幼稚園来、57回目の春休みの「自由課題」として、漱石の異色の幻想文学である『夢十夜』の深層分析をしてみようと思った。
さてさて、どうなることやら。
何の見通しも、予測も仮説も持たないでのぶっつけ本番である。
無事、十話を分析終えたら、何かが「布置」されており、何をか「発見」するかもしれないし、徒労に終わるやもしれぬ。
でも、それでもいい。
日本を代表する文豪の異色作が相手なのだから、格闘のし甲斐はあるだろう(笑)。
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読みやすいように、原文を大幅に改行し、一部の漢字を仮名に改めた。
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『第一夜』
こんな夢を見た。
腕組をして枕元に坐っていると、仰向きに寝た女が、静かな声で
「もう死にます…」
と云う。
女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔かなウリざね顔をその中に横たえている。
真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色は無論赤い。
とうてい死にそうには見えない。
しかし、女は静かな声で、
「もう死にます…」
とはっきり云った。
自分も
(確かに、これは死ぬな…)
と思った。
そこで、
「そうかね、もう死ぬのかね」
と上から覗き込むようにして聞いて見た。
「死にますとも…」
と云いながら、女はパッチリと眼を開けた。
大きな潤いのある眼で、長いまつ毛に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。
その真黒な瞳の奥に、自分の姿が鮮かに浮かんでいる。
自分は透き通るほど深く見えるこの黒眼のつやを眺めて、これでも死ぬのかと思った。
それで、ねんごろに枕のそばへ口を付けて、
「死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね」
とまた聞き返した。
すると、女は黒い眼を眠そうにしたまま、やっぱり静かな声で、
「でも、死ぬんですもの、仕方がないわ…」
と云った。
「じゃ、私の顔が見えるかい」
と一心に聞くと、
「見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんか」
と、にこりと笑って見せた。
自分は黙って、顔を枕から離した。
腕組をしながら、どうしても死ぬのかな、と思った。
しばらくして、女がまたこう云った。
「死んだら、埋めて下さい。
大きな真珠貝で穴を掘って。
そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい 。
そうして墓のそばに待っていて下さい。
また逢いに来ますから…」
自分は、
「いつ逢いに来るかね」
と聞いた。
「日が出るでしょう。
それから日が沈むでしょう。
それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。
――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに――
あなた、待っていられますか」
自分は黙ってうなずいた。
女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」
と思い切った声で云った。
「百年、私の墓のそばに坐って待っていて下さい。
きっと逢いに来ますから…」
自分はただ
「待っている…」
と答えた。
すると、黒い瞳のなかに鮮かに見えた自分の姿が、ボウッと崩れて来た。
静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がパチリと閉じた。
長いまつ毛の間から涙が頬へ垂れた。
――もう死んでいた。
自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。
真珠貝は大きな滑らかな縁の鋭い貝であった。
土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してキラキラした。
湿った土の匂いもした。
穴はしばらくして掘れた。
女をその中に入れた。
そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。
掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。
それから、星の破片の落ちたのを拾って来て、かるく土の上へ乗せた。
星の破片は丸かった。
長い間大空を落ちている間に、角が取れて滑らかになったんだろうと思った。
抱き上げて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖くなった。
自分は苔の上に坐った。
これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら 、腕組をして、丸い墓石を眺めていた。
そのうちに、女の云った通り日が東から出た。
大きな赤い日であった。
それがまた女の云った通り、やがて西へ落ちた。
赤いまんまでのっと落ちて行った。
一つと自分は勘定した。
しばらくするとまた唐紅の天道がのそりと上って来た。
そうして黙って沈んでしまった。
二つとまた勘定した。
自分はこう云う風に、一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか分らない。
勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。
それでも百年がまだ来ない。
しまいには、苔の生えた丸い石を眺めて、自分は女に欺まされたのではなかろうかと思い出した。
すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。
見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。
と思うと、すらりと揺らぐ茎の頂きに、心持ち首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらとはなびらを開いた。
真っ白な百合が鼻の先で骨にこたえるほど匂った。
そこへ遥かの上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。
自分は首を前へ出して冷たい露のしたたる、白いはなびらに接吻した。
自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、 あかつきの星がたった一つまたたいていた。
「百年は、もう来ていたんだな…」
と、この時始めて気がついた。
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これが本当に漱石が見た夢なのか、丸っきりの創作なのかは、定かではないが、ここでは「ひとつの夢」と仮定して分析を進めてみたい。
そして、全十夜の夢を分析し終えた時に、「夢か創作か」の自分なりの判断をしてみたいと思っている。
それも、この分析の一つの目的である。
「タイトル」
さて、まずは、実際の夢分析でもよくやる方法として、各夢について、タイトルを付けてみることにする。
第一夜の読後の印象では、『アニマの死と再生』というのが浮かんだ。
「アニマ/死と再生」
「こんな夢を見た。自分も…と思った」という処から、夢見手(主体)を漱石自身と考えてみることにする。
ユング心理学では、男性の深層心理にある異性性であり、創造性や感情性などを象徴する元型をアニマと言う。
男性の夢に登場する女性は、このアニマが人格化したものが多いが、それは男性にとっての「たましい」の象徴ともされる。
この夢で、女は死に、やがて百年して、百合の花となって甦る。ここに、「死と再生」のモチーフがみられる。
これを素直に解釈すると、漱石の中の「古い何かが死んで、新しいものが生まれる」ということである。あるいは、この時点で、漱石の旧来の「創造性や感情性」「たましいの在り様」などが死にかけていて、新しく再生の可能性がある、とも取れる。
このアニマなるものが、何ゆえに、いきなり第一夜の夢として描かれたのか…。
漱石にとって、どんな創造性をもたらすべく夢に登場したのか、これから探ってみたい。
「執筆された時期」
『夢十夜』が書かれたのは1908年で、1905年には『吾輩は猫である』、1906年には『坊っちゃん』を書いている。
また、前年の1907年には、漱石はそれまでの一切の教職を辞し、朝日新聞社に入社して職業作家としての道を歩み始めた。
その二年後の1910年には、胃潰瘍で大吐血して一時危篤状態に陥った。
翌年も、胃潰瘍が再発して入院。そして、同年に、幼い娘が原因不明の突然死をする。
1913年には、ロンドン留学中(1900年)に発症したひどいノイローゼが再発し、胃潰瘍も再発する。
最晩年は、1916年で、死因はやはり胃潰瘍であった。したがって、『夢十夜』が書かれてから八年後に亡くなっている。
1908年の『夢十夜』の直後には、『三四郎』が書かれた。以後、『それから』(1909年)、『門』(1910年)、『行人』(1912年)、『こゝろ』(1914年)、『道草』(1915年)、『明暗』(1916年)…と、晩年に至る八年間に、続々と傑作群が書かれた。
『夢十夜』以後、漱石自身の病気やら愛娘の死と不幸が続き、そして同時に、名作が次々と創出されたが、このことについて、ユング心理学者の河合隼雄は「エレンベルガ―の『創造の病』という言葉が彷彿させられる」と述べている。
呑気な滑稽小説の『猫』と『坊ちゃん』と、その後の病苦に苛まれながら晩年まで書いた重厚長大なテーマの作品群との間に『夢十夜』が位置しているのは、意味深長でもある。それゆえに、「第一夜」に、いきなり「死と再生」のモチーフが登場しているのには注目させられる。
「逸話が語るもの」
漱石の東大講師時代には、印象的な二つのエピソードがある。
ひとつは、講義の最中に机の下から手を出さない学生を叱責したら、別の学生から「彼は隻手(片腕のみ)なんです」と言われ、「それでも、私の講義では、手を出さなくてはならない」と言ったというが、半分は脚色されているかもしれない。
また、もう一つは、彼の前任者のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の講義が、誌的で素晴らしかったが、後任の漱石のそれは、堅苦しくてつまらなく学生には取られて、ハーンの留任運動が起こったという。
兼務していた一高では、受け持っていた生徒に藤村 操がおり、ある時、授業中に漱石に叱責され、その数日後に、華厳の滝に入水自殺するという事件が起こった。
その件では、生徒や同僚のみならず、世間からも、彼が死に追いやったと誹謗中傷され、それに拠るノイローゼから処構わず頻繁に癇癪を起こしては暴れまわったという。
この時、妻とは二か月ほど別居している。
これらのエピソードから、漱石のいささか厳格で硬く狭量な性格が感じられる。なので、ここにおいて、「豊かな感情性」と「誌的な情緒性」に乏しい彼の姿は「アニマの死」として「第一夜」の夢にシンボライズされたのでは…と、思われた。
つまり、無意識から意識へのメッセージでもあり、「相補的」な機能を持つ夢は、「あなたの豊かな感情性/詩的な情緒性は、死に瀕しています。
でも、きっと、しばらくして、新たな形へ昇華して生まれ変わるでしょう」という事なのではないだろうか。
「グランド・テーマ」
実際の心理臨床の場では、夢分析の初回は殊に重要で、「イニシャル・ドリーム(初回夢)」と言われ、ケースの予後を含む全体性が布置されていると考えられている。
とすれば、漱石の「第一夜」も「初回夢」と捉えると、全十夜の夢を俯瞰できそうなグランド・テーマを蔵しているとも考えられる。
大きなテーマの一つは「死と再生」であり、また、人から花への「変容(メタモルフォーゼ)」であり、あっという間の百年という非現実的な時間性は、時計的な時間である「クロノス」と、それを超越した時を示す「カイロス」があるということを示している。
それと、テキストから「丸」や「球」「円」に関するアイテムを拾ってみると、「日(太陽)、月、星、真珠、瞳、丸い墓石、丸い石」とたくさんある。
三次元の「球」の断面は二次元の「丸/円」である。これは、元型としては「曼荼羅」や「ウロボロス(尻尾を呑む蛇)」の象徴とされるものである。
どちらも、「始まりと終わり」や「完結されたもの」「全体性を意味するもの」と解釈される。
「色の象徴」
色に着目すると、「真白な頬」「温かい血の色」「唇の色は無論赤い」「真黒な瞳」「赤い日/唐紅の天道」「青い茎」「真っ白な百合」と単純な四色である。
ここで思い起こすのは、ユングが研究対象とした錬金術における変容の過程を象徴する色である。
今日、錬金術は中世に興った魔術的な「偽化学」として、風俗的な評価しかないが、ユングの卓見は、そこに人間の「心の発展」を投影したものと論じたことである。
世界中の文化やシンボリズムについてフィールドワークをした科学者ならではのロジカルな視点には信憑性がある。
錬金術の「変容の過程」では、黒化(ニグレド)→赤化(ロッソ)→白化(アルベド)という一連の流れがある。
黒は、色彩学的にも、すべての色を包含するもので、三原色であるRGB(レッド・グリーン・ブルー)で全ての色彩を表現できるものの、それらを全部混ぜ合わせると「黒」になる。錬金術では「プリマ・マテラ」と言われ、始原的な「原材料」の意味合いを象徴している。
赤は、「血の色」であり、「火の色」でもあり、それは「変化」の象徴色である。
白は、透明とは違った「色」のない状態を著し、シンボリズムでは「聖なるもの」「浄化」「死と再生」を意味する。なればこそ、花嫁衣裳の白無垢は「娘の死と妻への再生」を意味し、死に装束の白衣は「この世での死とあの世での再生」を意味する。
「青い茎」というのは、実際には「緑色」を指すので、それは植物の色でもあり、これも「死と再生」の象徴色と考えられている。
「真黒な瞳の奥に、自分の姿が鮮かに浮かんでいる」という箇所には、自分は女の一部でもあり、女もまた自分の一部でもあるという、互いに分かち難い「二つで一つのもの」という感じが伝わってくる。
錬金術では、男性性と女性性という異質のものどうしの「結合」によってこそ「全体性」「完成」へと昇華される。
「黒い瞳」から出発して、天空の火である「赤い日」「唐紅(からくれない)の天道」の日月年を経て、「青い茎」として再生し、「真っ白な百合」へと変容するその過程が「色」でもって象徴されている。
「消え去る女性」
日本の昔話・民話には、『鶴の恩返し』『雪女』『うぐいすの里』など「消え去る女性」というモチーフが多い。神話の『トヨタマヒメの物語』や能の『黒塚』もそうである。それは、西洋的な物語には見出し難い類のもので、単なる「悲劇」というのではなく、日本人特有の心性である「もののあわはれ」という、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁を有している。
それが、前述したように重要な「初回夢」として表わされたことは、漱石の基本的な心性に日本人としてのアイデンティティの一要素とも考えられる「もののあはれ」が内在しており、それは、「第二夜」以降の夢にも通底しているのでは、という推測もできるかもしれない。
「もののあはれ」は、平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つでもあり、明治の文学者・漱石にそれが、さながら文化的遺伝子「ミーム」のように継承されていることは注目に値する。
「白百合の象徴性」
多くの著名人を輩出している『白百合学園』は、漱石も未だ存命中の1881年の創立であるが、その校名の由来は「白百合の花のように清らかで慎ましい中にも一本芯の通った強い女性を育てる」という理念が込められているという。
『シンボル事典』においても、百合は「キリスト教では清純・無垢を表わし、聖処女のシンボル」とある。
死んだ女は、白百合に姿を変えて男(語り手の自分=漱石)の前に姿を現した。「自分」はそれが、死んだ女の変わり身だと確信したからこそ「接吻」し、その時に百年の経過を確信した。
この女と自分との社会的な関係についての記述は全くなく、読者は、二人の間で交わされる会話で、死期を個人的に告げ、それを受容して見守る、という状況から、ある程度の濃密な関係性を推察させられる。
しかしながら、女の死の床における男(自分)の態度は、「そうかね、もう死ぬのかね」「死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね」「(死んだら)いつ逢いに来るかね」などと、恋人や夫婦というには、いささかつれない事も否めない。
この辺りからも、特定の個人的な女性ではないのでは、と感じられるのである。とすれば、やはり、これは漱石にとっての「アニマ」と考えるのが妥当のような気がする。
先述のように、男性性と女性性という異質なものどうしが「結合」することにより、我々の人格は「全人性」という全きものになり、また広義には、その事は「自己実現」や「個性化の過程」に包含されると考えた。
とすれば、男が白百合に接吻した、というのは、ロマンティック・ラヴからではなく、異性性との象徴的な結合と見たほうがよさそうである。
これらの過程は、突飛な切り口で例えれば、卵子と精子が結合した結果、新たなひとつの生命体が生まれる、という発生学的な現象とシンクロしているとも言えよう。
また、狭義のレベルで見れば、女に対して「つれない態度」の「自分=漱石」の中には、いささかなりとも「偽悪醜邪」を有しており、その対極である「真善美聖」(純粋無垢性)は補償的に取り入れるべき性質であり、そうなってこそ、初めて、両極性を全人的に包含した「全一性」に至ることになるのである。
まさに、そのカイロス的な「時」に、男は「百年が過ぎたこと」に気が付くのであるが、この「100」という数字は、「100点」「100%」と同義の「完全性」を象徴していると思われる。数字のシンボルでは「10」が「宇宙の全一」「統合」などを表すが、「100」はそれを更に強調して表現したものであろう。
「量子力学的な視点」
量子力学的な考えでは、極性が反対で異質とされる電子と反電子、物質と反物質などは出会って結合すると「対消滅」と言って消えてしまう。つまり、「+」と「−」で「0」になるわけである。
この物質界現象と心理界現象をどうすっきり「統一理論」のように説明すればいいのか未だ見当がつかないでいる。
強いて、こじつけるならば、男性性と女性性が結合すると、「新しい命」という別次元のものになる、くらいしか言いようがない。
「その他/自由連想」
*「長い間大空を落ちている間に、角が取れて滑らかになったんだろうと思った」
という下りでは、人は段々と時間と共に世間の中で揉まれてくると「角が取れて、人格が丸くなる、柔和になる」といった「成長・変容」を暗示しているようにも思われた。
はたして、漱石自身、臨終に至る「その時」まで、人格が陶冶され、人当たりがよくなったかは、定かではないが、少なくとも、作品の質は、これ以後、年々、向上していったことは間違いない。
*「あかつきの星がたった一つまたたいていた」
これは、おそらくは「明けの明星」である金星を指しているのではないかと想像されるが、そうであれば、ヴィーナスの象徴は「愛、友好、客観的善」などを表す。
漱石に関しては、その私生活において、浮名を流すような逸話はとんと聞いたことがないが、こころの内奥には、この夢のようなロマンティックなアニマ、すなわち、理想の女性への憧憬の念はあったのかもしれない。
*作品中に「腕組」が二度出てくるが、一般に、ボディ・ランゲージとしては、しばしば「相手を受け入れたくない、無意識的な防衛的態度」を意味するが、この文脈に沿ってみれば、「女の死」を無意識的には受け入れたくない、つまり、「古い自我」を保っていたいという、抵抗のようにも思われた。そういうことは、夢分析でも、しばしば見られる事である。
*「天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい」
「星の破片」を隕石のような物と考えると、それは「天と地をつなぐもの」で、同時に、それは「意識と無意識をつなぐもの」としても考えられる。
「天に由来するもの」を地上の我が墓標に、という願いは、女が自分が死んだ後に、「天に召され、無意識と同じ魂となった」シンボルとして男にそれを供えて欲しい、ということなのだろうが、それをさせられる男にとっては、ある種の「通過儀礼」のようなものであり、夢見手の漱石にとっては、アニマ的内容を意識へと取り込み、より全人的完成に近づくための必要なプロセスであったのかもしれない。
*「真珠貝」の真珠は、聖書では天国の例えとされている。また、それは、超越的実在や無垢のシンボルでもある。
*「(星の破片を) 抱き上げて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖くなった」
この「熱感」は、まさか、落下したばかりの隕石の熱を言ってるのではなく(笑)、当然、それが死後昇天し「天の霊」となった女の代替え的象徴だったからであろう。
*前期三部作の『三四郎』『それから』『門』から、後期三部作の『彼岸過迄』『行人』『こころ』までを俯瞰すると、「ストレイシープ(迷える羊)」に始まり、高等遊民の苦悩や男女間の葛藤が一貫して描かれている。
『門』では、宗助が参禅するも悟達には到底及ばず、宗教性による助かりに与れずに日常の煩悩生活へと戻ってゆく。
『こころ』の先生は、自ら撒いた種を刈り取るのに、この世では解決の道を見いだせず、選んだ最良の選択が自殺だった。
つまり、この主要6作品中においては、真の意味での「たましい」の救いは、見いだせないのである。
それは漱石自身の内面を投影しているから、と考えるのは穿ち過ぎだろうか。
漱石は、教員、新聞社員、作家業と自活できており、決して作品群に登場するような高等遊民のたぐいではないが、彼の生育歴には、いささかひっかかる処がある。
それは、母親の千枝は子沢山(五男一女)の上に高齢で漱石を出産したことから「面目ない」と恥じたといい、彼は望まれない子として生まれた可能性があるのである。
そして、生まれて半年ないし1年後に、里子に出された先の古道具屋で邪険に扱われて生家に戻されるも、すぐにまた、名主の家に養子に出されるが、今度はそこの夫婦の不和により7歳で養母と共に一時的に生家に戻され、9歳になって養父母の離婚により、正式に生家に戻された。この時、漱石は、実父母を祖父母と思い込んでいたという。
また、養父と実父の間には長年「親権問題」での軋轢が続き、それにより21歳まで夏目家へ復籍ができなかったという。この養父は、漱石が新聞社に入社してから長らく金の無心に来ており、それは自伝的小説の『道草』でも描かれている。
「祝福されない誕生」から、「養子に出される」、「生家に戻される」、「実父母を祖父母と思い込む」、「養父と実父に軋轢が生じる」という不安定な幼少年期を見ると、後々、「愛着障害」様の問題が起こってもおかしくないようなリスクファクターに思われた。
実生活においては、結婚もし、子どもにも恵まれているが、「中年期の危機」として、ノイローゼと胃潰瘍に見舞われ、ついにはそれが命取りとなった。
「則天去私」
晩年の漱石の理念は「則天去私」という彼の造語に示されている。しかし、この言葉通りに彼が生き切ったかといえば、甚だ疑問がある。
遺作『明暗』は、作者の病死により、未完のまま絶筆となったが、ここにおいても、彼は自身の理念を如何なく描き尽くすことが出来ず仕舞いとなった。
彼の命取りとなった胃潰瘍は、多分に心身症だったような気がしており、極論すれば、その病因は、「たましい(アニマ)」の欲する処の自己実現の仕上げであるはすだった「則天去私」を生き切れなかった事に依るのではないか、と感じている。
彼ほどの高い知性と鋭い感性であれば、あるいは、心の深層にあった「たましい」の要求に本能的には気づいていたかもしれず、それが表現となって実現されなかったのは、不遇な幼少年期の体験や、家庭人の家長であったこと、また、当時の文壇社会の精神性や、その頑健でない肉体など…が、幾重にも重なって負荷となっていたのではなかろうか、と推察する。
そして、とどのつまり、「則天去私」を表現することも、それを生きることも出来ずに、命の時間切れになってしまった、というような気がしてならない。
「アニマの死に夢」
最後に、シンプルでシニカルな解釈になるが、この夢では、文字通り、漱石のアニマは、彼の存命中に死んでしまった、と見てはどうだろう。
100年後の再会ということも、文字通り、彼の寿命の49年内では、及びもつかないということである。すなわち、彼はペルソナという外的人格の形成に拘泥するあまり、内的人格であるアニマをついぞ生かしきれず、殺してしまったのである。
それにより、彼は「則天去私」の境地についぞ至れなかった。
そして、また、内的異性性であるアニマが発展したポジティヴ・グレートマザー(肯定的太母)である「観音様」「聖母マリア様」的なものとの接触もなされぬがまま、心が癒されず、魂も救われずに逝ったのではないか、という悲惨な推測もできる。この事については、第二夜以降の夢に、どのように展開されていくのか、興味深いものである。

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