フミの結婚式に
山梨の「八ケ岳」まで
赴いてきた。
大宮から埼京線で新宿まで行き、
そこから狩人の歌にもなった
『あづさ2号』ではなく・・・17号で(笑)、
「小淵沢」までの
4時間の行程だった。
ちょうど、
京都へ行くほどの
時間感覚だったので
身についてる旅程でよかった。
しかも、
行きしなは、
ソーちゃんの「順位戦」を
スマホ観戦しながらだったので、
退屈しなかった。
フミの挨拶に
「日常生活から離れて
非日常の時間を愉しんで下さい」
というのを聞いて、
もっともだなぁ・・・とも、
感じた。
初めての『あづさ号』乗車、
初めての山梨県、八ケ岳、
初めての息子の挙式、
そして、7年ぶりの
家族全員集合・・・と、
高原のリゾート地で
それは夢のような時間を
過ごさせてもらった。
カミさんと共に小旅行するのも、
3.11で、アキとナッちゃんを
京都疎開に受け入れて頂いた
元同僚へのお礼伺い来
8年ぶりである。
小淵沢というローカル駅に
先に到着して、
東京と新潟から来る
アキとナッちゃんと待ち合わせをしたが、
異郷の地で、家族と会うというのは
なんだか不思議な感覚でもあった。
式場とホテルがパックになっている
リゾート施設での
夕方からの挙式というので、
街中の真昼間のイヴェントとは
いささか赴きがことなり、
それも不思議な気分であった。
部屋で着替えた親子三人が
式場に向かう途中、
正装を済ませたお兄ちゃんたちに逢い、
ホテル従業員たちが
花びらシャワーを撒いて祝福する
フラワーロードにさしかかる直前だった。
三十路を過ぎた二人だが、
花嫁は美しく、
フミも凛々しく、
素敵なカップルに見えた。
弟ふたりの目にも
きっとそのように
映ったことであろう。
それは
ブライダル・コーデによるものでなく、
一生懸命に勉強し、
スポーツをし、音楽をし、
真面目に仕事をして、
楽しく遊んできて、
人を大切にし、家族を愛し、
互いに愛し合ってきたからこそ、
輝いて見える姿だった。
ちゃんと真っ当に生きてきた
証(あかし)なのだ。
カミさんも
母親として
どれほど嬉しく
誇らしかったことだろうか。
親バカと言われようが、
何と言われようが、
三人とも手塩にかけて育ててきた
何処に出しても恥ずかしくない
見事で立派な自慢の息子たちである。
自分がこの世に残した
最高傑作は
「三人の息子たち」
に他ならない。
新婦の御尊父からも
「素晴らしい好青年で、
安心して娘を託せると
確信できました」
とスピーチを頂いて
感激した。
挙式は
若いカトリックの神父様が
聖書の言葉を引用しながら
誠実にふたりを
「夫婦」という
新たなソウル・ステージへと
導いて下さった。
新郎は新婦の両親と握手し
そこに神父様が立ち会って
「今日から、あなた方の息子となります」
というお言葉で祝福を与え、
次いで、新婦のミカちゃんが
我々夫婦と握手して、
そして、三人で手を重ねあって
「今日から、あなた方の娘となります」
と祝福を下さった。
その瞬間、
急に、嗚咽しだして
オンオン泣きをしてしまった(笑)。
(今も泣いてる・・・笑)
祝宴の二次会では
笑い話にもなったが、
心理分析家が分析する前に
カミさんから
「ずーっと、娘が欲しかったからじゃないの・・・」
と、言われて
「あ、そっかぁ・・・」
と腑に落ちるようだった(笑)。
もっとも、
それもあるが
フミが誕生してから
30年間の人生が
走馬灯のように
脳裏に浮かんだのもあったのだろう。
それは、かつて、
一度も体験したことのない類の
感動の涙だった。
突然に湧き出でてきた
情動に激しく揺すぶられての
滂沱の涙だった。
まさか、息子の挙式で
こんなに泣くとは
夢にも思っていなかった。
自分もまた、
花嫁の父と同様に
一生懸命育ててきて
一生懸命愛情を注いできたのだろう。
コンサートでも
読書でも観劇でも、
かつて、これほど感動させられて
涙を流したことはなかった。
自分の一生の中でも、
最高に感激した瞬間だったかもしれない。
…:;(∩´﹏`∩);:. イキテテ、ヨカッタァ…
カミさんは
新婦の御母堂と歓談もし、
プログラムでは
祝宴のためのノンアル・サングリアを
共同作業で作った。
この日、いちばん泣いてたのが
新婦のお母様(同い年)で、
次が自分だった・・・(笑)。
カミさんのハンケチを借りたら、
「洗って、返してよ・・・」
だってぇ・・・(笑)。
カミさんも
30年も経つと、
こーなるぞー(笑)。
ヾ( `_ゝ´) ノ デテケ〜ッ! ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ ヒェ〜ッ!
フミに請われて
祝宴の〆の余興として
『コーヒールンバ』を弾いた。
「わたしは話下手なので(笑)、
ギターでもって、今日の良き日を
お祝いしたいと思います・・・」
と、前置きした。
その方が、
スマートだろう・・・と、
フミとは打ち合わせしといた。
プロに話しさせたら、
新郎新婦や御尊父のスピーチに
勝っちゃうもんねぇ・・・(笑)。
演奏には新婦側のご両親に
たいへんお喜び頂き、
ギタリストとしての面目も立ち、
フミの〆の挨拶の
「今日は、愉しんで頂けたでしょうか・・・」
というウェディング・プランニングの
役に立ったことにも安堵した。
披露宴ではなく、
祝宴という食事会形式だったので、
田舎式場にある田舎結婚式スタイルでなく、
スマートでソフィスティケートされた
粋なパーティーで、心から楽しめた。
会場の真上が宿泊部屋というのも
気が利いていて、
二次会も全員が顔を揃えたが、
歳の順から銘々、挨拶して
辞去されていた。
フミとアキは
7年ぶりの再会だったので、
3時半まで飲み明かしていた。
この日、
ミカちゃんのお婆様が
95歳というご高齢ながら、
わざわざ叔父様の運転される車で
金沢からおいでになられた。
師走の高原の半野外のチャペルで
毛布にくるまれながら
愛孫の花嫁姿に目を細めて
「ほんまに、いい思いさせてもらいました」
と金沢弁で仰っていた。
身内と親友だけの
小さな手作り結婚式と祝宴だったが、
皆に寿がれ、喜ばれ、涙された、
素晴らしい一夜だった。

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