先日、久しぶりに、
TV放映の『ナウシカ』を観た。
劇中に出てくる
腐海と瘴気とマスクが、
コロナ禍の今を
連想させるものがあった。
深層心理学的に解釈してみると、
「死と再生」がテーマである。
主人公は、
まだ少女の面影を残す
「姫様」と呼ばれる王女なので、
そのヒロインの
『貴種流離譚』でもあり、
「英雄神話」の類型でもある。
彼女には、初めから母がいなく、
病床の父は、突然の侵略者によって
亡きものにされる。
この時のナウシカの
「怒り」と『攻撃性』が
ハンパない(笑)。
アッ、という間に、
5、6人もの敵兵を
カギ棒のような武器で
打ち殺してしまう。
敵副将をして、
「あ〜あ。
こんなに殺しちまって・・・」
と呆れもされる(笑)。
それでいて、
可愛い顔して
「自分の中の怒りが怖いの・・・」
と、メンター(導師)に
慄(おのの)いてみせる(笑)。
キツネリスに指を噛まれて
血を流しても、
やがて心を開かせて
相棒のようにしてしまう。
ビルのような巨大な虫・
王蟲(オーム)とも
金色の触手を介して
「心」を通じ合わせる。
ナウシカに対抗する
ヒール役の女性として
侵略者のクシャナもまた
王女である。
どうやら腐海のムシに
左腕を喰われ、
さらに、おぞましい傷跡も
カラダにはあるらしく、
それらを激しく憎み
絶滅させんと敵愾心を抱いている。
軍隊を率いて
ナウシカの父を殺し、
弱小集落の「風の谷」を
併合せんとするが、
ナウシカに命を救われたり、
彼女の「奇跡的な復活」を
目撃することで、撤兵することにし、
自身もまた、何がしかの
「死と再生」の通過儀礼を経験する。
物語は「勧善懲悪」的で
「自然礼賛」的で、
ともすれば、陳腐な
「予定調和」的でさえある、
といった批判もできそうだが、
<人の死>や<人類の絶滅>
といった負のイメージも包摂しており、
重層的で多義的な良質の
ファンタジーに仕上がっている。
劇画的アニメとしては、
久石 譲の劇伴が
見事にオペラ音楽のように
作品に重厚感を与えている。
「ナウシカとコロナ」を
対置させてみたら、
自然を蹂躙してきて、
尚且つ、紛争、格差、差別など
ちっとも真善美聖に目覚めない
人類社会の荒廃ぶりを正すには
ガラガラポンで、
一度すべてを無に帰すしかないのか…と、
ペシミスティックに考えてしまった。
そんな連想をしてたら、
コロナ・ヴァイルスたちが
圧倒的数で押し寄せて
都市や人間社会を
呑み込むように破壊し尽くす
暴走するオームの群れのようにも
感じられた。
もひとつ気付いたのが、
王女と王女の闘いの帰結が、
どちらも「怒り」と
「憎しみ」を超えての
「許し合い」という
女性的解決である。
ここに、
産業革命来、
男性社会が自然を破壊し、
政争、戦争を繰り返し
社会そのものをも
破壊しようとしている事への
処方箋が提示されている。
自ら子を産む女性は、
「自然的存在」なのであり、
それは「共存・共栄」という
生態系維持とあらゆる生き物にとっての
ユートピア形成には欠かせない
ガイア(母なる地球)なのであり、
真善美聖を体現させる性向なのである。
それに対して、
男性とは「社会的存在」に過ぎない。
『ナウシカ』に描かれていたのは
女性の中に潜む
「劣等機能」としての
粗野な男性性でもあり、
それは攻撃し、殺し、支配し、
蹂躙するもの・・・である。
男性の中にも
劣等機能としての女性性はあるが、
ユングはそれに「アニマ」と命名し、
それは「プシケ」すなわち、
「たましい・息・風」でもあり、
心的機能としては「創造性」や
「フレキシビリティ(柔和性)」を
もたらすものとされる。
ナウシカという
闘う戦士としてのヒロイン像には、
益荒男(ますらお)的な
「おとこまえ」ぶりが
感じられるだろう。
これは、闘う女神アテナイの
元型的イメージでもあり、
王族にして美的な少女が
困難に遭遇して
メンター(導師)に支えられ
「夜の航海」また「冥界」を
旅して、再び、現生に帰還する
という「英雄神話」の元型でもある。
『チェザーレ』の
12巻目がAmazonから届いたので、
これから、ゆっくりと
味わって読もうと思う。
ルネッサンス期の
イタリアの作曲家の音楽を
BGMとして聴きながら、
ビスコッティをおやつに
エスプレッソや
キャンティ・ワインを味わいながら
時空ワープ感覚をも
楽しんでいる。
散歩の目的として、
近所のツタヤまで出向いては、
ワンコインの古楽CDを一枚
買っている。
きのうは
イタリア・バロック期の
フランチェスコ・ジェミニアーニ
(Francesco Geminiani, 1687-1762)
のチェロ・ソナタを買ってきた。
使用楽器も1700年の
ガット弦の古楽器で
とても床しい音色がした。
ウィキに拠れば、
ジェミニアーニは、
作曲家・理論家と同時に
ヴァイオリンのヴィルトゥオーソでもあり、
英国の王侯貴族からの
庇護も受けている。
作曲家としては、
コレッリからヘンデルをつなぐ
存在であったようだ。
ドメニコ・スカルラッティの父
アレッサンドロや
アルカンジェロ・コレッリに
師事している。
古典絵画の雰囲気で描いた
油彩の静物画が
乾燥のあいだ放置してある。
この冬休み中に
すこし細部を描いて
完成に近づけたい。
ふだんは
お目にかからない
高級食材が
年末年始のスーパーには並ぶので、
フレンチ素材を物色しに出かけてみた。
合鴨のキュイソー(腿)があったので、
ソテーにしてみた。
料理には合わないので
あまり使う事のない
アズール系のドレッセに
挑戦してみた。
青系は本来、
食欲を減じさせる色だが、
食材を補色効果で
引き立てるには
有用なことに気が付いた。
眼には鮮やか過ぎる
コントラストだが、
これはこれで
有りかもしれない。
白地のプレートのように
余白を活かすよりも、
ゴテゴテとゴージャスに
盛り込むほうが
合ってそうだ。
枝付きレモンを
カットしたので、
その枝をも
ドレッセに利用してみた。
ジョーヌ(黄色)と
ヴェール(緑色)の
組み合わせが活きる
クレーム・ブリュレ
をデセールにしてみた。

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