2011/12/25

ありがとう、ハニー  







ある、一二月の終わりの、例外的に寒い夜
おれは明日の仕事に備えて、はやく眠ろうとしていたところだった
消しゴムのついた歯ブラシでピカピカに歯を磨いて、寝床に戻ろうとしたとき
窓の外に、なにかが立っているのが見えた、二車線の車道の―センターラインに
女だった
枯れたなにかの花束を抱えて、おれの窓の方角を向いて、立っていた
血のように赤いコートを身にまとっていた
すでに血を吸っているかのように重たそうなコートだった
危ない、とおれは思った、その瞬間
猛スピードの一一トン・ダンプが彼女の身体を数メートルも上に跳ね飛ばし、彼女の身体はアイスバーのように回転しながら―落ちた、ぐしゃりと
長い髪が脚の数を間違えた蜘蛛のように広がっていた―赤黒い液体がどこかから溢れてくるのが見えた
ダンプはなんにも気がつかなかったようにそのまま走り過ぎた、しかたない
車道のど真ん中に立っていたやつだって悪いのだ
おれはしばらくの間そのまま彼女を見ていたが、当然動く様子はまるでなかった
あれで死んでなかったら奇跡だ
おれは明日も仕事に出なければならなかった、なので、なにも見なかったことにして、首を横に振りながら寝床についた、その数時間後
小便がしたくなり目覚めたおれはあの窓のそばを通った、女の身体は変わらずそこに横たわっていた
あれから車が一台も通っていないはずはなかったが…
おれは女がこちらを見つめているような気がした、小便をしたあとなにかをしなければいけないという気になって
寝巻の上にコートをはおって女の身体を連れて帰った
バスルームで身体を洗ってやると、すごくきれいな若い娘だということがわかった、もちろん、あちこちが変な方向に曲がっていなければということだけど
おれは女の身体を丁寧に拭いて、かたちを綺麗にしてベッドに寝かせてやった
女は素敵な身体をしていた、そしておれは長いこと女に縁が無かった
当然のようにおれは彼女を抱いた、冷たかったけれどちゃんとすることが出来た
終わると隣に寝て、髪を撫でてやった、シーツに少し血がついていた、初めてだったのか?とおれは冗談を言った
女は恥ずかしがって顔をそむけた
おれたちはそのまま静かに眠りについた
目覚めたのは目覚まし時計の音―ではなく、玄関が激しくノックされる音だった、時計を見ると五時少し前だった、うるさいな、とおれは怒鳴った、いま何時だと思ってやがるんだ?悪いが時間がどうのとかいう問題じゃないんだ、とドアの向こうの男は言った、こうしたことに慣れている人間の声だった、おれは服を着てドアを開けた「なにか?」ドアの外にいたのは体格のいい警官だった
「表の道路からおたくの家までずっと―死体を引きずったようなあとが続いていたものでね…部屋を覗かせてもらってもかまわないかな?」彼はおれの返事も待たず部屋に上がり込んだ、そして、ベッドの上の女を見つけた
「これはどういうことだ?おまえがやったのか?」ちがう、とおれは答えた「車に跳ねられたんだ、表通りで―死のうとしてるみたいに、花束を―枯れた花束を、抱いて―」で、跳ねられた、と、おれは息を切らせながらそう話した、バセドー病のせいで身体が過剰な興奮状態にあった…どうした、大丈夫かと警官が言った、大丈夫だとおれは答えた「金が無くて―薬をもらえていないだけなんだ、悪いけど、電話と着替えをする時間だけもらえるかな」
それから俺はすこしのあいだ法が用意したリゾート地で過ごし、今日ここに帰って来た、あの日起こったことがなんだったのか…部屋の中はほとんどあの時のままだった、ただ、女が居なくなっているだけだった、おれはあの女に恋をしていたんだと思った、そう思うと無性に空のベッドが悲しいものに思えた、おれはベッドにわずかに残った女のあとに横たわって寝た、冷蔵庫の中のものはなにもかも腐っていた、仕事は当然クビになっていた、そしておれはこれからどうすればいいのかさっぱりわからなかった
それでも、あの女はおれに最高のセックスを味合わせてくれたのだ、ありがとう、ハニー、おれはベッドのくぼみに向かってそう囁いた、そして翌日が来るまで啜り泣いていた








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2011/12/18

いまはどんな椅子に腰をかけてるの?  






フレデリック・ゾマーの
あまり質のよくないコピーと
「時計仕掛けのオレンジ」の
アレックスのニタリ笑い
きみの部屋に語るものがあるとすれば
きっとそれぐらいなものだった
すっかり色褪せたジーンズと
ヴェルベット・アンダーグラウンドの
お決まりにすぎるあのシャツ
名前の判らない外国のタバコ


どんなに時が流れても
きみはそうでしかありえなかった
誰のためのスタイルなのか
きみにすら判らなかった
カウンターだけのバーで
味も素っ気もないカクテル
きみの週末は
気がふれた平凡だった


音楽が流れていたよね
どうでもいいような音楽が
もちろん、それは
需要と供給のバランスが
取れていないという意味で
あの年は秋が何ヶ月もあった
みんないつか冬が来ることを忘れていた
男友達から安く譲ってもらった
イームズの座りづらい椅子にしっかりと丸まって
レンジで作ったグラタンを
熱がりながら頬張っていたっけね
季節外れのスコールのあとに
突然の冬が訪れたとき
二人でその椅子を不燃物に出したっけな


正直に言ってぼくときみの間柄は
それほど真剣なものではなかったし
こんな風に思い出してみせるほど
ドラマティックな出来事があったわけでもない
素っ気ないセックスと
タバコの煙があっただけ
レトルトの空箱のシェルターのなかで
芸能人の悪口を言いあってばかりいた
「嘘ばっかりのやつら」ってきみはよく言ったけれど
正直に言ってきみの正直さよりは
かれらの嘘八百の方がましだと思うことだってちょくちょくあったよ
昔の歌が好きで流行歌は屑ばかり
きみは出来の悪い公立校の教師みたいなステレオタイプだった


思い出話をする指が
ひび割れるくらい寒い夜
きみがふぅーってやってた煙のゆくえを
ぼくは時々探すことがあるんだ
それはなにかを目指そうとして
いつも途中でかすれていなくなってしまう


フレデリック・ゾマーの
あまり質のよくないコピーと
「時計仕掛けのオレンジ」の
アレックスのニタリ笑い
きみは確かに普通じゃなかったけれど
それ以外のなにかになることもなかった
エスプレッソの苦みのなかに
澱のような思い出が溶けてゆく
気まぐれに手紙でも書いて
元気かって聞いてみたい気もするけど
きっと、そう
今頃はいやな咳でもしてるに違いないから
もしもなにか短い挨拶を添えるとしたら…




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2011/12/11

BORN TO LOSE  






誰かがここで何かを話しかけている、だが俺はそれをはっきりと聞きとることが出来ない、俺の神経は摩耗しきっていて、壁にかけてあるシャツが一枚ハンガーから床に落ちるだけでプツンと途切れてしまいそうだ、俺にはそれを聞きとる術が無い、どんなことを言っているのか少しも聞きとることが出来ない、ただ、それがなにかとても大事なことだということが声の調子から感じ取れるだけだ、誰かがここで何かを話しかけている、もっと大きな声で話してくれ、もっと聞き取りやすい調子で、こんな俺にもきちんと把握出来るくらいのボリュームで、一言一句聞きもらすことが無いように…だけど声の調子は変化することが無い、そしてそれはきっと二度と繰り返されることのないしろものなのだ、俺は苛立つ、だけど苛立ったところで草臥れた俺の脳髄がそれらをしっかりキャッチ出来るようになるわけじゃない、むしろ明らかな新たな障害として俺の前に立ちふさがるだけだ、俺はぼんやりとした苛立つ馬鹿だ


もうすぐ太陽は夕日に変わろうとしている、暮れてゆく、戸惑いひとつ見せることなく、明らかに、確かに…日常に泥酔した状態の俺にはそいつにかける言葉すらない、ぼんやりと、ただぼんやりと口を開けて、己の周りに漂う塵を飲み込んでいるだけだ、塵のひとつひとつが、喉を通過するときに小さな傷をつけてゆく、ひとりで、何も語らずに休日を通過しているだけの俺は、いつの間にか自分の声がかすれていることにすら気付かない、いつのまにか、だ、欠陥は、欠落は、そうさ、そんな風に誰にも気付かれることなくいつの間にか訪れる、延滞された光熱費の支払い請求のようにそっと差し込まれるのさ、そして俺はかすれた声でなにかを呟くんだ、自分自身にすらはっきりとは聞こえない何事かを


半地下のバスルームではいろいろなものが死滅している、出て行けなくなった蛾、ゴキブリ、ナメクジ…俺はそいつらを弔うことなくすべて排水溝に流してしまう、同じだ、報われない死などいくら祈ったところで意味が変化するわけじゃない、報われないのなら意味なんかない、幾つかの本能だけで人生を謳歌する生き物とは違うのだ、半地下のバスルームは小さな死の瞬間に満ちながら夕方の太陽をかろうじて取り込んでいる、だけどそれはその小さな空間をすっかり渇かしたりすることは出来はしない、小さな死の瞬間で充満する空間は観念的な涙のようにどこかが濡れているのだ、俺はそこで身体を洗う、洗い続ける、湯をかぶるそばから身体が冷えてゆく、近くの堤防沿いを通過する浮かれたガキどもの声が、シャワーの音の隙間から時々聞こえてくる、在り方を変えないものたちは雄弁だ、その中で俺はどんなふうにして自分を誑かしている?


天井裏ではネズミが騒ぎ続ける、彼らもまた理由なき生のひとつ、身体に似合わぬ足音をとどろかせて真夜中を謳歌する、牙と尾が非常な貪欲を物語っている、腐ったものでも食べる、満腹して下しもしない、生きる姿勢だ、彼らは列を成して走る、足音を聞いているとそれがはっきりと判る


文字を打つ指先が次第に冷えてゆく、まだ明るいけど、まだ十分に明るいけれど、ゆっくりと夜が訪れようとしているのだ、俺は手を組み動かす、生体であるという熱がその中にある





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