王将戦恒例の
勝者のコスプレで、
ソーちゃんが
バレンタインデーと
松尾芭蕉を真似た
スタイルでスポーツ紙に載った。
プロ棋士の仕事には
将棋の普及活動もあるので、
芸能人よろしく
仕事を選べない処も
あるのやもである。
そういや、
不二家のチョコや
おーいお茶のCMは
すぐに終わってしまったなぁ・・・。
続編に出ないということは、
そうとう本分の棋戦で
多忙なのであろう。
佐々木・高見と
有望な弟子たちの
名伯楽でもある
石田九段は、
現役棋士の頃から
「フラ」という
持って生まれた可笑し味があり、
その語り口はますます円熟し
講談・落語調になってきた。
YouTubeサイトでは
ソーちゃんの棋戦があるたびに
その神業を絶賛しているので、
ファンは棋戦翌日には
必ずやその賛辞を
楽しんでいる。
今回の王将戦についても、
早くから、4-0の可能性がある、
と予言していたのも、
さすがの慧眼である。
毎日、YouTubeサイトで
テオルボという古楽器の
演奏家を何人も視聴していたら、
日本人でハーグの音楽院で
留学中の上田朝子という
若い女性のサイトを見て
感心した。
彼女に感化されて、
手持ちの
リュート・アッティオバルト
という楽器を
テオルボ独特の
リエントラント調弦という
特殊な弦の張り方に換えて
ロベール・ド・ビゼーの
テオルボ曲を勉強している処である。
なんとか、
ものになったら
また録音してアップしてみたい。
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『鉄人の思ひ出』4
ホトケの小野先生が、その温厚なご尊顔を険しくされたのを、私は二度ばかり目撃したことがある。
一度目は、ゼミの最中だった。
在学中の一九九四年に、大江健三郎がノーベル文学賞を受賞して、その記念スピーチ『あいまいな日本の私』という中で、自国のことを貶めるようなことを吐き、それを聞き捨てならぬと先生がお怒りになって
「馬鹿が・・・」
と痛罵されたのである。
それは普段の温和な先生には似つかわしくもないキビシイお顔だったので、驚いたものである。
察するに、戦争体験で実際にご苦労なされたので、戦後民主主義を嘯く文士の軽薄さに辟易されたのであろうと思うが、未だに、そのご真意は測りかねる処である。
二度目は、私の副査で指導教官だったK先生が、心身症を苦に病み自死された時、その訃報に接して
「馬鹿が・・・」
と、一言、寂しげに漏らされた。
それは、蔑みではなく、幼い二人の愛児を残しての早死にだったので、惜しまれての哀切からでた言葉とお見受けした。
K先生は小野先生と同じく東北大学のご出身で、その後輩が、心理教室の助教授に採用されてから母校から博士号を授与されたので、小野先生はそれを我が事のようにお喜びになられていた。
そのK先生が、逸早く教授に昇格した途端に、重責が負荷となったのか心身症になられ、一度も教授として講義する事なく寝込まれてしまい、最後、黙って逝ってしまったのである。
臨床系の小野先生や私は、その心因性疾患を感じていただけに、残念でならなかったのだ。
K先生は、教育心理学が御専攻で、茶飲み話の冗談ではいつも「臨床心理学なんて・・・」
と軽口を仰っておられた。
私は年齢が近かったので、ゼミでは親しくさせて頂いていたので、個人的にもお電話を頂き、僭越ながら、いろいろと症状軽減のための助言などもさせて頂いたのだが、
「わかった。ありがとうね・・・」
と仰るも実行はされなかったようだった。
病床の枕元で指導を受けたという、最後の直弟子の院生が
「K先生の最後の言葉が、心理学なんて役に立たない・・・と、仰ったんです」
と哀しげに語ってくれた。
その彼女とふたりで縁ある院生たちに声掛けをして『追悼文集』を出させて頂き、ご遺族のお慰めにお届けし、御仏前にもお供えさせて頂いた。
K先生は、優秀な心理学者であられたが、繊細に過ぎて、しかも、臨床心理学的な分析でご自分の「こころ」の弱さ脆さと対峙するのを潔しとしなかった事が、惜しまれてならなかった。
なので、先生によく尽くしていた直弟子の彼女とは
「先生・・・。ばかだなぁ・・・。きっと、治ったのに・・・」
と、語り合ったことがある。
小野先生も、おそらくは、我々と似た心情で
「馬鹿が・・・」
と、心理教室の主任教授として、逸材の早世を嘆かれたのだろう。

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