
(中種子町広報昭和27年3月第1号〜平成5年迄収録本より↑)
私が初めて飛行機に乗ったのは5歳、
昭和29.12月種子島の「中種子町営高峰飛行場開通記念日」だった。
飛行機に乗る分限者(お金持ち)でもなかったのに?? 父に聞いたら「抽選で当たったから・・」と。
今でも、空からの増田海岸の白波と海と空の青色は忘れない。5歳で飛行機に乗ったことは自慢のひとつです。
単発飛行機
こまどり号、パイロット含め3人しか乗れなかったが、私と弟で1人前ということで4人乗った。
小島操縦士が「どこの上を飛びたいか?」というので、大平の上を通って母の実家「増田の上!」とわたしは大きな声で言った。少し遠いが「良かろう」と小島操縦士が言ってくれた。
エンジンの轟音と振動、両翼が上下に揺れているのに、空を飛んでいる嬉しさで怖くなかった。そのためか、今でも高いところは平気で新宿高層ビル240mのところで作業したこともある。
あとでわかったことだが、飛行時間は5分まで、無料飛行は5回。小島操縦士は種子島出身の方だった。
笹川満夫君にこの話をしたら、その日のことをハッキリ覚えていた。なんと彼はおたふく風邪で外に出られず家の縁側から大空を飛ぶ飛行機を「乗ってみたいなあー」の憧れ一心で見ていたというのです。
その後、昭和33年種子島空港開港、平成11年4月新種子島空港開港。

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