今週は、七日間、
働きずくめで、
来週の月曜日からは
一日だけ「SC研修会」があるが、
あと七日間はオフ日という
変則の月末から月初めとなる。
仕事が続いていたせいで
「プチうつ」も
少しマシになり、
すこし意欲も復活してきた。
ゆんべは
大阪のミカちゃんから、
リク坊の誕生日カードが
子ども園から返ってきた、
というのでシェアしてくれた。
自分も、
ダンゴ三兄弟の園児の頃は、
毎日、連絡帳担当だったので、
当時の様子を記録したものが
数冊も保管してある。
今度のオフ日にでも、
また紐解いて、
いくつかブログにも
転載しようかと思いついた。
まだ、"イクメン"なんてのが
流行ってもいなかったが、
社会人から大学院生になった
37歳の頃は、まさに、
フミが5歳でアキが1歳という
育児盛りだった。
それから3年して、
ナッちゃんが生まれたので、
三人の朝のオムツ交換と
園への送りは
足掛け12年もやった。
ママの愛情たっぷりの
メッセージカード通りの動画が
いつも送られてくるので、
ほんに、リク坊は幸せである。
ジイジ、バアバにも
負けず劣らず
愛されているしね・・・(笑)。
リクボウ〜ッ ! ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ
朝刊の全面広告に
ユーキャンの
『モタさん(斎藤茂太)』の
講演CDが、31.680円とあり、
(そーいや、
セコハン店にあったなぁ・・・)
と、昨日のぞきにいったら、
カセットテープだったが
同じセットが750円だったので、
買ってきた。
一年中、
脱衣場に置いてる
カセットデッキで
落語を聞きながら
湯浴みしてるので、
今日からモタさんの
一人語りを聴いて
雑学ネタにしたいと思う。
きのうは
プチ断食するつもりだったが、
鬱っぽいので、
ある程度は喰っておいたほうが
よかろうと思って、
大豆、アーモンド、バナナ、
ブロッコリー・スプラウト・・・と、
牛赤身のステーキだけにした。
冷蔵庫に
酢味噌の小袋があったので、
それでやってみたが、
なかなか舌先が変化して
面白かった。
金曜の夕方に放映される
『キンゴジ』を録画予約してあり、
一週間に一度は、
東京局から大阪局に転勤になった
マイ・マドンナ「アサちゃん」の
ご尊顔を拝している。
92年生まれなので
ちょうど30歳になったばかりだが、
ハイヴィジョンの大画面に
アップで映ると、
さすがに、顔の小さなシミやら
ソバカスもどきが見えて、
マイ女神様も
生身の人間なんだなぁ・・・
と、思ってしまった(笑)。
それでも、
その姿とイケヴォには
魅了されている。
街出をするたびに、
あちこちの看板やら
通り名を撮っては
「書」の手本としている。
最近、見た
「組」と「通」の字が
真逆のパースペクティブになってて、
その延長上にヴァニシング・ポイント
(消失点)が感じられた。
『リュート・マラソン』を初めてから、
来月の7日で4ケ月となる。
ギター、リュート、音楽
の事とはいえ、
よく飽きもせず続いてるのに、
我ながら感心もしている。
もっとも、
"ぼっちフレンチ"で撮影した
料理数も裕に200を超えてるが・・・(笑)。
何事も、
飽きずに続けていると
【継続は力なり】
で、その特技の力が
ひしひしと付いてくるものである。
ことに「譜読み」は、
数を熟せばこなしただけ、
読譜力がついてくる。
初見の曲でも、
そこにどんな物語が描かれているのか、
作曲家は何を表現したかったのかが、
段々と解ってくるものである。
これは、小説を読んだり、
絵画を見て、感じたり、
読み取ったりする作業にも
通ずるものがある。
ただし、
「読解力」イコール「表現力」
ではないので、
必ずしも、自分が感じ理解したように
演奏で表現できるわけではない。
そこには、
技術や集中力と
繰り返しの稽古が要る。
それでも、
汲み取った事の100%を
表現できることは稀である。
マエストロ小澤が、
超一流の演奏家たちを率いて、
最高のパフォーマンスを出来た
と思った時でも、
「さらにまだ上がある」
ことを感じる、と言っていた。
それは、
おそらく、完璧、天衣無縫の
神の領域なのかもしれない。
変な喩えだが、
ある種の曲は、
譜面として存在しているだけで
完結しているような気もする。
本来は、奏でられてこそ
音楽の意義や価値があるが、
演奏という行為は、
ニンゲンのやることだから
必ずしも「完成された楽譜」を
100%表現できるとは限らない。
それは、
キャンバスは白いままが
いちばん美しく、
絵画とはそれを絵具で
汚していく作業である、
ということにも似ている。
それゆえに、
時折は、楽器を置いて、
譜面と全身全霊で対峙し、
黙読することがある。
そうすると、
脳内の「神の楽器」が
まさしく「神業」で
完璧に譜面を再現して
脳内に響かせてくれるのである。
そして、
それに酔って、
いざ、楽器を手にすると
その神々しい美しさは
己れの未熟な心技体で
穢されてしまい
ゲンナリし落胆したりする。
まさに、
「真の美」も深淵にして
人の及ばざるものなのかもしれない。

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