2008/5/18

潰れた酒屋の勝手口をノックしているハスキー・ボイスの若い女  










どこかのアパルトメントの
窓から下手な鼻歌
握り潰されたマルボロの空箱が甲虫のように転がる
排水溝からささやかなモルツの香り、だけどそれは
はなはだ飲みすぎた誰かの
小便かもしれない



20年も前から
シャッターを下ろしたままになっている酒屋の
勝手口のドアを女はノックしていた
目が合うと、彼女は
「はしたない姿を見せたわね」
とでも、言いたそうにはにかみながら
「お酒持ってない?」

つぶやいた
まだ若いのに
物乞いに慣れてる感じだ


持ってない、と俺が答えると
彼女は背を向けて
左手でバイバイの挨拶をした
そこの酒屋はやっていないぜ、と俺が言うと
シャッターの前に腰を下ろして
俺のことを手招きした
俺は酒を振舞う変わりに
彼女の誘いにちょっとだけ乗ることにした


「お酒が欲しくてここをどやしつけてたわけじゃないのよ」

彼女は言った、確かに、瞳はしっかりしていて
アル中とか、その他の様々な依存症とは
縁が
ないようだ
すると、と俺は推測した
「君はここの娘さんなんだな、15の頃に家を飛び出したっきりとかいう…」
「――そんな娘がいたの?」
「一度ここの主人にそんな話を聞いたことがあるよ」
「どうしてそんなこと覚えているの?」
確かに――と俺は考えた
「サービスだ」
「なに?」
「缶ビールをサービスしてくれたんだ、二本だったかな」
「…それと娘の話になにか、深い繋がりでもあるの?」
「娘の誕生日なんだ、とやつは言った」「おめでとう、と俺は答えた」


「そんなにめでたい話じゃない」と、酒屋の主人はとうてい笑っているとは言えない笑顔を浮かべた
「出ていったきりなんだ――もう何年も前に」
俺は黙って頷いただけだった、そういうときにかけてやる言葉なんてまずないものだ――阿呆か善人の振りをするつもりでもなけりゃ
「厳しくしすぎたんだ」「俺のヘマでかみさんが出ていっちまったからね」
「どんなふうにすればいいのか判らなかった、一度もだ」
そういう思いは伝わらないものさ、と俺は慰めた(われながらありきたりな言葉だと思いながら)
「そんなことじゃないんだ、そんなことじゃ…」
やつはしばらくそうつぶやいたあと、爪先の少し先を見つめながらこう言った
「これで楽になれる」「そう思ったんだ」「もう躍起になって慣れないことをしなくてすむってな」
俺はやつの顔を見なかった、おそらく他人に見られたくないような顔をしているんだと思った
「あれが出て行くのも当然のことだ」
だけど、と俺は言った
別に何か言うことを用意していたわけじゃなかったが
「だけどあんたはいまもここで彼女の誕生日を祝ってる」
そしてもらったビールの缶を開けた、ふたつ
「娘さんに乾杯しようや」


「そりゃ忘れないよな」
俺は女の顔を見ずに言った
本当にここの娘だったらそうしたほうがいいのだろうなと思いながら
それで、と彼女は言った
少し声がかすれたような気がした――もっともはじめから結構なハスキー・ボイスだったけど
「それで、ここの人はどこへ行ったの?」
さあな…、と俺は言った
「俺はあまり飲まないんだ、その日は家に客が来る日でね…少しは酒も用意しとく必要が合った」「次に誰かのプレゼントを買いに、不意に思い出して立ち寄ったときには、もう、閉まってた」「派手な閉店セールをやったらしいよ」
女はしばらくのあいだ黙っていた
「もう、帰らなくちゃ」と俺は言った
女はこちらを見ずに頷いた
誤解して欲しくないんだけど、と俺は前置きして、宿はあるのかと彼女に尋ねた
ないけど、と女は微笑みながら――それはとうてい笑ってるようには見えなかったけれど
「昔、鍵を置いてた場所を思い出したの…ためしに探してみるわ」「もし開けられなくてもなんとかする、この街にも知り合いはいるもの」
そうか、と俺は答えた
鍵が見つからなければいいのにと思いながら
女はバイバイと左手を振った



倉庫のところに今でもぶら下がっているかもしれない陰鬱な輪っかを、あの娘が見ることがなければいいのにと、そう、思いながら
――その輪っかには運命の日の日付までは書いていないかもしれないけれど



俺は散歩の予定を少し変えることにした――15分かそこら、それくらいに――






もう一度この通りをぶらぶらと歩いてみよう











0

2008/5/16

形見という概念をどのへんに位置づけるか、それはあんたがたの自由だ  









苦し紛れに吐き捨てた言葉の中には見るもおぞましいいびつな感情が梱包されていてそれは解かれる必要すらないほどに歪んでいて情けなくそしてあきらかにそうというほどではないのだけれど決して無視を決め込むことが出来るほど微量ではない
そんな臭いを涌水のようにじりじりと漂わせそれと同じくらいの質量の細分化された不快感を秒刻みでマジシャンが人体切断トリックを行うときに差し込む模造刀のようなリズムでひとつずつ差し込んできてその中のいくつかははじめからそこにあることを心得ていたかのように致命的な欠陥のいくつかの中心を確実に突いてきてあまりのことに声も出ずなすがままになりけれどそれは生まれてこのかたずっと抱えてきた腫瘍のようなものでもはや致命的な欠陥でありながら致命的な欠陥ではなくちょっとした損傷とも言えないのはなぜかというとそれはもはや種類を厭わない慣れのようなもので習慣のように抱えているものだからでつまり本来は重要な機関であったはずのものだがもう何の意味もなすことはなくしたがって死ぬはずのものが死ななかったり生きるはずのものが機能しなかったりするという要するになんの影響もこちらに与えることはない
コンピューターの中でセキュリティソフトによってドライブのデッドゾーンに隔離されたウィルスのようなものになってそしてもちろんそれはなんの影響も及ぼすはずがないというのは前述の通りそれは慣れであり隔離されているので影響それ自体は皆無なのだというそれが本来目に留まるはずもないのに梱包されたなにかの方式によっていまもっともあらわに見て取れてしまうことはある種の法則の落度といえば落度でしかしその認識が身体になんらかの影響を与えたとしてもあくまで心情的な部分でのことに過ぎなくて機能的な部分には何の影響も起こることはないというのは想像に難しくないがもちろん心情的な部分でのダメージが機能的な部分にたいして致命的な影響を及ぼすパターンはいくつもあり俗な言葉で言えばストレスなんて言葉になるのだろうが確かにそういうケースを信じられるには心と身体の間にある溝は深くて広すぎるのだろうと考える理由をひとつあげるとすれば心の影響により治らないはずのものが治るというような実例があまりにも少ないせいなのであって実感としてさほどリアルなものではなく溝という概念にあっさりと従ったほうが「心情的に」はるかに楽だという部分が確かにあるからで要するにそのたまたま表出化した梱包されたものはやはりデッドスペースで隔離されている理由のないものに過ぎないのだそれはまるで、





10年前の葬式の形見のようなものだ。








0

2008/5/12

いまの名前  









殺人事件のあった部屋で
終始悲鳴をあげている誰か
飲み込まなくてよかった何か
気にとめないでよかった在りか
眼のかすみだと思い込んで
そこに居た影を忘れた



たちくらむ昼どきには
餌を欲しがる豚ども
鎧のように肘を張り
逃げないものを追いかける
肥えた臀部には哀しみすら見つけることは出来ない
タイム・テーブルの上の
飢えなど在りはしないのに



通学路の子供たちの
静けさという名の狂気
背中の火傷が痛むので
お行儀のよい子でいます
けれど
ママやパパは待っている
今夜も
ライターと性的玩具
尽きることなく
尽きることなく
本当のところ
それはお行儀とは関係がないのに
誰かが優しくしてくれるうちに
彼らの寝首を掻くんだよ弱虫
愛なんて概念をよりどころにしてしまったら
明日全国ネットで哀れまれるのはおまえたちかもしれないよ



家族とはぐれた母親がシステムキッチンで
自制に欠ける調子でアルコールを摂取している
よどんだ眼が見つめているものに名前をつけるなら
「どうしてわたしだけが」と刻まれた窓
ほかにはなにも
なにも
なにも



ホームレスは若者に怯え
公園のごみ箱から
底に少し残っているコーヒーの缶をあさる
豪華な札入れを持っていた時代を思い出しながら
「生きてるだけでしあわせ」と安物の日本酒を飲む
路上で彼らがなにかを学んだのかと言えば
働かずに金を集める方法くらい
安住者に学びはない
その人生にどんな理由があっても



月曜日の昼間、繁華街では
拡声器を持った労働者集団が行進を繰り広げていた
対立というスタンスを模倣するやつら
戦うという概念のもとに
骨を抜かれた獣ではないと信じ込みたいやつら
組合と会社組織のあいだには
一足で越せる流れしかない
やれるだけのことはやった、という
自己満足だけを祭のあとに残して
一晩眠れば
また代わり映えしない一日に身を投じる
理屈を積み上げながら
屈服しなよ子羊



明日の予報なんて気にしない
どんな天気だろうが
雨が降るときは降る
ずぶ濡れになったときには
暖める喜びに身を委ねるさ
幸せになりなさい
それぞれの勤めをはたして
幸せになりなさい
迷いなく笑えるよう
誰の足の下にも
誰かの死体がある
事件があろうとなかろうと
誰でも誰かが死んだことを知っている
幸せになりなさい
幸せになりなさい
立ち向かおうと背を向けようと
自分で決めたことなら間違いじゃない
殺そうが殺されようが
自分で決めたことなら間違いじゃない
獣のふりした羊も
羊のふりした獣も
誇りとは選択のあげくに訪れるものだということを
胸に刻んで







命は繰り返す
けれど



いまの名前は一度しかないのだ











0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ