今日は「春のお彼岸」である。
ぼた餅の一つも喰いたい処だが、
“糖質制限”ダイエットを
始めたばっかなので、ここはひとつ
“ジッと我慢の大五郎”である(笑)。
お昼を二日とも
ベジ食にしたら、
アッという間に1sも減って
なんだか、恐ろしくなった。
野菜だけの一食は、
「オレは、ウサギかぁ・・・」
と、思ってしまった(笑)。
でも、
レタスの丸かじりをやってみたら、
普段バラしてサラダにした時とは
違ったレイヤーのテクスュアを感じ、
これは料理にも使えるなぁ・・・と、
思った。
さしずめ、
正方形のミルフィーユ状にカットして
真上からドレッシングを垂らす
という完成図が浮かんだ。
天才シェフのフェラン・アドリアは、
服部調理学校に特別講師で招かれた折、
レシピを公開するのでなく、
「水」を素材に用いて、
ジュレやらソルベ、ムース(泡)、
液体窒素でのパウダースノウ化・・・と、
ありとあらゆるテクスチュアの変化を
デモンストレーションして見せたという。
その話を聞いて、
さすがだなぁ・・・と感心し、
英格言をも彷彿した。
Good teacher explains,
Superior teacher demonstrates,
Excellent teacher inspires.
近所から新しく近所へ移転した
格安床屋に朝一で行ってきた。
平日の口開け時は、
さすがに、町内の暇な
ご隠居様ばっかしだった(笑)。
洗髪が楽になるように、
ごっそりと短髪にしてもらった。
ほんとは、春休み中に、
も一度、中学時代のように
坊主頭にしようかと思ったが、
去年、大学同級生のノリピーに
「ぜったい、ダメーッ!!」
と、釘を刺されてたので、
やっぱ逡巡してやめにした(笑)。
カロリー制限ダイエットの
副作用としての
サルコペニア(加齢性骨格筋量低下)を
防止するために
炒り大豆を20g摂取している。
含有するイソフラボンが
その防止効果があるそうな。
人間なんて所詮、
食べ物という有機物によって
構成されている
ケミカルな素体なのである。
坐骨神経痛も慢性的に
鈍痛が続いていると、さすがに、
その部位のオシリの肉を
取って捨てたい衝動にかられ(笑)、
もう肉体なんて要らないやい・・・という、
純粋なスピリチュアルな存在に
一日も早く戻りたい妄念にとらわれた(笑)。
霊的存在なら
肉体的苦痛はないのだろうが、
同時に、カラダあってこその快楽・快感も
なくなるんかなぁ・・・と、
またしても愚にもつかないことを
考えあぐねていた。
「快食・快眠・快便」はじめ、
およそ肉体に関する喜びというのは
案外に少なくない。
「楽」と「楽しい」は
次元が異なるもので、
人工的に生かされている
植物人間状態は「楽」だが、
「楽しい」とは思えない。
もっとも、
臨死体験者の話では、
「至高の恋愛状態」のような感じとか、
「大いなるものに包まれている安心感」とか、
「かつて体験したことのない快感」・・・
といった心的体験をするというから、
肉体に依存しないでも
“純粋快楽”や“絶対安心感”
というのは感じられるの鴨である。🦆
⁂
きのう春めいて、
日差しが燦燦と室内に注ぎ、
なんと、午後3時頃には
今季初の26℃もの
「夏日」となった。
寝室にある
二つもの簡易ヒーターが
お役御免で、電気毛布にくるまって
昼寝してる場合ではなかった(笑)。
お彼岸の今日は、
なんと、朝方1℃で
昼からは21℃になるので、
「寒暖差注意!!」
と予報士が警告していた。
花粉飛散量も最大ですと・・・。
_| ̄|○ ガックシ・・・
カミさんが、
朝一で「墓参り、行くどーッ!!」
と、張り切ってる(笑)。
ヾ( `_ゝ´) ノ イクゾ〜ッ ! ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ
先日、偶然、
YouTubeでセゴビアが弾く
『リュートの為の六つの小品』を
視聴きして、懐かしく思い、
ギターではなく、リュートを取り出して
ギター譜でやってみた。
四挺もリュートがあるので、
どれにしよかと迷う処だが、
バロックリュートだけは
調弦が違うので、必然、
10コースのルネッサンス・リュートにした。
まずは弾くにあたっては、
音叉で基準音を取って、
20本あまりの弦をすべて
調弦しなくてはならないので
手間がかかる。
「リューティストの半生は調弦で終わる」
という
皮肉な格言があるほどで、
それ故に、撥弦楽器の進化は、
6本弦のギターに
最終的に落ち着いたのだろう。
綿密に調弦するとなると、
15分ほどはかかってしまう。
9歳からギターの調弦をしているから、
ピアノの調律も同様の作業なので
できるものである。
就寝前の深夜、
ひとりリュートを構え、
16世紀の素朴な音楽を、
古楽器で奏でていると、
その床しき音色に
しみじみとした気分になった。
コロナ騒ぎで鬱屈させられた心を
解きほぐし癒してくれた。
殊に、名手ヴァルター・ゲルヴィッヒの
名演が耳に残っている
ネグリの
『ビアンカ・フィオーレ』(白い花)は、
何処までも優しく、
哀しいほどに美しい。
16世紀の響きと歌を
誰の手でもなく、自らの手で
奏でて「今ここ」に蘇らせ得るのは
無常の喜びでもある。

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