どれもすべてたったひとつの生  

    


超自然的に増幅されたそれは重く、濡れた毛布の様に背中からのしかかり、脊髄の軋む音を体内中に響かせる。生物であれば当然、誰もが耳にするはずの音さ。安物のエアコンが説得力だけは十分な音を立てて生温い風を吐きだしている、部屋の明かりはもう消してあって、たぶん後は眠るのを待つばかりの今日だ。そこからがいつも長い。循環に損傷のあるエンジンの様に意識のどこかでノッキングが続いている。近所の家の飼い猫は一日中出してくれとゲージの中で鳴き続けている。どんなふうに鳴けばいいか知っているそいつの声はいつでも忌々しい。何度、こんな夜に目を閉じて眠る真似をしただろう、爪を一枚一枚剥ぐみたいに一分一秒が通り過ぎてゆく。油性マジックでぞんざいに塗り潰されるような今日は均一に黒く、重い。カーステレオをフルボリュームに上げた車が信号待ちをする。光と希望に溢れたJ‐POP。それは神の教えと同じ。無責任に光に満ちている。ウンザリするほど闇を見つめ続けた人間でなければ本当の眩しさを語ることは出来ないはずさ。いざとなると逃げるような連中が光だけを語るんだ。時計を見る。まだ五分しか経っていない。その間に随分なものを肉体に詰め込まれたような気がする。不意に人生は、忘れたものの塊で出来ているような気になる。読み方を忘れた文字。開き方を忘れた扉。書き方を忘れた文章。そうしたものの塊が次々と混じりあってまだらでいびつで巨大な塊になる。たったひとつしかそこにはないのに、それに名前をつけるとすれば異物と呼ぶ以外にない、そんな塊。隙間だらけの窓に被せたカーテンが揺れている。秋が突然失速して冬がフライングしてくる。皮剥ぎを連想させる寒さ、それが皮膚の下数ミリまで食い込み始める。冬の夜明けはカタコンベを連想させる。自殺死体ばかりが詰め込まれたカタコンベを。生命の尊さを本気で語るなら、無為に死んで見せるのが一番だ、そう思う。街路に散乱した投身自殺死体がそこに立ち止まるものに思わせるもののことを考えてみればいい。そこには最も自覚的な生というやつがあるだろう。長く息を吐いてみる。身体の中が空になるくらい、執拗に、長く。そうすると、ほんの一瞬だけ生身の肉体は死体の気分になる。デス。デス、デス、デス。秒針が時を刻む音に合わせて何度か呟いてみた。その響きはひとつ残らず薄闇の中に飲み込まれてゆく。ここは何処だ。そればかりを意識は問いかけてくる。所在を問うことは存在を問うことだ。ここは何処だ?激しいブレーキの音が聞こえる。衝突音。間に合わなかったらしい。呻き声だ、若い男のようだ。いくつかのドアが開かれる。クソ寒いのにご苦労なことだ。救急車は呼んだか、しっかりしろ。そんな言葉が飛び交う。野次馬たちが自分たちの立ち位置を正当化するためにそんな台詞を口にするのだ。例え誰かが天に召されたところで、やつらにしてみればただの酒の肴だ。長く目を閉じていたがやはり眠ることは出来なかった。すべてを遮断出来る窓があればそれが一番いい。コミュニケーションの売女になってそこいら中にどうでもいい相槌を撒き散らすなんてごめんだね。倫理や常識、理性や道義だけでは測りきれないものが人間の本質さ。人間らしさというプログラムに踊らされる機械になどなりたくはない。時々思うんだ、生に寄り添ってくる苦しみを、楽しんでいるような気がするってさ。血液をざわめかせるそれを楽しんでいるような気がするって。いつか傷を受けながら馬鹿笑いすることがあるかもしれない、そのときにはさぞかし愉快な詩が出来あがることだろうよ。先へ行こうとするものは誰だって足掻き苦しむものだ、そんな場所から生み出されたものこそに震わされてきた。言い訳をしなければならないのなら、生きるな。すべての項目にそう書いてあったよ。死、と再生。懐かしいフレーズだ。どちらかが良くてどちらかが悪いとか、対極にあるものだとか、寝惚けたことを行ってられる歳じゃないさ、どれもすべてたったひとつの生だ。夜が更けると月明りは明度を増す。夜に蠢くものたちはその仕組みを知っている。軋んだ脊髄の歪みを確かめながら、ようやく眠りの端っこを捕まえる。その眠りは断続的で、付随する夢はショート・フィルムの様にころころと風景を変化させて、まるで眠りの間に幾つもの選択肢をドブに捨ててきたような気分になる。毎日同じことさ。いくつもの夢が生み出され、そのほとんどが忘れ去られる。人生は忘れられたものの塊で出来ているんだ。


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