2006/10/30

カーテン(遠方では雪)  








遠方に降る雪のニュース、君のエアメールはもう長いこと音信不通
感染源は不明、長い欠落の日々の中で
少女のように手首を苛める癖がつく
昨日から比べて
異常と言えるほども極端に温度が下がったのに
まだ秋までの装備しか持ち合わせがなくて
ヘッドホンでロキシー・ミュージック、少し体感温度が麻痺する
この前の食事がいつのことだったかとか
この前バスを使ったのはいつだったとかなんて、もう
気にとめることもしなくなって
なんとなくテーブルの上のものを口に運んでは
吹雪のような音を立てて吐く
何度も気が遠くなるのに
そのままいっそ逝ってしまえたらいいのに
君のエアメールはもう長いこと音信不通
それだけがこんな迷路の理由じゃきっとないだろうけど
君はきっと安全ピンを外す役割をしたのさ
パイナップルの中の火薬がひどく弾けて
心身が四散して拾い集めることもままならなくて
冷たいビートの中に幸せなまぼろし、だけど何もカタなどついてはいなかったんだ…
それは先天的な欠落、覚えてきたものたちが凍てついて溜まるから
本当はいつでも凍えてばかりいたんだ
樹氷のように心がなくなればいいのに
樹氷のように心がなくなれば
君は安全ピンを外す役割をしただけなんだ
救われていたんだ、どうもありがとう
愛されていたんだ、どうもありがとう
見ることが出来ないはずの夢を見ていられた
洗えない食器の中で見慣れない影が動く…ねえ君、よかったら少し話をしよう
それでもし話が合うようならさ
とりあえずお友達から始めてみないか?
唇だけで笑ってそう問いかけてみたけれど、触角だけで冷たくあしらわれて
それはそそくさと物陰のひとつへ逃げていった
壁掛けの時計は君がいなくなってからほどなくして電池がなくなって
壊れ始めた午後のまましんと針を止めている
自分以外の誰も音を立てなくなってから
何度もドアノブが回る音を聞いた
それは過去からのようでもあり
まったく関係のない未来からのようでもあった
今ではもう誰も待っていない、遠方に降る雪のニュース
なにも間違ってなんかいない、ただとどまっているだけ
許容量を超えて、溢れるか決壊するかすれば
きっとどこかに流れ始めることが出来るさ
それが望んだ場所かどうかなんて想像もつかないけれど
風が強く窓を叩くたびに
誰かが笑っているような気がする、ふふふ、あははは
聞こえるたびに目を細めて
そこに自分の記憶があるかどうか確かめようとしていた
哀しんでなどいない、だから
なにも気にとめる必要などない
少なくともここには雪は降らない
テレビなんか本当は見たくもなんともないけど
リモコンがどこかへ隠れてしまってぜんぜん見当たらない
見つけようとすると
あちらこちらを引っ掻き回すだけで終わってしまうから
深い藍色のカーテンを買ったんだ、独りになってすぐに
そいつのせいで朝も夜もないよ
ただ沈殿して揺れているみたいな気分、ずっと長いこと
「マリモだって生きているんです」昔誰かがテレビで言ってたな
だったらこれも生きていることには違いない
トイレに行くためになら動ける、今のところはまだ
勢いよく水を流すと
またどこかのスイッチがオフになった
今が朝なのか夜なのかもわからない
カーテンは間違いなくきちんとした買物だった











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2006/10/27

本物の咆哮には必ず精巧に構築された節度がひそんでいる  散文









深く沈みこむ感触はいつだってそこにあっただろう?俺は名前のない虫になり、沈殿の流動にしたがって思考能力に半分以上蓋をする。人間は脳味噌など持つべきではなかったのだ、時々そう感じることがある―あらゆる芸術は本能を恋慕しながら、大概それを判りにくいものに変えてしまう。なにやら難しい説明がつかなければ誰も理解しようとも思わないようなものに。説明というものはし始めると喉がダメになるまでしなければいけないものだ。どんなに説明しようとそれを語りつくすことは出来ない。そもそもそれは語りつくせないものだからこそ、口語以外の何かの形を取って提出されたものであるからだ。死ぬまで説明するか、どんな誤解がそこにあっても黙って見過ごしてゆくことぐらいしか選択肢はない、たったそのふたつしかない。それ以外にもうひとつ付け加えるとしても、後はひとつだけだ。「すべてやめてしまうこと」それぐらいしかない。人々は芸術を欲しながら、それを読み解くことをしようとはしない。なぜだかそれは直感として理解できるものでなければならないと勘違いしてしまうのだ、往々にして。絵合わせパズルなら片手間に済ませるけれど、ジグゾーパズルになると「マニアックだ」という印象を持つ。無理もない。そもそもが狼であれば遠吠えで済むようなことを、俺たちは到底必要とは思えないほどの言葉や絵具や音符を使って何とか形にしようとしているのだから。が、しかし。直感だけですべてを判断してしまうのなら遠吠えを捨てたことにあまり意味はない。それなら獣のままでよかったはずなのだ。どうして俺たちは言葉を垂れ流してしまうのか?それはそうすることによってのみ得られる本能があるからに違いない。俺はそれを本能と呼ぶ。さまざまなジャンルにおいて、「ハイ」と呼ばれるそれのことだ。ランナーズ・ハイ、クライミング・ハイ、マーダーズ・ハイ…おっと、最後のは余計だったかもな…ある種の高み、もしくは状態にたどりつき、それを維持するといった現象に対する渇望は、俺たちの魂がまだ野性であることを証明している…ロック・ミュージック、なんてジャンルもあったな…デヴィッド・ボウイはそいつのことを「バタフライ・ナイツ」と呼んでいたっけ?ああまったく気取ったイギリス人だよな。獣と言うとき人はそれを暴力でもって理解することが多い。しかしそんな理解には何の意味もないのだ。先にも言ったように、人間である理由すら希薄だ。どうして野性を呼び起こすことに芸術が有効なのか?そこにはまず理性があるからだ…人間が持ちうる最大の牙―それが理性と呼ばれるシステムだ。もちろん、それはクールという感覚と同じではない。理性と言うと、人はエリート的な感覚を想像するかもしれない。でもそれは間違いだ。それすら直感が生み出す産物に過ぎない。では理性とは何かと言うと、それはコントロールシステムのようなものだ。一通りのプログラムがあり、それを効率よく管理することの出来るシステム、それが理性だ。優れた理性というのは車の運転に例えれば、「ひとつ間違えば命取り」の猛スピードの中にありながら、「ひとつも間違わずに」運転を遂行することが出来るシステムだ。理性を用いて本能にたどりつこうとするとき、俺たちは徐々に回転数を上げていきながら、間違わないようにステアリングを操る。ひとつも間違えてはならない、ひとつ間違えるとそれは命取りになる。メイク・ノー・ミステイクス。しっかりと先を見極めろ。構築され続ける世界は正しい方向に進んでいるか?このまま速度を落とさずにどこまで進んでいくことができるか?―そうだ、理性と野性は完全に別物というわけではない。理性の中には多少の野性があるし、野性の中にも多少の理性がある。人間が本能への扉を求めるとき、必ず理性を使用しなければならない理由はそこにある。そのプログラムは必ず関連付けられていなければならない。拳や、牙や、咆哮でもって野性であろうとするなら、そいつは猟銃で撃たれるべきだ。だって、表面的な獣に過ぎないのだから。しかも、どの獣にもおそらく勝つことは出来ない―彼らに命を賭けることなんて到底出来はしないから。本物の獣たちは必ず生命を天秤の上に乗せて牙を向き合う。それに比べたら人間の中に潜む「単純な獣性」などお遊びに過ぎないことは言うまでもないだろう。ここにいま、この文章の中に俺のれっきとした獣性が潜んでいるのが判るだろうか?拙いながらも、理性を用いて、本能の領域にアクセスを試み、どうにかこうにか浮上しようとしている俺の獣性が理解してもらえるだろうか?内なる荒野の中に住む獣。それは数万もの経験や言語や旋律を持ってしてでしか嗅ぎ取ることが出来ないものだ。ワード・プロセッサが唾液を垂らし始めるまで俺はこれを止めることは出来ない。これはどこの誰にとってどんな価値があるだろう?時々そんなことを考えることもある。価値とは重要なものだ。それは真実の意味での名刺のようなものだ。臓腑に例えるなら脈を打つ心臓の振動だ。そもそも俺の心臓は、俺の身体の中でしか意味を持たないものだ、そうだろう(もちろん医学的な手段を用いれば他の誰かにも意味を持つのかもしれないが)?―いま自らが吐いた「移植」というフレーズが妙に気になって、それまでこのあとに書こうと考えていた事柄をすっかり忘れてしまった。しかしなるほど、この言葉を使うほうが俺がいまから言わんとしていることは格段に伝わりやすいだろう―それが理解の領域まで到達するかどうかは別として。つまり、俺は移植先もそんなに決まることのない臓腑を電脳領域の中で何度も何度もばら撒いているのだ、これはある種の移植手術のようなものなのだ―そうだ、そう考えてみると確かに、俺がこうしてばら撒いている臓腑のいくつかの箇所は、過去に誰かのフレーズや旋律によって移植された臓腑なのだ。だから俺はそれをこんなにもばら撒きたがる―沈殿の流動にしたがって思考能力に半分以上蓋をして。吐き出すということは意思だ。俺は意思を周辺へ投げつけている。どんな効果があるのかも判らずに。なぜそんなことをするのかが疑問といえばささやかな疑問だった…俺は過去にそうやって投げ出されたものを受け取ったことがあったのだ、何度も、何度も。どうする、俺の理性、俺の獣性。こうしてあとどれくらい投げ散らかすことが出来るのだろう、俺は受け取ったものほどの価値を投げ出してはいないだろう。もしかしたらそこら辺を汚すだけの結果に終わるかもしれない。が、そんなことは気にするようなことでもないような気がする…だって、吐き出してしまえばあとはそれは俺のものではないから。街頭で配布されるさまざまな宣伝行為、その中で受け取る告知にしたって受け取るやつらにとって価値は代わるだろう。価値を限定しようとするなんてもっとも愚かなことだ。そして、限定された価値を鵜呑みにしてしまうことも。俺はゆっくりと沈殿する。この世のものではない場所は、地球を突き抜けるほどに沈み込んだ場所にあるらしい。それは地の果てであると同時に天の果てでもあるという―理解できるか?理解なんてたいして重要な事柄ではない。それをどういう風に受け止めるのか、それこそが最も重要なことなのだ…ひとつの言葉がひとつの事柄についてだけ語っていると思ってはいけない。理解する・しないなどといったところで、まじないが利いたか利かなかったかと感じることと大して違いはないのだから。










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2006/10/25

僕はものさしがない時代の計測法みたいな均一さで  










くらい道のかどに君がいる
なにかを落とすまいとするように腕を組んで
父親の背中を見つけようとしてるみたいに前だけを見て
なのに
それがなにもかも
もはや手遅れに思えてしまうのは
夜の
ひとつのいろどりであった虫たちの鳴き声が
聞こえなくなってきたせい
9月よりも無難な月明かりが白色に金融会社の詰め込まれたビルを照らして
その反射がハローワークの三階の窓あたりに狙いをつけている
僕は
君のいるかどまで歩いていくのにどれくらいかかるだろうかと
まゆをしかめて思案してみるものの
そんなもの歩いてみないことには決してわかりっこないのだ
うまくたどりつける保証はない
君の、こぶしふたつ分くらい手前で
黒塗りのBMWが君か僕に向かって突っ込んでくるかもしれない
あるいは僕らふたりともが巻き込まれる
そしてオグリッシュのトップページに、『交通事故・日本』と記されて
僕らの哀れな姿が全世界配信されてしまうかもしれない
まあ死んでからのことなら
別にどんなことになったってかまやしないのかもしれないけれど
風が強い日の雲はうしなわれた魚に似ている
あらゆる純粋はきっと紀元前の中にあって
古風な言い回しで木箱の中にしまいこまれているのだ
僕は君のところまですぐに歩いていこうかと迷う
だけどキリンの自動販売機に新しく入った
缶コーヒーの味を試したい気持ちもままあるのだ
もしか君は僕のところまで歩いてきてくれないだろうか?
いや、たぶん
今日の君はそんなことしてくれそうもない
くらい道のかどに君がいる
君がいて僕の事をじっと見ている(父親の背中を見つけようとしているみたいなまなざしで)
届くことがないから愛していると囁いてみようか
君の表情は1mも変化することはないだろう
そんな言葉が試みで吐かれることで
事態が好転する可能性など万にひとつもありはしないのだ
月は角度を変え、風は強さを増し
僕らは洞窟の中で救援を待つ探検隊のようだ
君に伝えるべき言葉は今のところなにひとつ見当たらない
コーヒーが飲みたくてしかたがないのは意外とそんなところに原因があるのかもしれない
くらい道のかどで門柱のように立っている君は
僕がいますぐにそこまで走っていくことを期待しているのかもしれない
あるいは
そのままドラマのように抱き上げてくれないものかと考えているかもしれない
もしくは
何も考えず期待しないまま僕がどうするのかをじっと見極めようと考えているのかもしれない
正解がそのうちのどれであるにせよ
僕は抱き上げることだけは絶対にしないだろうなと思う
どこからともなく小田和正が流れてきたりしないかぎりは
僕は君の視線を少し気にしたまま
財布を取り出して缶コーヒーを買う
微糖と書いてあるくせに砂糖の甘さが鼻についた
こんなときじゃなければ
気にならない程度の甘味だったかも知れない
いつもよりも早く飲み干してしまって、特に明確に話せるような理由があるわけではないのだけれど
僕は、しまったと思い
空缶を捨てて君のほうを見る
自販機の明かりに少し慣れてしまったせいで一瞬そこには誰もいないように見えたけれど
君はきちんと暗い道のかどで腕を組んでいた
なにかを落とすまいとしているみたいにしっかりと組んでいた
僕は何度か君の名前を唇で滑らせる
どういうシステムが働いたのかわからないが
それは口腔内に付着したわずかな糖分を違う甘味に変える
そのせいで僕は勇気だか根気だかを自分の中に感じることが出来る
牛がするみたいにスニーカーの裏をアスファルトで少しならした
ものさしがない時代の計測法みたいなゆっくりとした均一な歩幅で僕は君のもとへと歩く
それは距離である前に混濁した時間のように感じる
いま僕がやるべきことは君になにかを話しかけることなどではなく
きっと
君の正面に生真面目に立って見せることなのだ
同じまなざしで―同じ




同じくらい道のかどに










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