2006/5/13

そのあと晴れ間に何を語ろうと俺の知ったことじゃない  







そのあと晴れ間に何を語ろうと俺の知ったことじゃない
気が触れるほど雨の音を怖れて、カーテンを渦巻き官に詰め込んだところで
誰もそれが苦難だなんて認めてくれはしないよ―見た目にはほんの少し変わり者なんだなと
粗末に結論付けられるだけのことだ

俺は数百円で買ったビニールの傘を差して、家からさほど遠くない公園のベンチに腰をかけていた
それははたから見れば頭のおかしい人間のすることに見えただろうが
そのときの俺にはえらくそれが拘らなければいけないことのように思えたんだよ
広場で遊ぶ子供連れが雨を避けて量販店に車を走らせていたから
面と向かって怪訝な顔をされることはなかったけどもね
あいつらは遊べるものなら何でも利用するから…缶でも傘でも虫の屍骸でも
しばらくそうしていると雨が弱くなってきたので
多少の濡れは気にせずに傘をたたんで歩くことにした
春の雨は身体に害を為すことは無いというしね
潜んでいた虫達がアフリカのパーカッションのように騒ぎ出したら
もうすぐ風が吹いて雨が止むだろう
そういうことはたくさん歩いていれば自然と勘づくようになるものさ
本屋に立ち寄って週刊誌を眺めていたら
どこかで見たことのある男が俺の肩を叩いて名前を呼んだ
俺はその男の名前を思い出すことがどうしても出来なかったが
高校の頃に同じクラスに居た男だと言う
そこまで聞いても俺にはまったく心当たりはなかった
自分が高校生だったかどうかも記憶としちゃ怪しいもんだ
まあそんなこんなでそいつと喫茶店に入って
昔のことをあれこれと話したのさ、コーヒーを微妙にアレンジした飲み物を二人ともが頼んで
確かにそいつは俺と同じ出来事をいくつか覚えていて
俺の記憶にところどころ色を塗り直してくれた
俺ときたらそいつのことを思い出そうとすればするほど
他の記憶までぼんやりかすんできちまうという有様だったから
仕事で来てるんだとそいつは言った、誰かに会えないかなと思っていたら君に会えたと
そうかいそりゃよかったところでお前誰だいと俺はもう一度どうしても尋ねたかったが
なんというか懐かしいムードみたいなものに押されてそういうこともあるさと言うに留めた
ところで、さっき、君を実は公園で見かけたんだけど…と少ししてそいつが言い辛そうに言うので
ああ、雨の中で傘を差してベンチに腰を下ろしていたよと俺は丁寧に返事してやった
やつは目を丸くして俺にこう尋ねた、一体全体どうしてそんなことを?
ふむ、と俺は言いながら―(そもそもこいつはなんらかの形であの光景に納得のいく答えが欲しくてこんなことを聞いているのだろうけどしかし俺自身にも何とも例えがたいものをこいつにわかるように説明など出来るわけがないじゃないか)とか考えて
なんか面倒臭くなったので趣味だと答えた
趣味!?とやつは聞き返した
うん、と俺は答えた―ほら、フェチズムみたいなもんでさ、女の靴とか踵とかに興奮する傾向ってあるだろう?俺にとってはそれが雨の日に公園のベンチに腰を下ろすということなのさ―我ながら簡潔な説明だった
本当にそうかどうかなんてことはどうでもいいんだ、だってなかなかよく出来ていたから
は、はあ、とやつは生返事をして俺から目をそらし、腕時計を見たりおしぼりでテーブルを拭いたりした
仕事で来てるって言ってたな、気の毒になったので俺は助け舟を出した
ああ、ああ、そうなんだ、やつは思い出したように何度も頷いた、もう行かなくちゃ
うん、と俺は頷いてまたどこかで、と言った。ああ、君も元気でと言いながらやつはまた時計を見た
雨も止んだようだね、それがやつの最後の言葉だった

俺も自分の勘定を済ませて外へ出た、さっきまでの雨が嘘のように空は晴れ上がり、清々しい風が公園を吹きぬけていた
俺は穏やかな気分で公園をゆっくりと時間をかけて歩いた
それにしてもあいつ、誰だったかな、卒業アルバムはとっくに捨ててしまっているし…
まあ、そのあと




そいつが晴れ間に何を語ろうと俺の知ったことじゃない









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2006/5/12

汚れた食卓から戦争が始まる  







すすけ始めたショート・ケーキと酸っぱくなったブルー・マウンテン・コーヒー
大好きなものが君を裏切るのに
そんなに長い時間は掛からないのさ、傷ついちゃいけない
誰もが君の戒律を壊そうと隙を窺っている、破り捨てられた頁に記してある言葉には
きっと
何の教えも感じられない
口にするもしないも君の自由だけれど、それはもしかしたら
君の体内の組織にやばい損傷を施してしまうかもしれない
裏切ったやつの背中に追いすがったりなんかしちゃいけない、それは
君の尊厳を地の底まで貶めてしまうことになる
君に出来ることはたぶんやせ我慢をして見送ることぐらいなのさ
眠れないことは一応覚悟しておいて寝床に潜り込もう、だけど君は決してイラついちゃいけない
心を隠して見る夢ほどに怖いものはないから
ある意味君の不眠は君を救おうとしているのかもしれないんだぜ
だって、『ケーキとコーヒー?』ハハン、何ならそのまま食卓の上に並べておきなよ…もしも君が臭いに鈍感だというなら
そいつが日に日に形を変えるのをずっと眺めていればいい
もしもお腹が空いてどうしようもなくなったなら、ほんの少しだけ指でクリームをすくって
どんなことが君を打ちのめすのか確かめてみればいい、それは決して君の口腔で甘く味を変えたりなんかしない
退屈な日常を木っ端微塵に打ち砕く絶望が欲しかったんじゃないのかい―それが自分を変えてくれるって、どこかで強く信じていたんじゃないのかい?
嘘ではないね
嘘ではないよ、だけど、もしもそれをいいほうにだなんて考えていたんなら
君はそこにある油のようなブルー・マウンテンよりもっとずっと阿呆だったってことだよ
君の戒律の為にミサを開いてくれる神父なんかどこにも居ない
だってそれは君だけにしか分からない言語で書かれているんだから
国、歴史、人種、そんなものたちの言語がどうして統一されなかったか分かるかい
そこには理解が困難なものがあるんだって誰もに悟らせなければならなかったからさ
だってそうだろう、丸見えの愛なんてプランクトンにでも任せておくしかないじゃないか
メイドカフェに行けば似たようなものは手に入るかもしれないけれどね
君がそれを口に含もうが今すぐ流しに捨てようが僕の知ったことではないけれど
だけどね、よくお聞き、瞳さえきちんと開いていれば僕らはどんなものからだって学ぶものが出来る
詩情と激情を履き違えたり
信仰と戦争を履き違えたりして孤独の死体の真ん中で頭を抱えるなんてこともうしなくてもよくなる
打ち返すことも左の頬を差し出すことも
そうするだけの理由が無ければきっと正しいことなんかじゃない
僕らに様々なナイフが与えられたわけは
それを時には誰かの肉にめりこまさなければならないということを学ぶためなのかもしれない
本当の刃の意味なんて
殺し合いをした奴にしか分からないのかもしれないけれど
仮に硝煙の臭いを嗅いだからとて銃の意味が分かるとは到底思えないけどね、だって
それは感触と呼べるものではないからさ
そうでなければ戦争なんてあんなにブームになりはしないよ
感触の無い死体ならそれが誰だってきっと踏みつけられる
だから、もしも君がそのクリーム、もしくはコーヒーを口にして酷くお腹を壊したりしたら、君の心にはきちんと裏切りが刻まれるかもしれない―やってみろとは言わない、僕は何度も君にそう言ってる
君が決めることだ、君が決めることだ
それはどちらにせよ君が決定しなくちゃいけないことなんだよ
すすけ始めたショート・ケーキと酸っぱくなったブルー・マウンテン・コーヒー
君はたぶん食卓が気になってこの先何もすることが出来ない
それは君がどちらにも決めることが出来ないせいさ
裏切ったやつの背中になんか追いすがっちゃいけない、それは君の尊厳を地の底まで貶めてしまうことになる
どんな結果が訪れるにせよ君は自分でそのことを片付けなければならない
ナイフを突きつけてくるのは、なにも





他人ばかりとは限らないんだぜ











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2006/5/9

だからといってそれが何かを語ろうとしてるわけじゃない  








誰かの指を離れた蝉が雲形定規をなぞるみたいにJRの高架の向こうに飛んで
まどろみの後の調整の様に一瞬すべてが口を閉ざしたそれから
爆風の様な風が気まぐれに、私達の頬にまといつく汗を喰らい尽くした
『雨が来るかもしれない』、慣れた誰かが予言の様にそう呟いて
私はそれまでのすべてのことを遠すぎる空の向こうまで捨てた
河の向こうに連なる山々の緑色があまりにも輝いていたから
それが結構哀しい結末だなんてことをうっかり見落としてしまったのだ
地鳴りのような音がして夕立が始まり、馴染みの駄菓子屋のおばさんが押し付けてくれた紺色の傘の下
長い擦傷の様な雨が路面でたんと跳び上がるのをしばらく見ていた
『誰のせいでも無い』、そういう類のことがこの世には確かにあるんだと
教えてくれたのはずっと昔に瞳を閉じたあのひとだったっけ
あれから何年、なんて言葉が痛くも痒くもなくなるほどに
いつかこんな激しい雨の記憶も味気無いものに変わってしまうんだなぁ
『そして途方も無い哀しみ』、だとか、『まるで世界が終わってしまった様な』、なんて
居酒屋の一角で自分を飾るための道具になってしまうんだ
雨は一向に止む気配が無く、辺りは次第に色を落とし始めて
仕方が無いのでそのまま駅に向かって長い土手を歩いた
飛沫を跳ねながら地元の子供達がずぶ濡れで家路を急ぐ
『返してくれなくてもいいよ』、と少し歳を取り始めたおばさんは言ってくれたけれど
明日晴れたら返しに来た方がきっといいよね
予定に慣れるのが下手くそだからなんだか腕が重い
駅につく頃には街灯がそこらで灯って
さすがに無口になり始めた雨に囲まれてぼんやりとしていた
以前の値段を券売機に放り込んで、値上がりしたのだと気付くまで何度かボタンを押した
帰ってきた日にも同じことをしたばかりだというのに
疎遠の罰は遠くからあまり痛くないものを投げるみたいに
それでも確かに時々意固地な長袖の腕を抓る
子供に孵って雨の中に飛び出したくなる、それを少し痛いなと感じるたびに
来たときには居なかった駅員さんはクラスメイトのお父さん『やあ、久しぶり』
『生憎の天気だね』、『そうですね、でも、涼しくていいかもですね』
『しばらく帰って来なかったね?』『忙しくて―』思わず苦笑い、だって
それが大人だと思っていただけなんです
陸ガメの様に1両だけの電車がふうふうと
何も変わってないみたいなホームに滑り込む『それじゃあ』、手短にさよならして
しゅー、と一息ついた電車のシートに腰を下ろした
まぼろしみたいな気がする、こんな風に見つめるいろいろな景色は
雨が止んだら、私はきっと気体になって
ここ数日の思いの上をそよそよと漂うのだ
『ドアが閉まります』、聞き取りやすいゆっくりなアナウンス
誰にも辛い思いをさせたりしないようにアクセントをつけながらドアは閉まって
『やれやれ』と古い電車はまた力を込める
窓の外を流れてゆく点々とした灯りを見ながら
何故か手の中に納まりきらない切符をジーンズのポケットに移した
紺色の傘を伝った雨粒は
静かに
がら空きの車両に水溜りを作ろうとしていた










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