「あ〜。オモシロかった・・・」 <(^.^)> ♪〜 ・・・と言いながら、いつか死んでいきたい。
『わが家新聞』の「こだわりの毎日」欄です。
2021/4/5
毎朝のブログ執筆が
長年の習慣となっている。
還暦を過ぎてから、
半隠居の生活に
なりつつあるので、
毎日を駄々羅に送らぬようにと、
ブログ・ネタにもなるようにと、
意識して日々を暮らしている。
それが、自ずと
ライフ・モットーの
「人生深生き」
に適ってるようだ。
その日を意識的に生き、
翌朝に画像を元に
前日を時系列的に振り返り、
ブログに固定されたら、
数日して読み返してみる。
そうすると、
「一日」を
三度体験したような
気がするのである(笑)。
もひとつは、
Facebookで
「いいね」をしてくれた
知人たちの目になって
読み直す。
そうすると、
虚栄心やら見栄やら
体裁やらも意識され、
「外的価値観」視点でも
己が生活を演ずることが出来る。
もっとも、
自分が何がしたいか、
どう在りたいか、
という「内的価値観」が
いちばん優先されるが…。
日曜のきのう…
朝の寝起きに…
何となく、昼には
「カツ丼」喰いたいなぁ…と、
漠然と思った。
だので、
寝床ん中で、
スマホを起動させ
「福島市 食堂」と
Googleに音声検索をかけた。
なんだか、このあたりは
21世紀的な朝である(笑)。
そうすると、
すぐさまマップのあちこちに
レッド・フラグが立った。
どれも、すべて
行ってる処だが、
そこから、
満足ゆくカツ丼を
提供してくれそうな処を
探し出す。
それは、さすがに
AIには無理だ(笑)。
食堂は、のきなみ
日曜が定休なのが多い。
第一候補に浮かび上がったのが、
ちと郊外にある
「あらい食堂」。
ここは代替わりして、
爺様から若く感じのいい
お兄ちゃんになり、
味もよくなって
客足がどっと増えた。
去年、
ラーメン,チャーハン,カツ丼…
と、一通り試食してみたが、
カツ丼が甘辛加減がよく
好みに合っていた。
11時開店なので、
それに合わせて
午前中を過ごしていたが、
なんやかやで出遅れて
店に着いたのは半近くだった。
そしたら、
なんと、5台ほどの
駐車場はすでに満杯。
あらま…と、
ガッカリしてたら、
都合よく老夫婦が出てきて
車を出す処だった。
ジモティー(地元民)は
開店早々に来てるんだと
思った。
狭い店なので、
先客の爺様と斜向かいでの
相席になった。
コロナ禍なので、
たがいにマスクしたまま
黙礼をし合う。
カツ丼は800円。
席から厨房内が見えるので、
チラチラと進行具合を確認する。
きちんとカツは挙げられてから
サクサクと包丁で切られ、
そしてグツグツ煮込まれる。
重めの瀬戸物の丼は
手取り感がズシリとして
頼もしい。
いかにも、
「かつ、ドン!!」
という重厚長大感がある(笑)。
玉子のとじ加減もきれいで、
青のりもいいアクセントだ。
ここのは、
甘辛のツユが
ご飯の底まで浸み込んでいる。
味は申し分ないのだが、
カツを持ち上げたときに、
衣がはがれ落ちるのが難で、
たぶんに
煮込みが過ぎている。
これはカツ丼では
あってほしくない事態なのだが、
それを崩さないように
箸技を駆使する…
という芸当がいる。
この煮込みカツ丼の
「剥離問題」を
解決していた店が、
38年もむかしに
阪急「水無瀬」の
駅前にあった『江戸屋』
という蕎麦屋だった。
25歳で大阪に赴任して、
三島郡島本町という処に
三年ばかり独身住まいをしたが、
アパートの近所にあった
店である。
大阪なのに
「江戸屋」には
笑えたが…。
なんと、ここのカツ丼は
揚げたてのカツの上に
甘辛に煮込んだ玉葱が
玉子でとじられ
ツユと共にかけられていた。
この調理法には
度肝を脱かれた。
「そうかッ!!
この手があったか…」
と、ほとほと
感心した記憶がある。
この特異なカツ丼は、
カツの上半分は煮込み風になり、
下半分はまだ揚げたての
カリカリ感を保っていた。
まさに、
奇跡のカツ丼である(笑)。
オーゲサカ… ( ˶˙ᴗ˙˶ )ゞ ヘヘ…
その名店『江戸屋』も
在阪中に潰れてしまった。
荒井から
市内にもどってくる途中、
桃の花がきれいに
咲き始めていた。
もすこししたら、
満開の桃の花と
雪兎の吾妻山とを
同時に撮れる
絶好スポットに
来ようと思った。
花曇りの空から
ポツポツと雨滴が
落ち始めていたが、
毎年の観桜スポットであり、
リサイタル・シーズン中には
屋外練習場でもあった
紅葉山公園の板倉神社を
訪れてみた。
驚いたのは、
先日の震度6の余震で
大灯篭が二か所で
崩れたまんまになっていた。
そういや、
うちの茶庭の織部灯篭も
未だ倒れたまんまである。
福島藩主の
板倉氏の祖先を祀った神社だが、
6年間の『復興支援リサイタル』では
ずいぶんとここで練習をさせて頂き、
また、リサイタル成功祈願と
御礼参りもさせて頂いていた。
眼下には
ジモティーが
隈畔(わいはん)と呼ぶ
風光明媚な阿武隈河畔が
一望に拡がっている。
ここは、
連ドラ『ひまわり』の
ロケ地にもなり、
『男はつらいよ』の
候補地にもあがった名所である。
さくらは散りかけだったが、
やはり風情があって
佳かった。
いつもの
コンクリ・ベンチに座り、
フラメンコのコンパスを
半時ほど反復練習した。
人通りがほとんどなく
遠慮なくバンバン音が出せて
気分もずいぶんと解放された。
喘息性気管支炎も
吸入薬治療のおかげで
もう症状を感じないほどに
寛解したが、
出先から戻ると、
すこしばかり疲れを感じ、
無理せずに横になった。
気慰みに、
ベッドサイドに積んであった
未読の『7人のシェイクスピア』を
読みだしたら、面白くなって
一気にシーズン1の
全6巻を読破してしまった。
その続きが読みたくなり、
ヤフオクで
シーズン2の最新刊まで
13巻を廉価で落札した。
明日あたり
到着しそうなので、
楽しみである。
この中で、
リュートを弾くシーンが
沢山あり、それが
リアルに感じるのも
読む楽しみになっている。
リュートのオリジナル曲でもある
『グリーンスリーブス』は
この頃以前に作られたという伝承もあり、
シェイクスピアの喜劇
『ウィンザーの陽気な女房たち』では
「グリーンスリーヴスの調子で
雷鳴をとどろかせよ!」
というセリフが出てくるので、
彼も耳にしていたことは間違いない。
散歩の途中、
ツタヤの古書コーナーで
『剣客商売』の最新刊39巻を
半額で買ったので、
手元になかった37巻を
アマゾンに注文した。
池波正太郎の原作だが、
さいとう・たかを版は
全4巻だが、
大島やすいち版は、
未だに延々と続いている。
今日から
「慣らし保育」に
初登園するリク坊ちゃん。
ミカちゃんが
送ってくれた
カエルみたいに
ぺったんこになって
寝入ってる姿を見て、
ジイジ・バアバともに
「か〜い〜ね〜!!」
と相好を崩した。
カミさんは
「三人とも
よくこんなカッコしてたねぇ…」
と、ダンゴ三兄弟の
赤ん坊の頃を思い出して
懐かしそうに見入っていた。
リク坊ちゃんも
今日から「社会」にでて、
ママから離れるんだなぁ…
大丈夫かなぁ…
はじめはギャン泣きするだろなぁ…
と、ジジはいろいろと
心配しきりである。
⁂
新年度になって、
フミは今日から
大阪勤務になるという。
自分も25歳から
11年間「大阪勤務」だった。
その間、
在住した京都で
フミとアキが産まれた。
フミは5歳まで
京都の保育園で育ったので、
生粋の「京都っ子」だった。
その頃のビデオに残ってる姿には
「あかん!」
とか
「きいひんやん」
という
ネイティヴ京都弁が聞かれる。
なので、
先日、温泉で
ナッちゃんと三人一緒に
露天風呂につかりながら、
「きっと、すぐに、
ネイティヴのスイッチが入って、
関西弁ペラペラになるかもよ…」
と予言しておいた。
9歳までに
インプリンティング(刷り込み)
された音声言語の特性は
絶対音感と同様に獲得されて
潜在的なアプリになっているはずである。
ただ、
これから、
リク坊ちゃんも
浪速っ子になって、
関西弁モードになるかと思うと、
なんだか、ちっとばかり
妙な気分ではある。
彼もまた、
ネイティヴになってまうやん(笑)。

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