2012/8/28

(無題)  

思うところあり改名しました。

今後ともよろしく。
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2012/8/28

がらくたくだり  




長く呪うような雨が好きだ、長く呪うような雨が降り続けば、それよりもずっと怖ろしいおれの心中はどこかに隠れていることが出来る。心情的な濡れ鼠と化しながら、おれはだらだらと夜の行く先を見ている。どんな今がここにあるわけでもなく、どんな明日が控えているわけでもない。ただただ降り積もっていくのは過去ばかりで、それが重い布団みたいに肩口のあたりにどっしりとのしかかっている。生きるというのはそういうことだ。今について、明日について、戯言を並べることは出来る、だけどそれが本当だと証明することは絶対に出来はしない。今や明日を語ることは、いちばんみっともない嘘をつくこととたいして変わりはない。長く呪うような雨が好きだ。


明日が欲しいか?明日が欲しいかとときどき問われる。内なる敵、というやつにだ。理由はそろそろぼやけてきただろう。現実はしっかりとおまえの首筋に喰らいついているだろう。明日が欲しいか?おまえ、明日が欲しいか?いらない。そんなものはいらないとおれは答える。明日なんてもうとっくに欲しいなんて思っていない。おれはおれという過去を背負って、おれのやるべきことをやるだけだ。台風の音がする。遠いところに台風がいるのだ。長く呪うような雨が好きだ。



蒸し暑く、まとわりつくような汗が滲み出る。小さなボリュームで音楽が流れ続け、携帯の電源は入れたままになっている。胡坐を書いて、自分が打ち込んでいるものをぼんやりと目で追っている。これはおれの告白ではない。だからもちろんおれの心情でもない。現状でもあるはずがない。これはただの暇つぶしのようなものだ。なにかを書かなければいけないと思うとき、おれはこうしたことを気が済むまで書き綴るのだ、そういう感じって判るだろ?本当はこんなものに心なんか存在しちゃいけないんだ。書き綴られるものには絶対に本当のことなんか語ることは出来ないからさ。おれたちはただ、近づこうとするだけだ、自分が大切だと信じているものに。こんな夜に相変わらず自分を生かそうとしているものに。長く呪うような雨が好きだ。


おれが今住んでいるところは繁華街が近くて、夜は平日だろうが週末だろうが必ずタガを外した連中が何事かを叫びながら通り過ぎてゆく。それがおれには蝉の声のようなものに聞こえる、いや、それはたぶんきっと同じようなものなんだ。みんみんみん、じーじーじー、つくつくぼーし。そういやあっというまにツクツクボーシの声を聞かなくなったな。居なくなるんだよ、鳴くだけ鳴いたら、居なくなるんだ。シンプル極まりないじゃないか。詩人なんか年がら年中鳴きまくってて、それでも少しずつしか死んでかないっていうのにさ。だらだらと生き残って、だらだらと綴っているっていうのにさ。だけどしゃあねえ。それは構造っていうもんだからな。いまさら、若くして死ぬことを美しいと思ってる連中も少ないだろう。それはさ、良くも悪くも世界がスピードを持っていた時代のお伽噺だよ。本当のお伽噺が、この世界には昔いくつかあったんだ、だけどそれらはみんな魔法がとけて居なくなってしまった。いまじゃ真面目で貧乏性な連中が団地の風呂場で首を括ってるばかりさ。長く呪うような雨が好きだ。


なぜ死にたい、なぜ生きたい。なぜ書きたい。なぜ歌いたい。そんなことを自問自答することが、面白いのか?おれにはもうそんなものは必要ないんだ。遠い記憶の中の音楽のようにどこかに引っかかって居ればそれでいいんだ。理由なんて行動と本当はそんなに関係がないものだ。おれは理由を必要としない。おれは生を必要としない。おれは死を必要としない。おれは詩を必要としない。もうそんなことと関係のないことをやっているんだ、おれは関係を必要としない。誘われれば従うだけだ。阿呆のようについてゆくだけだ。光に誘われる虫みたいにさ。昨日も、今日も、明日も、実のところもうそんなに必要ない。ただ一個のこのおれの生を生きるだけなのさ。喜怒哀楽、もうそんなものも必要としない、それは心というひとことで言い表すだけでいい。おれの書いてること、ぜんぶ嘘だぜ。こんなもの全部ただの暇つぶしだ。だってそうだろう、こんなものおれ自身にすらどんなことももたらしはしない。長く呪うような雨が好きだ。



おれは少しのあいだテレビをつけて天気予報を見る。なんだかんだで晴れのマークがありゃあそれはそれで嬉しいってもんだ。長く呪うような雨が好きだ。



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2012/8/24

夜のぬかるみの中で不十分な手入れの銃を構えている  







痺れを切らす午後が
薄皮を穴だらけにする
口の端にこびりついた
昼の餌の放つ臭気
洗面で洗い流して
あとかたもなく洗い流して


遮光カーテンの向こうで
目も合わさない今日が暮れていく
開幕ベルみたいに蝉は鳴き続けるが
今日の演目は白紙だって俺は知っている
少し身体を動かしてシャワーを浴びると
腰を下ろして音楽がどこかへ流れていくのを聞いている


郵便物が届いたかどうかポストを確かめに行ってもいいが
そろそろ同居人が帰ってくる頃だし
急ぎのなにかが届くような話はないから
仮に誰もそれに気付かなくても
仮に誰もそれに気付かなくても
役目もクソもなくただ蝉が声を張り上げる


街中を流れる川のよどみは暗く
葬列のような印象を残す
果てしなく空は晴れているのに
呪われているみたいな憂鬱が海に向かっている
昨日の雨も一昨日の雷も何も洗い流すことは出来なかった
せいぜい度を超えた酔っ払いの吐瀉物を一つ二つ排水溝へ連れて行ったくらい


日が暮れるころには気の早い野良犬がおこぼれを求めてうろつき始める
自分の手で何かを手に入れることをあいつらは知らない
なにもかも優しい誰かが分けてくれるものだと信じて疑わないのさ
見なよ、なにかを欲しがるとき、あいつらはみんなうつむいて歩いている
そして結果的に何も手に入れることが出来なかった夜なんかは
街外れの堤防に腰を下ろして不親切な世の中を呪うのだ


残飯をたらふく詰め込んだ夕飯を済ませて
俺はぼんやりして遮光カーテンを見つめている
仕事終わりの連中を運ぶ路面電車がひっきりなしに通り過ぎて
飼猫はそのたびに眠りから覚めて空気のうねりを聞く
大丈夫だ、あいつはおまえには何もしない、とときどき言ってやるけれど
飼猫はその言葉を絶対鵜呑みにしたりしない


天気予報は数時間おきに紆余曲折を繰り返して結局
明日は雨が降る心配はないというところに落ち着いた
だけど眠っている間に誰かの気が変わって
朝になったら閉じた傘のマークぐらいは太陽の隣に付け足されているかもしれない
降ったって晴れたってべつに構わないんだけど
なあ、降ったって晴れたって俺はべつに構わないんだけどさ


平日の夜だっていうのに昨夜はずいぶんあちこちで飲み会があったらしく
午前様を過ぎてから浮かれたやつらの声が表通りを騒がせていた
特別眠っていたわけでもないが俺はそのたびに寝床で寝返りを打って
やつらが今感じている幸せにいったいどれぐらいの価値があるのだろうかと考えていたものさ
今夜は昨夜に比べたら表通りは閑散としている
もう少し遅い時間になったらどうなるか分からないけど


いつぞやの眠りに比べたら最近は随分
いろんな夢が眠りの中を流れているような気がする
でっちあげられた日常の中に片端から飛び込んで
そしてすべて忘れている俺はときどき悪い病気でも抱えたみたいな気分になる
だけど目が覚めても苔のように脳味噌に貼りついてる感情がいくつかあって
それらはあえて言葉に変換しようとしたらたぶんそんなに気分のいいものにはなりはしない


明方の前にいつも得体の知れない鳥が鳴く
内臓を握りつぶしたときに出るみたいな声で鳴くんだ
そいつの声を聞くといつもああ一日がまたどこかへ流れていこうとしているなと思って
どういうわけだか分からないが俺はいつもなぜだか少しだけほっとする
そんなときに俺は自分の生身を感じるんだ
自分の生身が気持ちの奥底で求めているもののことを


この詩を書いているうちにいつのまにか
日付変更線を過ぎてしまっていた
日付変更線なんてものを意識しながら生きているやつがどれくらいいるのか知らないが
俺は日付変更線をまたぐときの、あの…
「生還した」とでも言えそうな気持ち
わりと


わりと好きなんだ







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