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種子島移住
種子島に移住者の記録があるのは、1201年鎌倉時代はじめ(建仁元年)鎌倉幕府北条氏から南海12島を治めるように言われた肥後守時信→改名し初代種子島信基〜4代真時までは鎌倉にいた。統治していたのは移住した派遣代官(守護代、地頭代)で松下、田中、三浦、徳永氏などと同行した家来100余人である。
島主が種子島に下向し居を置き直轄したのは第5代種子島時基以後である。室町時代には刀鍛冶が良質の蹉跌を求めて移住してきています。明治以後種子島に移住記録は
◆明治17年 揖宿郡から6戸
◆明治19.20年甑島飢餓のため600余戸 1379人
◆明治19年 坊の津から19戸
◆明治28年 奄美大島、徳之島、沖永良部島から数個
◆明治30年 香川県から10戸
◆明治35年 各地から10数戸
◆大正3年 桜島爆発により336個2193人
◆明治42年 静岡県から365戸2193人→茶の生産業を伝える
◆明治43年以降 喜界島、与論島、沖縄から
◆戦後 昭和21年以降 戦争終了により開拓地を求めて全国各地から移住
(パラオ諸島で従軍の日本兵、台湾、朝鮮、樺太、北海道、山形、福島、静岡、愛知、石川、大阪、兵庫、高知、福岡、佐賀、など174戸 900人。甑島からは特に多く182戸)
よって現在、移住者の血の混じらない種子島人は皆無であることを認識すべきです。

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