「あ〜。オモシロかった・・・」 <(^.^)> ♪〜 ・・・と言いながら、いつか死んでいきたい。
『わが家新聞』の「こだわりの毎日」欄です。
2021/8/27
きのうは
やや風邪気味で
重怠いような体調での
出勤だった。
炎天下の外は
34℃もの猛暑で、
クルマも室内も
エアコンなしでは
熱中症になりそうな
キビシイ残暑だった。
先日の
カウンセラー淫行事件が
全職員に新聞コピーで配られてたので、
なんだか、
カウンセラーなんて
こんなもんなんだ…と、
白眼視されていそうで
あまり職員室の居心地がよくなかった。
それほどに、
W教授の愚行は
多くの男性SCの肩身を
狭くさせた迷惑行為である。
その職への信頼性を毀損した
ということで、
彼はどうやって償う気なのだろうか。
もっとも、
曽野 綾子の言に拠れば、
神父だった牧師だって
殺人を犯すんだから、
人間なんて
ろくでもないものなんだ…
と思えば
いいのかもしれないが…。
職場につくと、
相変わらず予約が
ミッチリ入っており、
電子カルテじゃないので、
うず高く山んなっている。
それでも、
夏休み明けとあって、
ワクチン接種した子たちが
ことごとく発熱して
予約者が二人も欠席していた。
仕事が始まると
とたんに体調が
緊張で回復するのだが、
肩透かしを喰って
エアポケットみたいに
ポカリとキャンセル空きがでると、
逆にガクリと体調が悪くなるから
不思議である。
なーんだ…
と張っていた気が落ちて、
病勢的なものが
ワーッと出張るのかもしれない(笑)。
午後からは
パワフルなお母さんが来られたので、
どうにかそこで気力が充実して、
案の定、夕方には
すっかり体調が回復していた。
昼食時には
食欲まで失せていたが、
退勤時にはオナカが空いていたので、
途中のミニストップで
シャインマスカット・ソフトを
買い喰いしながら帰った(笑)。
やっぱ、
仕事は健康の元だよなぁ…(笑)。
カウンセリング室には
「音楽」コーナー
「癒し」コーナー
「作業」コーナー
と目先を変えて
いろんなアイテムを揃えてある。
もっとも
話好きのJCなぞは
わき目もふれずに
一心に話し込んでいく(笑)。
学会案内を見ていたら、
専門書広告欄に
『コロナ禍とユング心理学』
というのを見つけて、
Amazonのレヴューや
抜粋文を読んだら面白そうだったので
注文してみた。
今や、日本に
20人ちかくいる
ユング派分析家資格者が
中心になって創られている
『日本ユング心理学会』
のジャーナルのようである。
30代の頃は、
自分も修士号を取得したら
スイスに行って
資格を取ろうかとも
考えたことがあったが、
子育てやSC職が出来たばかりだったので
それを諦めた。
今は、
日本で研修を受けて
取れるシステムが出来たみたいだが、
もう人生の残り時間も少ないし、
ユング心理学についても
一通り勉強したから
いまさら資格を取りたい
という気は失せてしまった。
学会案内に
福大の青木先生らが
9/7の1〜3時に
WEBシンポをやるようだが、
同僚が猥褻事件を起こしたばかりで、
さぞかし憤慨されている事だろう。
だから、
男性カウンセラーはダメなんだ、
と思われたら心外だが…。
「保母」が「保育士」に、
「看護婦」が「看護師」になって
逆の意味で「男女共生参画」に
なってきたことは
社会の趨勢なので
SCも本来なら教員なみに
男女比が5:5になるべきであろう。
現在はまだ7:3くらいで
女性数の多い職域である。
女性カウンセラーは
セクハラ事件は起こさないだろうが、
自身の「父性性」を発揮して
クライエントに直面化することが苦手で、
「お母ちゃん」になりやすく
抱え込み過ぎてダラダラという
事例発表をよく見聞きする。
それと、時折、
「女教祖様」になってしまい、
クライエントや職場で
横暴を振舞まって
カウンセラー職の信用を
毀損してくれる事もある。
問題の起こるカウンセラーは
いずれも自身が
カウンセリングを受けて、
人間が普遍的に持つ
「偽悪醜邪」と対峙するという
『教育分析』の経験を
持っていないからである。
だから、
自らの内部の「悪」や「影」に
乗っ取られるのである。
政治家でも
「私の心は、富士の高嶺の
雪のように真っ白です!」
なぞと、
豪語してる輩(やから)に限って、
ハラんなかは
真っ黒なのである(笑)。
****
コロナ禍の第五波が
今なおピークアウトせず、
フクシマでも頭打ちの現状である。
毎日、渋谷のスクランブル光景が
映されているが、すこしも人流が
減少しているようには見えない。
「慣れ」の蔓延である。
それと、欧米で見られるのは、
ワクチン接種者が、
これで免罪符を得られたとばかり
ノーマスクで会食や観戦している様は、
正しい認識に欠けているようである。
(つまり、アホ!)
接種者でもブレイクスルー感染し、
その飛沫拡散により
エアゾル感染拡大を
助長しているのが、
欧米の増加傾向で判る。
日本では、
死亡率が2パーセント以下に
抑えられているので、
罹患率と重症化率を低い
と見做してか、未だに、
飲み屋クラスターが
後を絶たない。
フグ毒に当たって死ぬ噺の
落語の『らくだ』には、
【当たらぬがゆえの河豚の怖さかな】
という意味深な箴言が出てくる。
まだ「フグ免許」などのない頃の
むかしの古典落語であるが、
これは心理学的には
「正常バイアス
(normalcy bias)」
とか
「認知的不協和
(cognitive dissonance)」
と言われることである。
つまり、
「自分に限っては…大丈夫」
という、あまり合理的ではない
身贔屓が誰にもある。
*
カンもコイケも
バイデンもキンペイも
プーチンも…と、
世界の指導者の誰もが
パンデミック未経験者である。
日本でも、いろんな学者が
いろんな事を言っているが、
医学分野や疫学分野でも
正反対の主張が見られ、
まさに、情報化の時代は
自分で「正解」を見抜いて
このクライシス状況を
生き抜いていかなくてならない。
3.11で起きた大川小の悲劇も
サバイバルのヒントになる。
あの折、地元の古老の提案に
教員たちが乗って
「その選択肢」を正しい
と判断したが為に、
自らも命を失い、
護るべき子どもたちの命をも
犠牲にした。
我われは危機的状況の時こそ、
自らの頭で考え、
よく観察し、情報を集め、
選択肢から正解を見抜き、
行動化せねばならないのである。
ソーちゃんが
なぜにああも強いか…。
彼は、どんな不利な局面からでも、
常に「最善手」という正解手を
何時間もかけて
探し出すからなのである。
⁂
養老先生の著書に
「両極端を観ると、中庸が判る」
という一句を見て、
なるほどと感心した。
釈尊は「中庸」を説くのに、
「音(ね)の鳴る弦(いと)」
という喩えを用いた。
絃は緩すぎては音は鳴らず、
張りすぎると切れてしまう。
音の鳴る辺りが
ちょうど「いい加減」で
「適当」な処だというのだ。
ギタリスト的には
よく解かる喩えで
恐れ入る(笑)。
テンションが高すぎても
低すぎてもいけない…
というのは、
コロナ禍と向き合うのに
大切な事のように思える。
心配が過ぎると古代中国の
「杞(き)の国」の人たちのように
天が落ちてくるのではと不安に慄き
「憂える」ことになる。
人には、誰しも
「予期不安」というのがあって、
悪いことが続くと希望を失い、
【幽霊の正体見たり枯れ尾花】
という冷静さを失いかねない。
ワクチン未接種者として、
最大限の衛生管理はしつつ、
よく寝、よく食べ、よく仕事をし、
それでも感染したら、
軽症で治まることを願い、
もしも死んじゃったら、
諦めるっきゃない(笑)。
良寛禅師の如く…
災難に遭うときは
遭うがよろし
死ぬる時は
死ぬるがよろし
…と泰然自若としていたい。

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