「あ〜。オモシロかった・・・」 <(^.^)> ♪〜 ・・・と言いながら、いつか死んでいきたい。
『わが家新聞』の「こだわりの毎日」欄です。
2021/1/20
ゆんべは、
夕飯後にフミが
ラインでライヴ通信を
寄こしてくれて、
リッ君とスマホ・カメラで
初対面をした。
9ケ月では、
まだ本人もワケが
解ってないだろうが(笑)、
画面の向こう側で
「りくぼう。ほら。
ジイチャンだよー」
と言われて
パタパタしていた(笑)。
カメラを通じてではあったが、
ライヴで初孫との
対面ができて
嬉しく思った。
今朝の朝刊のコラムで、
気象と病気の関連性を研究する
生気象学というのがあり、
英語では「バイオメテオロロジー」
(biometeorology)
というんだと知った。
それによれば、
「寒さ」は生体に防御反応として
「怒り」と同じ生理現象を
起こさせるそうで、
副腎髄質からアドレナリンが
分泌されるという。
カラダが縮こまって震えたり、
筋肉が硬化するのも
そのせいなのかもしれない。
今日から「大寒」に入るので、
「ずっと怒ってる」ような
状態が続いていては、
心身の健康にも
良かろう筈もないなぁ・・・。
長引く風邪に加えて、
先週くらいから
右膝の上が腫れていて
正座するとパンパンに
浮腫(ムク)んでいる。
そして、
伸ばし曲げするたびに
ポキポキと音がするので、
どこかでぶつけたのか、
関節炎にでもなったのかしらん・・・
と怪訝に思いながら、
様子見をしている。
もう、これ以上、
カラダのどこも
痛くなってほしくないが、
加齢・老化・衰弱は
否応なしにやってくる。
なので、早く、
この肉体という"着ぐるみ"を
脱ぎ去って"純粋存在"に
回帰したい・・・という願望も
起ころうというものかもしれない。
最近、
よく脳裏に浮かぶ
キーワードに
「受肉」というのがある。
英語では
「Incarnation」
(インカネーション)という。
「リインカネーション」となると、
「輪廻転生」「生まれ変わり」
のことである。
本来は、
キリスト教用語で、
父なる神/神の子(キリスト)/聖霊
の三位一体のうち、
キリストが、ナザレのイエスという
歴史的人間性を取ったことを指す。
自分の思考実験ノート上では、
これを敷衍して、
"純粋存在"の「たましい」が
肉体を持つことをも
「受肉」と操作的定義している。
そして、
この「たましい」は、
「自意識」であり、
「宇宙意識」とも考えている。
「受肉」すると、
いわゆる、肉体的な
快感を得るのと、同時に、
苦痛をも得るのであるが、
その形而上的な意味は
奈辺にあるのか、
今、ノート上で探っている。
<快 ⇔ 不快>は、
動物でも、刺激により、
「正」と「負」の
『走性』を喚起する。
現在、「不快」の代表は、
全人類的には
「コロナ禍」があるが、
個人的には、
「オシリ痛」や
「風邪の症状」などがある。
その原因論ではなく、
なぜ、この「不快」が
厳として在り、
その必要性とは何なのか・・・。
持論の「極性論」で言えば、
「+」と「−」の
対極のひとつに過ぎず、
「不快と感じる」のは、
毎度の『人間中心原理』の
「価値論」となる。
「好悪」にせよ、
「好きな事・物」ばかりでは
対象化されず、「好き」という
感情・快楽さえ認識できなくなる、
ということなのだろうか。
きっと、そうなのだろう。
養老先生の
「自分 = ナビの三角」論でないが、
周囲の相対的な「対象物」によって、
自分というものは定位され、
そこに「目的」性が生じる。
人間関係や諸事も然りで、
相対的に対比・対置・対象化されるから、
「生きている」「活きている」
ということが実感・認識されるのである。
最も簡単な原理では、
陰(影)なくば
光のみでは、
物は視認できないし、
同様に、陰(影)「= 闇」のみでも
物は視認できない。
絵画のモチーフに用いられる
真っ白で真ん丸の
石膏の球体が、
「それ」と認識されるには、
適度の光量で
適度の影のグラデーションを
要するのである。
つまり、
「不快」と「快」の対もまた
「生きている」という
「存在」の実感を得るのに必要な
肉体的性質なのである。
「純粋存在」や「たましい」の
大元である「根源的存在」や
「絶対的存在」(= 神)は、
完全無欠という
絶対状態にあるがために、
「何も始まらず、何も終わらない」
という「無変化」「無為」に
定常・固定してしまう為に、
「変化」「有為」を生じせしめるべく
「相対的存在」や「極性」を
創造したと【魂理学】的には
見ている。
学期末ごとに
白衣を持ち帰り、
カミさんが
クリーニングに出してくれる。
生物学科の学生だった頃から、
白衣を着るようになり、
卒後にも生物教員になったので、
爾来、心理学科の院生時代を除いて、
四十年以上も仕事着として
数着保有している。
ほぼ全てのSCは
白衣を着ていないが、
自分にとっては
作業着のようなものでもあり、
サイコセラピスト(心理療法家)
という「治療者」の
矜持を持つためのアイテムでもある。
「白」は
「死と再生」「浄化」
の象徴でもある。
心理カウンセラーは、
悩みや苦しみを持つ
クライエントにとって、
「死と再生」の「通過儀礼」に
立ち会う「司祭」でもある、
という深層心理学派や
分析心理学派の考えがある。
それゆえに、
希死念慮を抱えている
少なくないケースには、
文字通り"命を削って"
深くコミットしているのである。
アマゾンから
注文していた
ガストルディが届いた。
ルネサンス期に
複雑高度に発展した
多声音楽(ポリフォニー)への
アンチ・テーゼとして、
イタリアのガストルディは
『踊り歌』と意味の
「バレット」という
楽しげな曲を提示した。
たしかに、
耳にやさしく
庶民の生活に根差したような
シンプル感が佳かった。
風邪気味の体調を
復調させようと、
糖質制限食も中断し、
良質タンパク質をも
多く取っている。
リバウンドで
体重が元の木阿弥になったが、
健康優先なので
致し方ない。
ウェッジウッドの
オーヴァルを、
シルバー・オーヴァルを
台座に見立てて
パーティー風に
『グリル・ド・ブッフ』を
ドレッセしてみた。

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