図書館から
歌丸の『牡丹灯篭』を
借りて聴いてみたが、
これが、からっぺたで
ひどかった。
かつて、談志家元が
「歌丸と俺の独演会が同じ
3.000円というのは嫌だ」
と言っていたのを思い出した。
方や天才で名人である。
歌丸の落語は
登場人物に感情移入ができていなくて、
存在感もまったくない。
ちょうど、同業者にも
下手呼ばわりされていた彦六と
同じような素人芝居みたいな
話ぶりである。
これならば、俳優による
朗読のほうが遥かに
人物描写が巧い。
米丸門下で、口調の本寸法でない
新作から入ったが人間が、
古典や人情噺には不向きであることを
本人は気づかないのであろうか。
『笑点』での
解答者や司会者としては
面白みがあるのだが、
こと古典落語に関しては
からっぺたで嫌になる。
********
魂理学随談
プチぐれユイ
奈保子。ユイちゃんが、父親の介護、母親の失踪などのストレスで「プチぐれ」になっちゃいますね。
自分を護ってくれていた父性性と母性性が突然崩壊してしまった混乱と心細さで押しつぶされそうになったんでしょうね。
それと、自分の夢を叶えようとした直前に、度重なる不幸に見回れたわけですから、十代の子にはキツイことですよね。
先生。うん。いわゆる対象喪失の連続ですね。自我防衛機制としての反社会的なアクティング・アウト(行動化)なわけですよ。
奈保子。家出して半グレ風の男と同伴して現れたのは、ちょっとショックでした。なんだか、彼女のピュアなヴァージニティ(処女性)が穢れてしまったようで…。
先生。そうだね。アイドルというのは、崇拝対象の偶像という意味もあるからね。AKBでも、男性問題で頭を坊主にしちゃった子がいたでしょ。
奈保子。原家庭が崩壊すると、擬似家庭に救いを求めるようなことはよくありますよね。
先生。はいはい。その道を極めると「極道」になっちゃいます。たがら、あの社会では、親父とか、兄貴とか、叔父貴とか、舎弟…というように「家族用語」を使うでしょ(笑)。
奈保子。暴走族や半グレ集団なんかも、一種の擬似家族なのかもしれませんね。
先生。そうかもね。
奈保子。ユイの心情としては、自分を壊してしまいたい、という自傷感情に近いものがあったんでしょうね。
先生。そうだね。無意識下では「死と再生」のイニシェーション(通過儀礼)をやっているようだものね。
奈保子。そこで、元ツッパリでアイドルになり損ねたアキ・ママ(春子)の存在は大きいですね。
先生。大先輩だものね。彼女の言うことだけにユイが耳を貸したのは、さもありなんです。
それと、スナック「りあす」という再生のトポス(場)が重要な役割をしめているんですね。
奈保子。どのようにですか。
先生。都落ちしてきた失意の春子が、そこを通じて故郷に同化したり、母親と和解したり…と、いわゆる変容の器としての「母胎」であるわけなんです。
奈保子。なるほど。ですから、ユイも春子に促されて、本能的にそれを察知して、カウンター内に立つわけですね。
先生。そうそう。カウンター内で常連客たちと接することが、彼女の社会性を取り戻すためのリハビリなんですよ。

0