「あ〜。オモシロかった・・・」 <(^.^)> ♪〜 ・・・と言いながら、いつか死んでいきたい。
『わが家新聞』の「こだわりの毎日」欄です。
2021/4/6
きのう、
トラウマになるような
ちょっとした事件があった。
今朝に至るまで、
何度もその場面が
フラッシュバックとして蘇るので、
プチASD(急性ストレス障害)っぽい。
事の顛末は、
老母のホームに
書類を取りに出かけようと
家を出たばかりの処で、
狭い道の前を走っていた車が
急に停車して中途半端に
左側に寄せたので、
(何考えてんだ…)
と、怪訝に思いながらも
ドライバーの顔を
ちょっと睨むように直視して
脇を通り過ぎた。
そしたら、
向こうからやや大型車が
やってきて、その車も
自分が直進してきたので
左側に寄せて止まってくれた。
それで、
さっきの車が左に寄せたわけが
解かり、
(まずいなぁ…。
ずいぶんなマナー違反を
しちまったなぁ…)
と忸怩たる思いをしながら、
待ってくれていた対向車に
礼をして"図々しく"も通過した。
そしたら、
バックミラーに
さっきの車が猛スピードで
追ってきて、
(こりゃ、ヤバイかな…)
と懸念しながらも、
ウィンカーを出して
すぐ近くのホームの方へ曲がったが、
その車もピッタリついてきて、
真後ろで大きく蛇行運転して
煽ってきた。
こっちが
100パー悪いんで、
ホームに着くなり
謝罪しようと思った。
その車も
さすがに敷地までには
入ってこず、
道路の端で止めて
助手席側の窓を開けて
ものすごい形相で
こちらを睨んでいた。
なので、こちらから
寄って行って
「さっきはすみませんでした。
勘違いしていました…」
と謝るなり、
「っざけんなッ!!」
と怒号され、
「申し訳ありませんでした」
と重ねて謝るも
「なに、人の顔、見てんだッ!!」
とさらに怒りを
エスカレートさせて面罵された。
車から降りてこなかったのが幸いで、
いつぞやのように、
また「土下座しろ」と言われたら
素直に応じるつもりだった。
それくらい
無礼を働いたのだから、
平身低頭で謝ろうとは
覚悟していた。
40代男性だったが、
ヤクザや半グレでなかったのも
幸いだった。
最大級の怒りのこもった
大声でしばらく痛罵され、
何を言われたか判らなかったが、
怒りを発散して気がすんだのか
サッと立ち去ってくれた。
その場では、
自分の非道なマナー違反を
猛省しつつも
「大難を小難に、小難を無難に
お奉り替え頂いた」事に
お礼を申し上げた。
その後、
いくつも用足しをした後、
帰宅して、
新年度のノートを開き
今回の顛末についての
分析に時間をかけた。
つい、一月には、
やはり職場の近所で
若い警察官に
横断歩道の側道に立ってた
歩行者の為に
一時停車しなかったとして
違反切符を切られたばかりである。
あの時、十分、
反省、分析したはずなのに、
今回も共通する
「状況判断しなかった。
待たなかった。
通過した」
というので、
痛い目に遭った。
前回は、
道交法というルールを
知らなかった
「無知」による違反だった。
今回は、
対向車の為に
わざわざ善意で
停車していた車を無視して
自分だけ図々しく、
ちゃっかり通り過ぎる
という最低のマナー違反をやらかした。
しかも、
その善行をしたドライバーを
(なにしてんだ…)
と、ちょっと軽侮して
睨んだりして…。
たしかに、
怒号面罵されるに値する
状況判断ミスと誤解であった。
近所の万サイ堂が閉店し、
今、その解体作業が進んでいる。
その駐車場では、かつて、
痛恨の「土下座」事件があったので、
更地になることで
祓い清められるかも…と、
先日、想い返したばかりである。
ブログは、こういう時、
日記的なデータベースとして
活用できるので、
「土下座」のキーワード検索を
かけてみたら、すぐに出てきた。
******
2014/8/9
『真夏のスリラー』
昨日、ショックな事件があって
夜、なかなか寝付けなかった。
近所のコンビニに
手紙を投函しようと
自転車で出かけようとしたが、
雨がポツリポツリ降り始めていたので、
車で行くことにした。
そしたら、
万サイ堂の駐車場で
20代かアラサーと思しき若い男に
車の運転席から呼び止められ、
顔に見覚えがないので
(誰だろう?)
と怪訝に思っていたら
「危ねえ運転してんじゃねーぞ!」
と唐突に言われた。
家からわずかな距離で
そんな場面がなかったので、
まったく心当たりがなく
「ハ?」
という感じだったが、
「急いでたのか?
車間距離ちゃんと取れ!」
と言われ、
「どこで、そうなりました?」
と訊いたら
「何、ヘラヘラしてんだ」
と急に凄んできた。
「心当たりないんですけど、
どこで危なかったのか
教えください」
と問いただしたら
「イライラしてきた」
と相手が
キレそうになってきた。
何だかヤバそうだったので、
「ご迷惑をおかけしたのなら、
謝ります。すみませんでした」
と謝った。
そしたら、
「土下座して謝れ」
とさらに凄んできて、
やっぱり腑に落ちないから
「どこでご迷惑かけたのか
教えてもらえませんか?」
と訊き返したら、
「ヘラヘラしてんじゃねぇぞ。
車ボコボコにすんぞ」
と段々、怒りが
エスカレートしてきたみたいなので、
まったく腑に落ちないままに、
その場で、土下座して謝った。
それでも、相手は
怒りが収まらないようで、
「どうして欲しいか、1か2か選べ」
とワケの解らないこと言い出した。
これは、さすがに
そうとうヤバイなと
少し怖くなった。
聞き返したら、
また火に油だと思い、
「勘弁してください」
と何度も頭を下げたが
「車ぶっ壊す・・・」
と、火のついたタバコを
車にぶつけてきた。
ますます、ヤバイと思い
車を護るよう立ちはだかって
「やめて下さい。
勘弁して下さい」
とひたすら繰り返すと、
やっとのことで、
「ナンバー覚えたから、
今度見たらぶっ壊す」
という捨てゼリフを残して
去っていってくれ、
どうにか事無きを得た。
けっきょく、
何だったんだろー、という
ワケの解らないまま、
生まれて初めて
人前で土下座させられて、
複雑な気分で
夕べはなかなか寝付けなかった。
佐世保事件を分析するのに、
ちょうど、サイコパスの
本を読んでいた時なので
そうだったらヤバイというのが
一瞬、脳裏を横切った。
まだ20代かアラサーに見えたが、
凄む様子が半グレっぽく、
ヤンキーの目になってて、
(刺されるかも…)
という恐怖を感じた。
でも、金銭要求はしなかったし、
暴力も振るわなかったから、
その筋のものでは
なかったようだった。
ぶつけて迷惑かけたのなら
真摯に謝りもし、
保健屋さんに入ってもらって
賠償もできるが、
心当たりがない所で
相手に「ヒヤリハット」させたら
かくも怖い目に遭ってしまった。
この夏、
いちばんの
スリラーだった。
なんだか、
トラウマになりそうで
誰かにカウンセリングしてほしい
気分である(笑)。
****
もう7年も前の事だったが、
自分史の中では、
『万サイ堂 土下座事件』として
“黒歴史”として
刻印されている(笑)。
あん時は「夏休み中」で、
今回は「春休み中」である。
どうも、
ロンバケんなると
ろくなことがない(笑)。
もっとも、
きのうの「ヒヤリハット」でも
分析に時間をかけて
恐ろしい事も
多々分かってきた。
もう還暦を過ぎると
職場でも家庭でも
実社会でも、
ほぼ目上の人に叱られる
という体験は
皆無に近い。
なので、
自分よりも「年少者」に
かくも叱られるのには
深層心理学的、
魂理学的な多義性が
在ると思っている。
意味のない事は
人生においては
起こらないのである。
そして、
3.11でも
コロナ禍でも、
【ふたつ悪い事さてないものよ】
で、コインの裏側には
建設的、肯定的な意味が
潜んでいるのである。
それは、
個人レベルでも
人類レベルでもある。
WWT(ウォッチワード・テスト)と
自由連想法、周回法、易で、
今回の「ご無礼怒号面罵」事件からも
多くの教訓を得た。
真っ先に脳裏に浮かんだのは、
金光教の教典にある
教祖の教えである。
「神様は子守りの歌にも
その口を借りて
真実を教えてくれるぞ」
とある。
「神にお叱りを受けるのが
いちばん恐ろしいものぞ。
地に伏せられ、縛られる」
ユング心理学では、
起こる事はすべて
セルフ・アレンジメント
といって、「自己実現」の為に
セルフ(意識と無意識の中心)が
そうさせている、と言うのである。
仏教の華厳経にも
それと似たような
「縁起」という考えがある。
いずれも、
科学的な説ではないが、
人は、科学の為だけに
生きている存在ではない。
我われが
今ここに
厳として存在している理由については
科学は何も説明ができない。
それには、
別な思考アプローチが
必要なのである。
今回の事件でも、
(また、叱られたなぁ…)
と猛省させられ、
前回の「反則切符事件」で
反省と自己陶冶が
足りんかったなぁ…と、
思わせられた。
毎日のご祈念で
「お詫び・お願い・お礼」
をしているつもりでも、
祈りが足りなかった、
心がこもってなかった、
全人的に関与してなかった、
と反省させられた。
「車」そのものに対しても
「お詫び・お願い・お礼」が
足りなかった。
そして、
「車徳」が足りなかった。
これは造語だが、
時折、マナーを守り
相手に譲ったりした時には、
「車徳」を積んだなぁ…と、
密かに思ったりしていた。
そのポイントが
足りなかったからこそ、
反則切符を切られもし、
怒号面罵もされたのだろう。
こういった、
車を巡る事件が
10件近くあったので、
何かが「改まっていない」のである
カミさんをはじめ、
周囲にも、これほどに
車をめぐって不快な思いや
ヒヤリハットがないのは、
「自動車運転」に対する
基本的心構えが
出来ているからなのだろう。
つい最近も、
カミさんの運転する
助手席に乗って、
法定速度で走るのを
トロく感じたり、
隘路で対向車と
お互いに待ち合って
お見合い状態になって
イラッとしたことがあった。
それと、
カミさんは
マメに洗車している。
自分は、
二台目と三台目の現車は
好みで選んだものでなく、
車屋さんが選んでくれた
あてがいぶちの中古だったので、
学生時代に亡父に買ってもらった
新車のように思い入れがなく
まったく洗車も手入れも
していなかった。
だから、
自分には
「車徳」がないのだろう。
それで、
免許更新のように
何年かごとに、
神様からお叱りを受ける、
という愚行を
繰り返しているのかもしれない。
痛い目をしても
懲りないから、
また同じ目に遭うのである。
それほど、
なかなかに
こころの底から「改める」
「生まれ変わる」
というのは難しいのだろう。
でも、そろそろ、
人生の第四楽章なので、
同じ過ちを繰り返さないように、
「気づかせて頂いた」ことに
お礼を申し上げ、
改めねば…と、自戒している。
わが欠点なげくに止まり
あらたむるに注ぐ努力の
足らざる思ふ
出来る故なすにはあらず
出来ぬ故なすけいこなり
つづけねばならぬ
生かされて生くるいのちがくりかへし
日に日にあらたに
つづくるけいこ
気づかねばぼやも大火事
気づかせてもらひし御礼
いはねばと思ふ
またしても安全運転思ふ
こころからだ
経済生活すべての
碧水歌

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