「あ〜。オモシロかった・・・」 <(^.^)> ♪〜 ・・・と言いながら、いつか死んでいきたい。
『わが家新聞』の「こだわりの毎日」欄です。
2018/6/26
SCになってから20年此の方、
ずっと非常勤なので、
月の第五週目は
丸まる休みのことが多い。
なので、
ゴールデン・ウィークなどが
特にありがたくも感じられなくなった。
今週は期末テスト日にあたり
月から木まで休みである。
なので、
昨日は初めての
霊山道の駅に寄ってから、
これも初めての
中央高速道に乗って
久しぶりに松川浦まで
出かけてきた。
一人で海行きしたのは
初めてかもしれない。
市内はまた
30℃を越える真夏日だったので
高原を越えての海へ赴くのは
ちょうど避暑にもなった。
疲れたせいか
昨晩も9時半頃に
眠気におそわれて早寝した。
そしたら、なんと、
今朝もまた2時半に目が覚めてしまい、
二度寝できなくなったので、
「目が覚めたら朝」
と、二日続けて
深夜のブログ書きとなった。
私的四連休だからこそ
勝手気ままなライフスタイルで
いられる。
勝手気ままといえば、
リサイタル後、
案の定、ダイエットの
リバウンドがきて、
食欲のままに、
ま、いっか・・・の
日々を続けていたら、
みるみる体重が増えてきて
+2sにもなって愕然とした。
( ̄□ ̄;)ガーンッ!!
今日からまた
10月の定期検診に向けて
更なるダイエットに
気を引き締めねばである。
我が家の
ホーム海水浴場でもあった
原釜では、3.11慰霊碑に
2年ぶりに御祈念させて頂いた。
この辺りでは
450名もが
大津波の犠牲になられた。
目の前には
真新しい「伝承鎮魂祈念館」があり
この7年で二度ほど訪れた。
そして、今回は
車載ギターで
津波で残ったという
「奇跡の藤棚」の下のベンチに座り
『影を慕いて』を
慰霊演奏させて頂いた。
弾き終えると
空耳だったのか
「オオーッ!!」
という大勢の人の歓声が
右耳の奥に響いた。
御霊様に届いたのだろうか、
と嬉しく思わせて頂いた。
そういや、
福大の新キャンパスが
金谷川の山林に出来たばかりの頃、
古くからある林内の
首切り地蔵にイタズラして
ふたりの学生が怪死した事件があった。
そのときに、
ギター部後輩のWもイタズラをした
と震えながら告白したので、
先輩として、その無礼を詫びるために
夏休みの夕方に林の中で
慰霊演奏をしたことがある。
そしたら、
その姿を遠巻きに目撃したらしい
テニス部の同級生Yちゃんから
後日、
「あんな所で、何してたの?
まわりにいた白い着物の人たちは
誰だったの?」
とマジに問われて
ゾッとしたことがある。
自分ひとりだけで、
だーれも周りになぞ
いなかったからである。
Yちゃんはマジな性格で
冗談を言うような子じゃなかった。
首切り地蔵とは、
江戸時代頃に処刑場だったことに
由来すると地元の古老は言う。
なので、
白い着物姿の人たちとは
その首を切られた
囚人たちの霊だったのかもしれない。
現に、後輩のWは
今も元気に生きている。
この話は
遥か昔に『現代ギター』という
専門誌に投稿し
「夏が来れば思い出す」
という怪談話として掲載され、
拙著の『怪談奇談』にも収録した。
40年近く経た今でも
学内怪談として
伝承されている。
息子たちと
何度もカニ釣りに興じた
磯場から灯台トレイを眺めた。
海面から
裕に10mはある
あの建物が水没するほどの
大津波だったので
想像するだに恐ろしく感じた。
鵜ノ尾埼灯台は
海面から40mもあるが、
その足元の松林が
津波にやられたと見えて
一面になぎ倒されて枯れていた。
見るからに
波高が30m近い
津波だったことが見て取れる。
15m級の津波でも
干渉によって合成波になると
倍の30mにもなるから
高台の松林が
枯れているのを見ると
背筋が寒くなった。
高台の捻れて立ち枯れた松は
海水に浸ったせいなのか
指先でいともた易く
モロモロと脆くも
崩れるようであった。
それでも、
辺り一面の地面には、
新緑の蘖(ひこばえ)が
あちこちから生え出していて
自然の再生力と
松の生命力に驚かされた。
太い幹に対して、
孫(ひこ)に見立てて
「ひこばえ」というらしく、
初夏に見られる若芽だが、
俳句では春の季語のようだ。
英語では「Basal shoot」という。
固い枝も落ちていたので、
家に持ち帰って
工房で切断・研磨し
製作中のビウエラのブリッジ材に
しようと思っている。
震災の翌年にも
松の廃材を拾ってきて、
ルネッサンスギターの
ブリッジにして、
完成したものは
「震災ギター」として
ヤフオクで落札された。
今回のものも、
津波に洗われ、
七年の月日を経て
自然乾燥された松材で、
それが弦の振動をどう
表面板に伝えて
いかなる音色が鳴るのか
楽しみでもある。
大勢の方々が亡くなられた地での
用材でもあるので、
心して、鎮魂の祈りを込めて、
楽器の一部にさせて
頂こうと思う。
完成した古楽器は
「復興支援」の
ファイナル・リサイタルで
演奏されるのが相応しいだろう。

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