイケボなうえ、
スキーも相当の腕前らしい。
式後、卒業生を見送ってから、
やれやれ、ご苦労様・・・と、
職員全員がランチルームに揃って
祝い膳の「特性弁当」(1500円)を
楽しく頂いた。
学校の真向いにある
お蕎麦屋さんからは、
「お祝い」の牡丹餅が
人数分のパックに入れられて
届けられた。
地域ならではの
こういう心遣いは
嬉しいものである。
⁂
学校を辞去すると、
退勤時はいつも右折して帰宅するが、
初めて左折して原発のある
浪江方向に向かってみた。
3.11から二日後というのもあって、
津波と原発関連で亡くなられた方々に対して
現地に赴いて、きちんと黙祷を捧げたく思った。
Y中が、ちょうど、
自宅と海との中間点に当たるので、
足を延ばせば30分ほどで着けた。
原発事故後、
何年も道路が封鎖されていたが、
ここ最近、通じるようになったのだ。
それでも、至る処に、
放射線量が高いので
長く留まらないように、
という立看板があった。
途中の家々、店々は
軒並み人けがなく、
自販機類にはチェーンがかけてあり
禍々しい雰囲気のまんまである。
それでも、
海は蒼く、波は白かった。
思わず、
3.11の渦中に思った
狐狸庵先生(遠藤周作)の
詩句が思い浮かんだ。
人間がこんなに哀しいのに
主よ、海があまりに碧いのです
街道に咲く
梅の花々を目にしては、
3.11にコロナ・パンデミックの今を
重ね合わせて
神様
なぜに
こんなことが起こるのでしょうか
と、やるせない哀しみに襲われた。

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