2013/1/8

途切れたものはいつもかならず手の届かない場所にしか居ない  








テーブルの上には要領を得ない文章が延々と書き殴られた紙片がある、綴じられたものから無理矢理に引きはがしたように形はみだらで、一度握りつぶしたみたいにくしゃっとなっている、五階の、家具のあまりない、安ホテルの一室みたいな部屋の小さなテーブルの上に、飲みかけた水がそのままに残されたコップと一緒に置かれているそんな紙片は、もうどうしようもなくなった人間が残した遺書のように見える、窓からは暮れかけた日の光が差し込んでいる、薄い雲がヨーグルトの上に溜まる水みたいに張った空から差し込むその光は、死にかけた老人が衰えた目で見る最後の光に似ている、部屋の窓は西に向かって開いているのだ、窓はわずかに左側が空いていて、そこから下界の喧騒がかすかに聞こえてくる、本格的に道路が騒がしくなるには少し早いのだ、音とともに入り込む風は、出来の悪い音符のように埃っぽい、ポータブルラジオの電池は切れているらしい、どこかの引き出しに別の電池が入っていないだろうか、それはきちんとあらゆるものに通電出来る電池だろうか、わたしには電池を捨てるという習慣が無い、わたしの部屋のあらゆる引き出しに、もうどんなものも動かすことが出来なくなったさまざまな形状の電池が埋もれている、恐竜の化石のように、もっとも、もう一度発見されたところで化石のような興味などそこにはありはしないけれど、わたしはゆっくりとたったひとつだけのローチェストに近寄り、いちばん上の引き出しをゆっくりと開けてみる、そこには何も入っていない、きっとどこかの段階で処分されたのだろう、もしかしたら初めから何も入っていなかったのかもしれない、そう言われてもわたしは驚かない、二段目の引き出しには洋服かなにかのタグがひとつだけ入っていた、シャツの襟についていたもののようだった、わたしは彼女が最後に着ていたシャツのことを思い出した、光沢のついた白いシャツ、秋の終わりの、フェンシングの剣の一突きみたいな太陽を鮮やかに反射していた白いシャツ、このタグはきっとそのシャツの襟についていたのだろうとわたしは思った、もちろんそんなことになんの根拠もなかったけれど、だからこそゆるぎないという事柄がときにはあるものだ、三段目の引き出しにはノートが入っていた、ぱらぱらとめくってみたけれどどこにもなにも描かれた様子はなかった、それはページをめくる前から判っていた、おそらくどこかに一枚、破られたページがあるのだろう、ついさっき入って来た玄関のところでコトリと小さな音がした、振り返るとそこには短い茶色の毛の猫がいた、あらゆる悲しみを一通り終わらせてきたみたいな顔をしていた、ひらひらと手を動かして呼んでみたけれどうつむきながらまたどこかへ出て行ってしまった、たぶんわたしじゃない誰かならよかったのだ、だけどそれはわたしにはどうしようもないことだった、四弾目の引き出しにはなにも入っていなかった、あのラジオを鳴らすことは出来ない、あのラジオはきっとまだ、なにかを受信して大声で叫ぶことが出来るだろう、いろいろな話をして、人々を楽しませることが出来るだろう、だけどこの部屋にはもう電池がなかった、そしてあのラジオはたぶん、すっかり忘れられていつか自分がラジオだったことを忘れてしまうだろう、わたしは立ち上がってシャツの裾を直した、少し寒くなりはじめていた、椅子にかけていたコートを着た、それを着てしまうともうなんだかこの部屋にいる意味がすっかりなくなってしまったような気がした、テーブルの上の紙片には興味が持てなかった、コップを洗ったおいたほうがいいだろうか、という考えが頭をかすめた、だけど、いったい何のために?そこに水が入っていようといまいと、洗われてきちんと伏せられていようと、もうそんなことにはなんの意味もないのだ、わたしはコートの前をきちんと合わせて、玄関のドアを閉じて預かってきた鍵でそれが望まれない限り開かないようにした、アパートの入口から往来へ出ると歩道の端にさっきの猫が居た、答えの要らない方程式を共有するようにわたしたちはひととき見つめあった、車道では嵐のように車が行きかっていた、こんどそっぽを向いたのはわたしの方だった、こんど、とわたしは思った、わたしの部屋の引き出しに埋もれているありったけの電池を持ってもう一度ここに来てみようか、と、あの部屋の鍵を開けて、あのラジオの蓋を外して、片っ端からその電池を詰め込んでみようかと、それでもし、ほんの一瞬でも、あのラジオが叫ぶことが出来たら、出来たら……







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2013/1/6

冬の日  







あなたの唇を枯らし
血をにじませるもの
わたしのこぶしを引き裂き
血をにじませるもの

凍りつく冬の陽射し
寒い朝には人々の胸中に隠れたものが明るみにさらされる
霜を踏む音、それは
声にならなかった泣き声の音
軒先のつらら、それは
流されることのなかったいたましい涙
窓を開け放ち、肌をあぶる太陽を正面に受けなさい
あらゆる季節を生きるのに
怖れていていいことなどない
吹きこんでくる氷点下の風を
肺の中まで飲みこんで温もりに変えなさい
すべての戦うものたちの決意の為にこの季節はある


潰れたドラッグストアの
破損したシャッターの偶然のナイフに頸動脈を押し当て
今朝、ひとりの浮浪者が路上の塵になった
彼を発見したのは小学校の教師だった
彼はまだ息があり
彼女に向かって喘ぐようにこんなことを言った
「ぼくは世界の染みにしかなれなかった」
彼女は判らないというように首を横に振った
彼はまだ若く、やり直せるようだったし
彼女もまた若く、仕事に熱意を感じていた
子供たちの目に答えようと必死だった
だから彼の言葉はどこにも受け止められず
彼の死よりも早く無きものになった
彼はきっとそんな運命のことを
口にする前から判っていた
もしも彼女が思慮深い顔をして頷いたなら
彼は湖の底で水を飲んだように死んでいったことだったろう


たくさんの木が植えられた広い公園では
たくさんの詩や音楽が枯葉のように次々と散っていた
似顔絵描きが出来が気に入らない客に胸倉を掴まれていた
老婆は棺桶を探すように芝生に腰を下ろし
同じように草臥れた犬の背を撫でていた
ポール・オースターの小説に出てきそうな
古臭いスーツを着た若い酔っ払いが
湖を眺めるためのベンチに寄り添って静かに嘔吐していた
ショコラの上にちりばめられたパウダーシュガーのように空気に混じる氷がキラキラと輝く陽射しの中で
今日という一日に絶望した似顔絵描きはいきり立った客にわずかな金を返した
似顔絵描きに掴みかかった客は舌打ちをしながら小銭をポケットに突っ込むと
なにかから逃れるように表通りの方へと急いで行った
似顔絵描きは俯いたまま
自分がさっきまで描いていた絵を眺めつづけていた
もしかしたら彼はうまく描きすぎたのだ
あの男が触れてほしくないなにかについて
彼の絵は踏み込んでしまったのだろう
老婆は犬とともに死んだように寝ていた
ベンチで吐いていた若者もそうだった
似顔絵描きは似顔絵を見つめ続け
そのほかのものは死んだように眠り続けていた
太陽の角度が変わってもそれは変らなかった
まるで飾りたくない絵画みたいな光景だった


気が付いたら港の方まで歩いてしまっていて
存在すら飛ばしてしまいそうな海からの風に吹かれていた
海の向こうには憂鬱な気持ちのような雲があった
きっと雪が、途方もなく降っているのだと思った
近くに止まっている客船の乗組員だろうか、こちらにやってきて
もしよかったら火を貸してもらえないかと恐縮した
ポケットを探るとどこかでもらったマッチがあったので箱ごと渡した
男は滑稽なほど頭を深く下げて
煙草に火をつけて深く吸い込んだ
海の上は寂しくはないか、とわたしはたずねた
男はふぅー、とほそくながく煙を吹き出して
それはね、とつぶやいた、そして
「それはだけどね、どこにいたって同じことなんですよ
そういう種類の寂しさはね
海の上だからどうだってことはないですよね
あなたにはきっと判ってもらえると思うんだけどね」そう言った
わたしには判るだろうか?判るような気もするし
まるで判らないような気もした、でもそれは
たぶん判ろうとしていないのかどこかで判りたくないと思っているということかもしれなかった
だからわたしはあいまいに頷いた
男はそれで満足だというように深く頷いた
マッチの礼を言って男は船の方へ戻って行った
きっとそんなに長くとどまってはいられないのだ
また寂しい海の上に出てゆくのだ
ひとりきりの寂しい海の上に


街の方まで戻ってきて
DVDのコーナーでホラー映画のタイトルを読むともなく読んでいた
なにかが気になって振り返ると
あらゆる種類の人間があらゆる種類のパッケージの前で
ぼんやりとタイトルを眺めていた
わたしは船乗りの言葉を思い出し
そして納得がいった
あの男が言っていたのはこういう感覚だったのだ
「それはだけどね、どこにいたって同じことなんですよ」
男の言葉が静かに滑り込んできた
店内に流れているきらびやかなだけの音楽の隙間を縫って


線路沿いを歩きながら私は思った
そういう種類の寂しさ
若い浮浪者の死
枯葉のように落ちていく詩や音楽
胸倉を掴まれた似顔絵描き
死んだように眠る老婆と酔っ払いの若者
誰かに火を貰わなければ
煙草を吸うことが出来なかった船乗り
踏切の音が高らかに鳴り
時を薙ぐように特急が背後から駆けぬけてゆく
まるでデリカシーのない津波みたいだ
居場所を無くさないようにわたしは道の先を見た








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