2006/11/30

無味乾燥(フィルターごしの痛み)  






ふとした瞬間に明日の自分がない気がして
薄ぼんやりとした目覚めに足元がぐらついた
何かが自分から逃げていった
そんなふうに感じる瞬間が確かにある




枕もとの古いデジタル時計で
時刻のほかに年号と日付を知ることが出来るが
それが何かをもたらしてくれるかといえばそうでもなく
ただ些細な約束を忘れないようにとか
そんなことにほんの少し気を配りやすくなるだけ
いくつか電話をかけなければいけないけれど
今日じゃなくてもかまわない気がする
そんな風に先送りにしている間に
知らない間に一週間が過ぎようとしていた
置いていこうと試みるものはいつでも先に置いていかれる
恨もうにもわきまえてしまっているんじゃ拳の振るいようがない



痛ましい事故で視聴率を稼ぐ午後のワイドショー
赤ん坊を過熱した話なんて聞きたくもない
キャスターが眉をひそめる度に
お前の良心は見せるためのものかと問いかけてしまう
被害者は料理番組の食材のようなもの
綺麗に切られて焼かれて何ぼ
湿気たインスタントコーヒーの瓶の底を叩いて
抵抗する粉をカップに落下させた
乱雑に沸いたミルクパンの湯を注ぐごとに
悲鳴が聞こえたのはもしかしたら幻聴ではない
コーヒーを飲み干してそれから
もしも出来るなら君に元気かと手紙を書いてみたい



だけどそんなのはていのいい日常の
エッセンスみたいな感情でしかない
取り戻せないものに手を伸ばして見せることは
幼さという純朴をことさらに主張して見せるようなものだ





充分に冷まして飲んだのに喉を火傷した
これで



今日口に入れるものの味はまるで分からない








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2006/11/25

あの日のバス  








そんなに長い間じゃなかった、あの街角でいつやってくるのかも判らないバスを待っていたのは
日が落ち始めるころの風はとても寒くてコートの前をいっぱいまで閉じたけれど少しも役にたちはしなかったよ、寒さだけはどうにもならないもんだね
遊びすぎた子供たちが嬌声を上げながらいい匂いのするパン屋の角を曲がって、自転車を転がした母親と首尾よく出会う
そんな光景を石のようにただ見ていた、時間はただ過ぎて行くばかりで、自分がこのまま終わった催しの広告になってしまいそうな、そんな気分でバスが来るまで街角を眺めていたんだ
バス停の正面の小さな教会には大きな救いを求めに来る人が何人かいて、みな一様に泣きながら入っては涙を止めて出て行った、バスの時刻表はずいぶん前に壊れたままになっていて―後どれだけ待っていればそこから出て行けるのか一向に見当がつかなかった
道を行く人たちは名前を知らない人間には話しかけない、今ではどんな街に行ってもそうなのさ、誰もが手を取り合えた時代にはもう戻れないんだ
警笛を鳴らしながら現代の荒くれものたちが歩行者を脅かしてゆく、不思議なことにどんな街にいてもそういうやつらの操る車からはガンズ・アンド・ローゼスが聞こえる、ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル、ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングルって舗装された道の上で何を叫んでいるんだろう
小奇麗だけれど芸のない車はみんな日本車





人種差別的概念があんまり役にたたなくなってきた位の夜になってようやくその日最後のバスはやってきた、明るいうちにはこの街を出られるはずですよって、夕べのホテルのフロントの女の子は言っていたけど―あらゆる宿の従業員があらゆるバスの時間を知っているわけじゃないってことだ「お待たせしたね」運転手の英語には南部の訛がある「問題ないよ」答えて乗り込んだら中にはプラチナ・ブロンドのうら若いレディーが一人、彼女がハイと言ったので俺もハイと言った
俺は少し間を空けて席に着いたけれど彼女は退屈していたらしくじきに俺に声をかけた、「ねえ、かまわなかったらこっちに来てほしいんだけど」俺は正直に言って大分眠気をこらえていたけれど、断る気にもなれなくて彼女のそばに腰をかけた「旅行してるの?」「まあ、そうだね」「どうしてこんな何もないところに?」「何もないところが好きなもんで」「それで、満足する?」「まあね―何もないところに行かないでいるよりはね」「いつもそんな喋り方するの?」「誰かに話しかけられたときは」おもしろーい、と彼女は笑った、俺はお愛想笑いをした「それで、君はどこに行くところ?」
彼女は二、三度髪を揺らせて思わせぶりに微笑んだ「このバスの終点までよ」「里帰り?」「そんなところ」「正確にはそうではない?」「正確にはね―でもそれはプライベートにかかわることだから」「これは失礼」俺は深々と頭を下げる、彼女はバスのエンジンをかき消すほどに大きな声で笑う―ひとしきり笑い終えると口をつぐむがまだ微笑みは残っている
ありきたりのことを話してしまうとだいたい沈黙は訪れるもので―俺たちはぽつぽつと会話しながらそれぞれの窓の外を見ていた「母を―殺しに行くの」半時間ほど経ったところで彼女が不意につぶやく「なあ―聞き間違えたかな?」「間違えてないわよ」彼女はおいしいワインの話をしているように微笑んで言う―諭すように、ゆっくりと、単語を区切って「母、を、殺しに、行くのよ」俺は唾を飲み込む「映画の撮影かなんか?」「だったらいいのにな、って思う」俺は難しい顔をして彼女の目を覗き込む「なぜ?」
なぜ、ね、と彼女は耳の上を軽く掻いて「なぜだろうね―彼女があたしの父親を殺したからね」なんて言うか、復讐?そう言って真顔を作って見せる「それは、直接的に?それとも―間接的に?」「どっちの話?あたし?それとも母親?」「今は母親」「直接的に―とても直接的に」その言葉の瞬間、彼女の目は少しギラついた、ふぅむ―と、俺は唸った
「そういう話を聞いたとき、人はなんて言うか知ってる?」うーん?「やめたほうがいい、とか言うの?」「たぶん」「たぶん?」「―よければ、詳しい話を聞かせてくれる?」




彼女の母親は精神を病んで、幼い彼女の目の前で父親を刺殺し、彼女をもその手にかけようとした―騒ぎを聞きつけた隣人にすんでのところで助けられ、保護されたそうだ―施設にいたのよ、私、施設にいたの―呪文のように何度か彼女は繰り返した―はっきりそうとは言わなかったけれどたぶん脱走なのだろうなと俺は考えた「正しいとか正しくないじゃなくて」彼女はあまり表情を変えずに話した「どうしてもそうせずにはいられないのよ―母親から手紙が来たの、彼女は刑務所じゃなくて病院に入って―元気になってこの前退院したのよ―いつかあなたに逢って謝りたい、そんな手紙を寄こしてきた―だから、どうしても殺してしまいたいの」俺にそれを止めることが出来るだろうか?と俺は質問してみた、そうするとあなたは旅を止めて私をずっと見張らなくてはならないわ、と彼女は俺の目を覗き込んだ―俺は考えた―この話は俺が旅を止める理由になるだろうか―?しばらく見つめあった後彼女はまた笑った
「嘘」「…何だって?」「嘘だから、気にしないで」俺はぽかんとした「少し悪趣味じゃないか?」ごめんなさい、と彼女は詫びた「旅人に嘘をつくのが趣味で」それから俺たちはそれぞれにうたた寝をした、目覚めるころに俺の目的の街についた、挨拶をして降りるときに彼女がごめんねと言った




そんなに長い間じゃなかった、あの街角でいつやってくるのかも判らないバスを待っていたのは―今となっては落度のように思い出す、あの後彼女について行ってたら―こんな新聞記事を見ることはなかったのかもしれないなんて―今日も見知らぬ街角でいつ来るのか判らないバスを待っている、そうしていると







いつかまたあの娘と乗り合わせるんじゃないかって―そんな気になってくるんだ








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2006/11/20

昨日18:11ごろ駅裏の人気の無い通りで奇妙にゆがんだ男の声を聞いただろう  









昨日18:11ごろ駅裏の人気の無い通りで
奇妙にゆがんだ男の声を聞いただろう
奇妙にゆがんだ男の声は奇妙に澄んでいて
お前はどうしていいか分からなくなっただろう
あいつの歌声は夢の中まで届くよ
あいつの歌声は夢の中まで潜り込んでくる
その後お前はどうしたんだい、奇妙に澄んだ声に興味を持って、歌が終わるまでそこに立ち尽くしたか?それともそいつのあまりのゆがみ具合に恐れをなしてその場を離れたか?
始めに言っておくが正解は無い
逃げようが居座ろうが
これから起こることにたいして違いは無いんだ、まずお前は眠れなくなるよ、そう、今晩あたりから
眠れなくなって、無理に眠ろうとして明かりの消えた部屋の中で目を閉じると、おかしな想像ばかりするようになる―それも奇妙に現実と少し触れるような奇妙な妄想ばかり
それはお前をかなりおかしなところまで連れて行こうとするぜ、それはお前を引くことが出来ないかもしれないというような不安の中へ澄ました顔をして連れてゆく、最初のうちにこれはどこか変だということに気づくことが出来たなら―睡眠への希望はその場で捨てることだ、それは必ず選択しなければならない、これは絶対に聞いておいたほうがいい、でないと檻の中だぜ―病院か刑務所の
笑い飛ばすのは後にしてもう少し聞いてくれ、三年前の同じ日、同じ時間、俺は同じ場所で同じ男を見た
それから一週間後、不眠症と診断された俺は睡眠薬を処方してもらい通常の倍の量を飲んで眠ったんだ
それから三日間記憶が無い―気がついたときは見知らぬ山奥で二人の女の死体を引きずっていた、どちらも会ったことのない女だった―二人の女の首筋には同じ細工を施された柄のナイフが突き立てられたままになっていて、血はその刃の透間から湧き水のように少しずつ洩れていた、俺はその血を何度か飲んだらしい―唇にべっとりとした感触があった、まるでフランス料理のソースだけをひたすら舐め尽くしたみたいにさ―意識が目覚めても俺の身体は俺の自由にはならなかった、俺は林の途切れるところまで歩くと、深い深い崖の上から二人の死体を投げ落とした、死んだ人間の身体というのはとんでもなく重いぜ…重量とか、そんなこととは違う重さが中には詰まっているんだ、二人の女はあちこちにぶつかりながら深い闇のそこへ落ちていった…ああいうものは音も無く落ちるんだな
俺はそのままそこに突っ伏して眠った、次に目を覚ますと廃墟らしき建物の中に居た、窓が打ち付けられているらしく、明りらしいものはほとんど入ってこなかった―ポケットを探るとライターがあったので火を点して辺りを見渡してみた―広かった、とんでもない広さだったよ、エカテリーナのお屋敷みたいさ
中にはほとんど何も残されていなかった、閉ざされた天窓の下に椅子がひとつあったくらいで…俺はその部屋を隅々まで巡り、倉庫のような場所でマグライトを見つけた、スイッチをひねってみるとちゃんと点いた…それでもう一度部屋の中を歩いてみるとある一隅に天井へ伸びている梯子を見つけたんだ、天井には蓋があって少し開いていた、天井は恐ろしく高かったが何故だか俺はまったく不安を感じずに…その梯子に手を伸ばして上ったんだ
しばらく上ったよ、こんなにも時間がかかるのかというくらい…上っている間に別の次元に飛んでしまうんじゃないかというくらいにね―天井の蓋を外して潜り込むと、そこにはこれまたがらんとした天井裏があり、もうひとつおそらく屋根に出るのだろう短い梯子があった…俺はそれを上り、蓋状の扉を開けて屋根に出た、そこには屋根よりほんの少し高い枝に引っかかったふたつの骸骨があった、そいつらの身に着けている服には見覚えがあった…頚骨に挟まるように刺さっていたナイフにも
俺は時計を見た、最後に確認したときの日付から一年が過ぎていた…俺は屋根を下り、元の部屋に戻った、頭が締め付けられるように痛んでいた
マグライトを照らして出口を探した、とにかくそこから出なければいけないと思って…自分になにが起こっているのか早く知ることの出来る場所に行きたかったんだ…そこがどこなのかなんて少しも思いつかなかったけれど―が―出口はどこにも無かった、俺の言ってること分かるか?その建物には出口がひとつも無かったんだよ―すべての扉と窓は打ち付けられていた…そこで俺はもう一度屋根に上り―あらゆる関節に痛みを覚えながら―下りることの出来るような場所があるかどうか探してみたがそんなものはどこにもまったく見当たらなかった、そもそも屋根まで上るのに途方も無い時間がかかるのだ…俺はふらふらになりながらまた部屋に戻り、打ち付けられた窓を壊すようなものが無いかと倉庫をくまなく探してみたが、まったく役に立ちそうなものは見当たらなかった、ひとつだけあった椅子は腐っていて、手に取るとぼろぼろと崩れた
そうこうしているうちにマグライトの電池が切れる…再び訪れた暗闇の中で俺は天地がゆがむような錯覚に陥る―いや、あれは、本当にゆがんでいたのかもしれないな―ふたつの骸骨が天井の上でカタカタと笑い、俺はまたしても意識が引っ張られるのを感じた…


で、気がついたのが昨日で、お前の前にいたってわけさ―昔どこかで聞いたことのある歌を唄いながらね―今日もここで会えるなんて思わなかったよ、いやあ、あのままだとまたお前にバトンを託すだけになっちまうからね、もしもう一度会えたらいいななんて思いながら待ってみたんだけど…なあ、どちらかを選べなんて―始めはああ言ったけどさ、よく考えてみりゃどちらを選んだところで行き着く先は同じかもしれないんだよな―なにかこう、逃げられないもんなんじゃないのかなって、話し終わってみるとそんな気がするんだ…だってそうだろう、眠らないでいることなんて到底無理じゃないか…?巻き込んじまったのは申し訳ないと思うが、でもこれは俺にはまったくコントロールできない事柄なんだぜ…俺に向かってそんな顔をされても俺だって困っちまうよ…


…っていう話を数年前にここで話してくれた男が居たんだ、そいつの顔は奇妙にゆがんでいてね…おや、あんた、どうしてそんな奇妙な顔をしているんだい…あ、もしかして俺の顔はあいつと似たようなことになってしまっているのかな、ああ―参ったな





俺の場合は何にも覚えていないんだよね……






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