2006/5/9

だからといってそれが何かを語ろうとしてるわけじゃない  








誰かの指を離れた蝉が雲形定規をなぞるみたいにJRの高架の向こうに飛んで
まどろみの後の調整の様に一瞬すべてが口を閉ざしたそれから
爆風の様な風が気まぐれに、私達の頬にまといつく汗を喰らい尽くした
『雨が来るかもしれない』、慣れた誰かが予言の様にそう呟いて
私はそれまでのすべてのことを遠すぎる空の向こうまで捨てた
河の向こうに連なる山々の緑色があまりにも輝いていたから
それが結構哀しい結末だなんてことをうっかり見落としてしまったのだ
地鳴りのような音がして夕立が始まり、馴染みの駄菓子屋のおばさんが押し付けてくれた紺色の傘の下
長い擦傷の様な雨が路面でたんと跳び上がるのをしばらく見ていた
『誰のせいでも無い』、そういう類のことがこの世には確かにあるんだと
教えてくれたのはずっと昔に瞳を閉じたあのひとだったっけ
あれから何年、なんて言葉が痛くも痒くもなくなるほどに
いつかこんな激しい雨の記憶も味気無いものに変わってしまうんだなぁ
『そして途方も無い哀しみ』、だとか、『まるで世界が終わってしまった様な』、なんて
居酒屋の一角で自分を飾るための道具になってしまうんだ
雨は一向に止む気配が無く、辺りは次第に色を落とし始めて
仕方が無いのでそのまま駅に向かって長い土手を歩いた
飛沫を跳ねながら地元の子供達がずぶ濡れで家路を急ぐ
『返してくれなくてもいいよ』、と少し歳を取り始めたおばさんは言ってくれたけれど
明日晴れたら返しに来た方がきっといいよね
予定に慣れるのが下手くそだからなんだか腕が重い
駅につく頃には街灯がそこらで灯って
さすがに無口になり始めた雨に囲まれてぼんやりとしていた
以前の値段を券売機に放り込んで、値上がりしたのだと気付くまで何度かボタンを押した
帰ってきた日にも同じことをしたばかりだというのに
疎遠の罰は遠くからあまり痛くないものを投げるみたいに
それでも確かに時々意固地な長袖の腕を抓る
子供に孵って雨の中に飛び出したくなる、それを少し痛いなと感じるたびに
来たときには居なかった駅員さんはクラスメイトのお父さん『やあ、久しぶり』
『生憎の天気だね』、『そうですね、でも、涼しくていいかもですね』
『しばらく帰って来なかったね?』『忙しくて―』思わず苦笑い、だって
それが大人だと思っていただけなんです
陸ガメの様に1両だけの電車がふうふうと
何も変わってないみたいなホームに滑り込む『それじゃあ』、手短にさよならして
しゅー、と一息ついた電車のシートに腰を下ろした
まぼろしみたいな気がする、こんな風に見つめるいろいろな景色は
雨が止んだら、私はきっと気体になって
ここ数日の思いの上をそよそよと漂うのだ
『ドアが閉まります』、聞き取りやすいゆっくりなアナウンス
誰にも辛い思いをさせたりしないようにアクセントをつけながらドアは閉まって
『やれやれ』と古い電車はまた力を込める
窓の外を流れてゆく点々とした灯りを見ながら
何故か手の中に納まりきらない切符をジーンズのポケットに移した
紺色の傘を伝った雨粒は
静かに
がら空きの車両に水溜りを作ろうとしていた










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