インプロビゼイションはれっきとしたポエムの扉を叩くことが出来るのか?という一考察  














感情と感覚の不文律なアクロバット、俺が信じてやまないのはいつだってそんな流動的な真実の形だ、最初の文章によって後に続く言葉のすべてが判ってしまうような…そういうことってあるだろう?俺が簡潔に明快に言葉にしようとしているのはそういった不明瞭な瞬間のことなのさ…はっきりしていないと不安なのか?はっきりとした形を知ることができないのは不幸なことなのかい?そんなことあるわけない、そんなことがあるわけないじゃないか…俺が見てきた世界、俺が見ていた世界、過去に、現在に、そして未来にだって一度たりとて、明確に明瞭に輪郭を現したものなんてひとつとしてなかった、追いかけているのは空と同じ色の雲のようなもので、それは視覚や聴覚といったものでは感知することのできない、ありがちな表現をすれば第六感とでも言うようなもので感知するべきもの…感知せざるを得ないもの、そういったもの―しつこく念を押すようで悪いが、第六感という言葉には俺自身は何の信憑性もおいてはいない―ただ、ほんの少しは―ほんの少しは判りやすくする努力をしてもいいと、そう、思っているだけのことさ…入り口を少し押し広げて、ほんの少しだけ誰かが入ってこれるようにする努力はいつだってほんの少ししているべきだと思う―もしそれが、招くだけ無駄な人間を迎え入れるための準備だったとしてもね―ああ、やっぱり駄目だったのか、という認識は数限りなくしたってし足りないということはない…自分が手にしたコマわりはそういったものを掲げていくための物だってことが嫌というほど判るから
最初の文章、と俺は言ったよな?それは経験や理論によって培われる小細工のようなもののことを言っているのではなくて、これもまた暫定的に何らかの名前をつけるとするならば―そう、それはインスピレーションというような感覚のことを言っているのさ、一目惚れってあるだろう…まあ、俺はそんなもの茶番劇の最たるものだと思っているけれどもね―それが判る、という感覚とでも言えばいいのかな、それが自分にとって必要なものかどうかすぐに判るというような感覚さ…そいつはとても重要なものだ、そいつはとても大事な感覚だぜ…俺が今月の初めにある宣言をしてから書かれた詩のほとんどは、今のところそれに重点をおいたものの方が多い(それは改めて見直してもらえれば俺の言っていることは判ってもらえると思うんだが)…なぜなら俺はこの文章をまったく頭を使って書いてはいない―誤字脱字や、そういったもののチェックは別としてね―多分つい最近にも同じようなことを書いたけれど、俺はインスピレーションにおけるリアリティというのはほぼリアルタイムにそこに投げ出されてこそ初めて有効性を持つのだと思う。それは整理されるべきではない、それは整理されるべきではない…心の奥深くをとことん覗き込もうとしたときに地図を見やすく改ざんしてしまうと深層心理の中に迷い込んで出られなくなってしまうだろう
指先を止めるな、俺は密度に重点を置いて言葉を並べるとき、常にそういう戒厳令を発し続けている、考える暇がないくらいに指先を動かさなくてはならない、スピードは、間違いなく詩作品に何らかの影響を与える、優れたドラマーは流れてきたリズムに無意識に指先を合わせるだろう―そんなシンクロを言葉の上で表現することができたらいいといつだって考えているんだ―現に今俺は、自分がそういう考えを持って詩を綴っていることを始めて知ったような気持ちでバイオノートのキーボードを叩き続けている―なあ、俺妙なこと言ってると思われているのかもしれないけれど、これ、まったく嘘偽りない本当の気持ちだぜ…このワードの正面で、ディスプレイの前で俺が真剣に考えていることを俺よりも早く指先が画面に叩き込んでいるんだ―しる、という方法には様々な手段がある、な?おかしな言い方するだろ?知るということには様々な手段がある…こんなフレーズ考えながら書いてたら削除するかもしれないぜ、だけどさ、こういう感覚を知っちゃったらどうにも読み返したところで消せなくなっちゃうんだよな…なんて言えばいいのかなぁこういうの?こういう類の実況中継―?夢を見ている自分が無意識かで見ているものを、もう一人の自分がめったやたらにスケッチしているようなさ、そういう感覚のことを―ええと、何の話していたんだっけな、そう、インスピレーションだ―この言葉便利だからもうこれに定めちまうか、少なくとも第六感よりはさりげないし格好がつく
さて、そういったわけでこの詩にはインスピレーションという命題がかぶせられたわけだが…それについてはもうあらかた喋ってしまったんだよな実際のところ…じゃあ君に聞こう、困ったときは呼びかけてみるのさ、それが指を止めないでいるための最良のやり方だ、俺、俺と連呼したあとに君ってつくとそれだけでなんだか新鮮な気持ちになるだろう―それって結構重要なことだって俺は思うんだよな―自分の書いているものがワンウェイかツーウェイかなんてそんなこと自分じゃ決して判らないしどうでもいいんだけど―それで君は、インスピレーションというものについてどう思う?もっとおとなしいものだなんて考えていたんじゃないかい?静かな山奥のお寺で座禅でも組んで見つけるようなさ―まあ、まあ、確かに、普通に考えればそういうイメージなのかもしれない、インスピレーションだ何だというものにあんまり騒々しい印象は付随しないかもしれない…でも、これはどうだ?今俺がばら撒いているこのインスピレーションは十分に騒々しいものだと思わないかい?同じものだ、同じものだぜ…ノイズだろうが静寂だろうがそいつは結局のところは同じものなんだ―でもさ、俺はまだそこまでのノイズを生み出すことはできないんだよな―そんなこと一生無理かもしれないんだけどね?現世が騒ぎならあの世は静寂かもな―陳腐な言い方かもしれないけれど、死んでからその両方を知ることができるようになるのかも…
なあ、陳腐さについて語ってみようか?俺は陳腐さを悪いものだとは思わないんだ、それは決して悪いものなんかじゃないぜ…ただそれは、やっぱり陳腐なだけじゃいけないと思うんだよ(なんせそれは陳腐なもんだからね)、ただ、アクセントというかエッセンスというか香り付けというか―要するにそういう風に使われるべきもんだと思うわけよ…まあさ、早い話がさ…言葉なんて一点の照準だけで使っちゃいけないってことなのかもしれないね―陳腐さを忌み嫌う詩人の詩を見てみろよ、意味が判らないなんてことがよくあるだろう―スパゲティみたいなもんさ、高級なワインの香りばかりするんじゃ齧り付けないだろう…そんなパスタなんか喰うに値しないしろもんだぜ…ワインが偽者だったりしたらなおさらだ―下世話さがないと食い物は決して美味くはならない、それはポエジーだって同じことだと思うんだ
この前、とある朗読のコンテストに出たんだ、いろんなところでちょっとずつ話していたからもうみんなある程度知ってると思うけれど―まだあまり話してない部分があるのさ、それはね、俺はいろんなやつの朗読を見ながら詩というものについてとことん考えたんだけど…詩というものは空と同じ色の雲みたいなものさ、1,正直なだけだと詰まらない2,テクニカルなだけだとあざとい3、論外…とまあこういった考えを絶えず渦巻かせながら俺はぼんやりとしていたんだけど、つまりは、どちらかじゃいけないし、どちらもでもいけないってことなんだ―そこにはどちらもあるのかもしれないけれど、バランスは絶えず不文律でなければならない―きっとそういう世界の極限にあるものが忘れられない詩、忘れられない朗読になるんじゃないか…正直さにだって手練手管は必要だろう…テクニックにだって感情は不可欠だろう…そんなものの線引きなんかできっこない、ただ、それは必ず手にしておかなければならないいくつかの金貨みたいなものだ―ね、手持ちによって買うものや差し出し方が変わるわけさ…こんな言い方が通用するかどうかは判らないけれども―つまりさ、ドストエフスキーはメロドラマを書くのがめっぽう上手いじゃないか
なあところで俺さ、ほんの五分ぐらい前からディスプレイの時計が気になって仕方がないんだ(だからといって気を散らせてるつもりはないんだけれどね)、一応毎日ひとつって約束してるからできれば日付が変わる前にこれアップしたいんだよな…それにこれやりすぎると、明日また仕事中に眠くて仕方なくなるかもしれないしね―今日遅くなったのは、決して何も浮かばなかったわけじゃないぜ?実はパソコンが起動しなくなっちまってさ、ついさっきまでリカバリをやってたんだ…あれもやりすぎるとディスクの寿命が縮まるっていうけどさ、だからって動かさないわけにはいかないじゃないか
なあ、それにしてもさ、ひとつだけ引っかかっていることがあるんだが、こういうスタイルって少し卑怯なもののような気がするんだけどそういうのってみんなにはどんな風に映るのかな?まあいいか…こんなものをこんなところまで読んでくれた人に感謝するよ、それから、毎日見に来てくれている人にも―今月穴が開くか…楽しみにしていておくれよ














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