2011/5/30

ダンス・ダンス・ダンス・ダンス・ダンス  








「踊り続けることだよ」って、そう、いつぞやの懐かしいメッセージ
シンプルな言葉ほど確かに伝えるのは難しいものです
首を360度回転させて
まともに前を向いているみたいに見せるくらい大変なことなのです
「踊り続けることだよ」っつーてもね
フラフープだって一時間も回しゃーちょっとよろけたりするもんです
「体力の問題」じゃない、そう体力のそれではない、それはもちろん判ってます
千代の富士とは全然違う話ですから
まあ体力の問題っていや体力の問題かもしれないですけどね
それは持久力とか瞬発力とかとは明らかに違うもんですし
時には試験的な問題だったりもしますしね
「踊り続けることだよ」ってつまり
ムーブし続けるってことですよ、ね、言っちまっちゃ身も蓋もない
「ひと言でいう」ってそんだけアホなことなんです
ひと言のためにいくつもいくつも同じことを書かなければ


わたしはいまお茶を飲んでいます
ずいぶん前に沸かしたお茶です
沸かした時と比べれば味は若干物足りなくなっています
だけどわたしは沸かしてからしばらくたったお茶を不味いなんて思ったりしません
それを不味いと思うのはチャンネルが足りないだけなのだと思います
味気ないものにも味はあるものです
わたしはいまお茶を飲んでいます
夜はあまり水分を取らないので喉がカラカラになります
だけど小便に起きてしまうのであまり飲みたくないのです
そうした中でも味気ないお茶の味は判ります、判ります?この感じ


いまわたしがオーディオプレイヤーソフトでリプレイしている音楽は
「雑すぎる」とかでさんざん叩かれた音楽なんですが
わたしはその音楽が大好きで
雑だと言った人たちの感性は理解出来ないのです
さっきの話の流れで言えば
わたしにもその人たちにも少しチャンネルが足りないのだという感じになるかもしれませんが
たとえばチューナーの遊びに紛れ込む異国の放送のように
チャンネルの問題ではないものもなかにはあります
ならばわたしとその人たちとどちらが正しいのかなんて話になることもあるやもしれませんが
わたしはもちろん自分の方が正しいのだと思います
だってその人たちの文章には音楽は感じられませんから
音楽が好きな人の文章って旋律があるものです
それはチャンネルではなくそもそも
感性というものの問題なのだとそう思います


わたしは今日すでにひとつ詩を書いています
今書いているこれとは全く違う種類の詩です
眠ろうと思ったらこれが浮かんできたので
取り急ぎキーをタッチしまくってる次第でございます
わたしにとって五月は詩を書きたい季節ではないので
今書いているこれがどんなようなものかよく判らないのですが
思いつくままにスピードに乗って書いていくことは結構大事なことで
そういう欲求には従わなければならないということだけは判っています
踊り続けることってそういうことかもしれません
踊り続けるということについて考えてみるために
今夜のこの時間はあったのかもしれません
なので
「ダンス」をふたつ足しました
ふたつにしたのは語感がよかったからです
踊り続けよう
踊り続けましょう
踊り方にはいろいろとあります
すぐに判るようなステップじゃなくても問題はないのです







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